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直虎をたどる その四 井伊家発祥の井戸へ

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井伊家歴代の墓所 は 龍潭寺境内に。 井伊直虎 は奥から二番目に、 井伊直親 とならんで お祀りされています。 墓所には初代 共保から、 24代の直政まで… 井伊家が連綿と 続いてきた名家であったことを 示す場所でもあります。 直虎が女性であったか否か… 江戸時代になると、 幕府は儒教的な観点から 女性の城主を認めなかった。 ただ、戦国時代には 武家の女性たちは、 武術の訓練を怠らず、 馬にも乗ったのは至極当然。 「家」を重視することから、 後継者たる男子が夭折したり、 いない場合は、 家督継承は男系とは限らず、 女性が跡を継ぐ。 武士という存在が出てくるまでは、 家のカタチは女系を中心に 考えられてきたのだがら、 井伊家に限らず例外ではなかった、 とは考えられるのでしょう。 龍潭寺からすこしはなれたところ、 田んぼの真ん中に 「 元祖共保公出生の井戸 」。 平安時代の西暦1010年に、 龍潭寺門前の井戸から誕生した といわれる共保 (ともやす) 公を 初代とする井伊家。   「 HAMA流 」という 井伊直虎のガイドブックの 表紙もココです。 ※それぞれをクリックすると、   ガイドブックがみられます! 「 祖霊之地 」の碑は、 第三十九代 井伊直愛 (なおよし) の撰述。 直愛は大老 井伊直弼の曾孫。 共保は、井戸から生まれたとか。 生まれたときに、 手に橘を持っていた ことから 井桁に橘を紋とするように なったとも言われています。 橘を家紋としている家系は多く、 橘は生命力や長寿の象徴、 不老不死の長寿の実が 橘とされてきたことによるとか。 「湧き出づる岩井の水のそこ清み  曇りなき世の影ぞ見えつつ」 井伊直弼 が御国入り、 菩提寺の龍潭寺を参拝され、 この井戸で詠んな歌碑。 天浜線にも直虎号が走っています。 金指駅 ですれ違ったのですが… 全貌はカメラに収められず。 天竜浜名湖鉄道では、 いずれ大河ドラマ版の直虎号を 走らせる予定だとか… ドラマ開始からでないと、 デザインを決められない 事情があるそうです(T_T)

直虎をたどる その参 井伊谷宮から龍潭寺へ

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気賀駅からレンタサイクルにて… 本当はここ「 井伊谷宮 」を 目指していたのですが、 県道から井伊谷へ入り込む場所が、 わかんなくなって… GoogleMapでここに辿り着きました。 御祭神は 宗良親王 で、 後醍醐天皇 の 第四王子と 伝わっています。 南北朝時代に吉野朝方として、 活躍したとか… 薨去されたのもこの地で、 井伊谷宮の御神体は 宗良親王その人。 境内には宮内庁の表札があり… ここからは立ち入れません。 実は神社の歴史は浅く… 明治天皇が「 建武の親政 」に想い、 彦根藩主 井伊直憲 に下命、 1872年(明治5)のご鎮座、 翌年に官幣中社となった社です。 こちら摂社となる「 井伊社 」。 井伊家と宗良親王とは 姻戚関係にあったようで、 親王の子尹良 (ゆきなが) 親王は、 第十二代 井伊道政 の 外祖父にあたります。 明治8年に井伊道政らを御祭神 として創建されたものです。 直虎にちなんだ 「手鏡守」 。 虎目石をあしらった 手鏡型のお守り 。 “ 直 ”印を中心に “ 井 ”の字を 書き入れ、 それを円で囲む… 真っ直ぐに 縁が繫がりますようにと。 井伊谷宮から 龍潭寺 は つながっていました。 歴史は古く… 行基開創 と伝わりますが、 桶狭間の戦いで戦死をした 井伊直盛 の戒名をとり、 龍潭寺と寺号を変えたそうです。 元祖共保公より40代の祖霊を祀る 井伊家と菩提寺です。 禅寺特有の大破風の庫裡。 楼閣造り 開山堂 。 塔上に彦根橘、彦根井筒。 井伊家霊屋 二十四代直政公 の木像とともに、 元祖共保公、二十二代直盛公。 大老 井伊直弼 の位牌もここに。 本堂は延宝4年(1676)再建。 鴬張りの廊下になっていました。 直虎 の像… 「 次郎法師と虎松 」 直虎と直政の子供時代の姿。 直政は 徳川四天王 の一人として 活躍しますが、 三方原合戦時はまだ12歳。 直政を育て、家康の家臣として 出世させたのが直虎。 本堂北庭の 小堀遠州 作  池泉鑑賞式庭園。 数多くの石組みと築山全体で 鶴亀が表現されているとか… 雪の庭園 HPより

直虎をたどる その弐 直虎の位牌と渭伊神社

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井伊直虎の記録というのは、 実はあまり残っていないのです。 井伊家ゆかりの地「 妙雲寺 」。 もとは自耕庵と呼ばれていたそうで、 直虎の位牌がみつかった のは、 ごく最近で2015年11月のこと。 寺の住職と 檀徒 (だんと) さんが、 本堂整理の折に見つけたそうです。 土、日曜と祝日限定での一般公開は、 実は檀徒さん…わかりやく言えば、 檀家の人たちが交代で面倒を みてくれてはるということ。 「 大阪から来ました 」と伝えると、 えらい歓待してもらえました。 妙雲寺は兼務寺で普段は住職が おられないというお寺なのです。 晋光寺 の武田住職が兼ねられています。 制作時期は不明ですが、 奥のガラスケースにあるのが、 井伊直虎 (左)と 南渓瑞聞 の位牌。   ※ 井伊直虎の位牌には 「當寺開基  妙雲院 月船祐圓大姉」 と。 『南渓過去帳』には 「月泉祐圓禅定尼」 とあるそうですが…   ※ 女性の直虎を領主に推薦し、 井伊家の再興に貢献した 龍潭寺2代目住職であった 南渓和尚 の位牌。 「前住妙心當寺開山  南渓和尚大禅師」 とある。 直虎が女性だったという根拠 は、 江戸時代中期に龍潭寺の 和尚が記した『 井伊家伝記 』。 度重なる当主の戦死などで 幼い男子しか残らず、 その後見人として井伊直盛の 一人娘の「次郎法師」が 「井伊直虎」と名乗って 井伊家を救ったとによる。 「南渓和尚の頂相」 ※ こちらも長らくあったものを、 裏打ちを確認して 南渓和尚の それと最近判明されたものです。 井の国の中心となる 古代以来の「 渭伊神社 」。 南北兵乱のとき龍潭寺の境内から 現在地へ移ったといわれる。 井戸や井水を祭祀対象とした神社、 井伊氏発祥の地であるとともに、 井伊家の氏神でもあります。 蟇股には井の紋が見える。 神社境内には「 天白磐座遺跡 」 (てんぱくいわくらいせき)。 「おんな城主 直虎」ロケが行われ、 井伊直虎が身を隠すシーン などが 撮影された場所なのです。 巨石の下から、大きな土師器や、 陶器の破片がたくさん出土。 いにしえの祭祀の場であったところ。 井伊谷の雰囲気を感じられる ...