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ザ・船場な戦後ビル㉙ 土佐堀川を背に

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「船場」って… いったいどこを指すのか? 地名の由来は2004年発行の 『大阪ことば事典』によると、 「 古く難波津の頃、  この辺が 船着き場  で あったろうとする 」、 これが最も妥当な説とされています。 船場センタービルのHP によると、 北は土佐堀川から南は長堀川、 東は東横堀川から西は西横堀川。 「 萬成ビル 」  中央区北浜3丁目1−12 船場最北 の土佐堀通沿い。 中之島からみると 土佐堀川リバーサイド。 1956年の竣工で、 設計施工ともに 藤中組建築工業所。 ビルメンテナンス・貸ビル業の 萬成商事㈱さんのビル。 もとは 「 桜根病院 」だったとか… どんな病院だったのか? よく分かりませんが… 黒御影石 …面構えから、 元証券会社かと思いました。 窓枠にも堅強な感じ。 対象的な外観は、 土佐堀川からもほぼ同じ。 「 日本文化会館ビル 」  中央区北浜2-1-23 竣工年については、 おそらく1970年ごろ。 関西棋院 は以前はここに、 今は中央区北浜1-1-14 「 北浜一丁目平和ビル 」に 移されています。 エレベーターホールは、 白い大理石?貼り。 エレベーターの塔屋がついて、 最上階だけバリエーション。 1階に「 &ISNAD 」さん。 土佐堀川沿いのカフェは、 2011年3月の規制緩和で 誕生した「 川床 」が設置、 「 北浜テラス 」がソレです。 ※東京大学公共政策大学院特任教授  辻田昌弘さんの 「「新しい公共空間」がもたらす  官と民、国と地方の関係の変容」 より転載 「 つねなりビル 」 隣りのガラスウォールのビル、 1997年10月に建替えられたもの。 大正初期(1913年)築の 赤レンガの2階建の 洋館写真館 。 中之島から見ると「 つ 」?? 「 つねなりスタジオ 」を 表す「つ」なのです。 幅員はそのままです。 土佐堀通側には大顔面??、 ライオンの彫刻 なんだそうです。 かつての代表者 恒成一訓 さんは、 建築写真の分野で活躍されました。 日本庭園やアンコールワットなど、 活躍ぶりがよく知られています。 「 ヤマニビル 」  中央区北浜2-1-17 茶色のタイルに連続窓のサッシ。 定礎は1973年1月。 ヤマニビルの銘板は、 掲げられますが… 北浜ビジネス会館 の玄関サイン。 テナントビルではなくて、 いわゆる

ザ・船場な戦後ビル㉘ 堺筋 JPビルとイトーキSR

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「 JPビルディング 」 1972年9月竣工の 鉄骨鉄筋コンクリートビル。 定礎石は昭和47年7月。 地上8階建てですが、 いまはトーメン本社ビルの 跡地に建てられた 「 シティータワー大阪 」に 見下されています。 シティータワー大阪は、 高さ170mで 2003年の竣工当時は、 西日本一の高さでした。 堺筋面には スギ薬局 、 1階をいわゆる チェーンストアに賃貸は、 今や常識ですね。 南面玄関に 「 JP. BUILDING 」と アルミの叩き出し。 JPとは… 日本紙パルプ商事 さんのこと、 紙・板紙流通のトップ企業、 その関西支社ビルなのです。 丸い玄関ドア 玄関フロアの壁にも、 昭和の風格を留めています。 本社は東京ですが、 京都の和紙商 「 越三商店 」に 辿ること創業 弘化2年、 1845年ということですから、 天保のあと江戸時代の中ごろ。 最上階のツクリにバリエーション。 おそらく会議室や役員室などが、 レイアウトされたのでしょう。 1902年になって本店が、 京都から東京に移され、 1963年に商号変更し、 中井株式会社。 そして1970年の ㈱富士洋紙店との 合併を経て、 日本紙パルプ商事㈱ 、 現在に至っています。 「 イトーキ大阪ショールーム 」 淡路町一丁目の北東角にある ずんぐりむっくりのビル。 オフィス環境を 体感・体験できるという、 イトーキ さん関西エリア最大の ショールームなのです。 フロアごとにコンセプト、 用途の異なるオフィス空間が 展示してあるとか… 竣工は1989年、 設計は 日建設計 。 ㈱イトーキは1890年12月に 「 伊藤喜商店 」として創業。 創業地は「大阪市東区高麗橋」。 こないだ紹介した 「 平二ビル 」が創業の地。 ゼムクリップ や ホチキス という、 今や事務備品で定番のもの、 その輸入販売を始めたのが 「伊藤喜商店」なのです。 その後 自社でも事務機器を開発、 金銭記録出納機である 「 ゼニアイキ 」※は、 そのパイオニア的存在。 1916年ごろに製造、 いわゆるレジスター。 銭勘定が合う 機械なので 「ゼニアイキ」。 ご自慢のファニチャーたち。 ※イトーキ東京   イノベーションセンターSYNQA 所蔵