ものごとを学ぶ
新型インフルエンザには この国に教訓をもたらしたのか? 対策マニュアルに沿って行動したが、 結局はマスコミも咳がどこまで飛ぶかを、 ブラックスクリーンの前で撮影したり。 高校のバレーボールでなぜ感染したかなんての、 レポートではどれくらい飛沫の先に、 広がるかなんてことを1セットの試合をやらして、 実験をする。。 2メートルという長さのカラーテープを使って、 通勤電車でも向かいの座席まで、 空港バスだと運転手を含めて15人ぐらいだと。 うーーんテレビニュースって 本当に視点がぼやけていて、 あとはマスクがナイナイのオンパレードだった。 このところちょくちょくブログで使う 養老孟司 さんの 『読まない力』 。 2005年2月に書かれたコラムにこんなのがあった。。 「ものごとを学ぶ」 「 自分で何かして(出力)、 その結果を見て(入力)、 再び何かをする(出力)。 以下、次々にそれが繰り返されると、 脳ミソのなかに法則がつくられていく。 それを学習という。」 そしてこう続けられる。。 「 天災は必ずしも学習にならない。 いきなり入力から始まって、 それに対処して、一貫の終わり。 この前の戦争も、結局はどうだったのか、 よくわからない。 そう思うのは、 右のことと関係するような気がする。 ものごとを学ぶのは、 なかなかたいへんなのである。」 ・・・・・ おそらく 養老 さんの言う通りで 「マナベナイ」 というより、 学ぼうとすること自体にある意味 諦めが漂っているのかもしれない。 月曜日にプロ野球があるとすでに曜日がわからなくなる。 電話番号も一昔までは20ぐらいは覚えていたが、 おそらく自宅、職場、自分の携帯。。 それ以外に5つくらいしか思い出せない。 ソコにあるからということでの安心感がどんどん 記憶力をゆる~くさせてしまっている。 <ものごと> としてとらえる時間が 希薄なっている毎日。 触覚をピンと伸ばさねばなるまい。。。 ←ランキングにポチットな(・ω・)v