松坂屋の理想郷〜揚輝荘① 伴華楼
名古屋の覚王山への
最大のお目当ては、
揚輝荘(ようきそう)。
名古屋の観光スポットでも、
名古屋城とかからは離れているので、
はじめての訪問なのです。
覚王山日泰寺までの
道すがらには、
根府川石貼りの門柱には、
「揚輝荘」ではなく「揚煇荘」、
名前の由来は、陶淵明の漢詩
「秋月揚明輝」から。
漢和辞典によると「煇」が正字。
漢和辞典によると「煇」が正字。
玉石が貼られた藤棚をくぐると。
アプローチへ。
1階のテラス部分にも
色とりどりの玉石…
リゾートホテルを思わせます。
建物の名は「伴華楼」。
Bungalowを
もじって「ばんがろー」。
尾張徳川家大曽根邸から移築、
座敷・茶室に鈴木禎次 設計の
洋室をドッキングした建物。
鈴木禎次は、
松坂屋百貨店の創業者
伊藤次郎左衛門祐民とは、
親交が深く…
名古屋松坂屋本館や各支店の
設計にも関わっています。
髙島屋東別館ももとは松坂屋、
鈴木禎次の設計です。
鈴木禎次の設計です。
ちなみに夏目漱石は義弟、
漱石の墓碑は禎次の設計で、
大きな安楽イスをかたどった
ユニークなものだそうです。
終活ネットより
伴華楼は南からみると二階建、
南だれの急斜面に立つので、
北庭の玄関部分は
二階にあたります。
テラス部分の床や腰壁は
タイル張りで、
リゾート気分が高まります。
当時の社交場にビリヤードは
つきものだったそうです。
石膏レリーフ。
古来より月見の名所、
『尾張名所図会』の「月見坂」
にも描かれた場所なのだそうです。
東面外観の市松模様の煙突
タイルとスタッコの市松模様…
タイルを市松状に貼って、
その後養生してモルタルを吹付け?
それともモルタル吹付けの
タイルをあらかじめ作り、
スレート張りにも見えるが、
実は椹(サワラ)板のうろこ壁。
秋には紅葉が映えるとか…
こちら北端の斜面に鎮座す
「豊彦稲荷」とよひこいなり。
ルーツは京都の仙洞御所の
御所稲荷(豊春稲荷)で、
松坂屋本店の屋上にも
豊彦稲荷があるそうです。
勧請されたのは1927年のこと。
手水鉢の寄進者名には
伊藤仁兵衛とありました。
伊藤次郎左衛門家の
兄筋にあたる伊藤仁兵衛家。
清洲越しの両替商で、
信長からたまわった
槍を家宝として遺す。
両家の先祖は
信長の小姓 伊藤蘭丸と、
いわれているそうです。
このブログは
「揚輝荘と祐民ー
よみがえる松坂屋創業者の理想郷 」
を参考にしました。
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よみがえる松坂屋創業者の理想郷 」
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