なごやコンクリ寺〜大須観音

名古屋は1945年5月19日に 空襲を受けています。 大編隊の都市圏への最初の空襲 、 その目的は日本に降伏を迫るため。 名古屋城をはじめ人口が密集地に、 B29爆撃機 による空襲… ここ大須観音も本堂は戦災焼失。 1970年に再建 されたものです。 もとは尾張国長岡庄大須郷、 いまの 岐阜県羽島市大須 に あったのを 徳川家康 がこの地に… 織田信長も寺領五百石を寄進、 名古屋を建設経営の第一に、 家康が 慶長17年 に遷座。 真言宗 のお寺で、 正式には北野山真福寺宝生院。 大須観音として親しまれています。 本堂は実は1892年 の 「 大須の大火 」で焼失。 ただ五重塔は再興されず。 ちなみにの本堂は南向き、 ただ1949年建立の仮本堂までは 東向き だったそうです。 こちら正面の 仁王門 。 大須仁王門通 こっちじゃよ… 朝早かったので… 大須ディープ には 行きませんでした。 大須文庫にある 国宝の 古事記写本 など、 寺宝は空襲から逃れたようです。 『いざさらば 雪みにころぶ 所まで』 浅草 にも 墨田区 にもある句碑、 大須観音境内にもありました。 松尾芭蕉44歳の作 折よく雪が降り出した。 さあ、それでは皆の衆、 雪見に出るとしよう。 道ですべって転んだらなお一興。 さあ転ぶ所まで出かけよう。