猿田彦のミチを開くvol.25 京都東山・霊明神社


京都東山「維新の道
という道をたどると、
猿田彦命の御神石を祀る神社が
鎮座しておられました。

社務所には"猿田彦守"の案内。

清水寺から産寧坂
二年坂まで降りてしまい、
急峻な石段を駆け上がった先。

12月でも楽しめている紅葉が
手招きしているようで…
陽気に恵まれダウンが荷物に。

さらに石段のさきに
霊明神社」の看板。

創建当初は「東は方丈地境限り、
西は往生院藪地限り、
南は大道限り、北は高台寺限り」の
神域を有していたものの…
1887年に1880余坪が上知され、
14坪あまりとなったそうです。
上知は"じょうち"、"あげち"とも、
江戸幕府や明治政府が出した
土地没収の命令のこと。
上知令は悪政と呼ばれましたが、
近年は京都が近代都市として
発展していく上で必要だったとの
評価もされています。

坂本龍馬 中岡慎太郎など
"幕末の志士の葬送の道"、
1862年11月18日に勤王家の
吉田玄蕃の志によって、
長州藩士たちの参列のもとに
神道葬を斎行されたそうで、
志士たちは神霊として
霊明神社に葬られました。

王政維新百五十年の碑石が立つ
「諸人に 伝えまほしき 我が国の
  まなほの道を ただ一筋に」

霊明神社 三世である
村上丹波源都平の句。
坂本龍馬・中岡慎太郎の
神葬祭の斎主を務めた人。

明治元年12月15日、
霊明神社で行われた
京都府主催の招魂祭も
斎主を務めたそうで、
日本初の官祭招魂社
社務を兼務されました。

創建は光格天皇の御代、
文化6(1809)年8月。
徳川幕府の寺請制度
政策下にありながら、
正法寺の塔頭を買い受けたとか…

天照皇大神、武甕槌命、経津主命、
そして猿田彦大神、天鈿女命
祀られているのです。

脇に鎮座する
猿田彦明神御神石

平安時代の左大臣・源融公の邸宅、
六条河原院ゆかりの道祖神と
伝わるものでだったそうで、
江戸時代には六条河原跡地の
塩竈町の生薬屋の家裏に
埋まっていたそうです。

近隣に災いが続いたこともあり、
当主がお祓いをすると…
夢の中で「我は猿田彦大神なり
数百年此の地に神徳隠れる
悪水の流れの不浄に堪えかねる
早く遷座を」
と告げられたとか…
そのお祓いを霊明神社
初世神主 村上都愷
執り行った縁でこの地に。

竜馬ゆかりの地に「猿田彦」とは…

1939年にになって霊山・東福寺・
泉涌寺・大雲院の各招魂社が合祀、
その後…
京都霊山護国神社となるのです。

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