なごやコンクリ寺〜覚王山 日泰寺

日本唯一どの宗派にも属さない
日本の全仏教徒のための寺院。
覚王山 日泰寺さんへ…
名古屋の覚王山駅あたりは、
起伏も富んでいて…
名古屋の代官山???とも、
名古屋駅から乗り換えなし
東山線で7駅…
地下鉄には東山動物園
向かうと思われる子ども連れ。
建立は1904年(明治37年)。
釈尊を表す「覺王」を山号、
日本とシャム(暹羅)国の友好を
象徴して当初は「覺王山 日暹寺」。
にっせんじ と読みました
その後シャム国のタイ王国への
改名で1942年に「日泰寺」に。
運営は現在19宗派の管長が輪番制、
3年交代で住職をつとめ、
各宗の代表が役員として
日常の寺務に携わっておられます。
本堂は1984年完成したもの。

本堂内…

梵鐘…そこかしこに見慣れない
タイ語が綴られる。
五重塔は1997年完成…高さ30m。
写経が納められています。
1898年1月、
ネパール南境のピプラーワーで、
人骨を納めた蝋石の壺を発見。
刻まれた古代文字の解析などにより、
「この世尊なる佛陀の舎利瓶は
 釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに
 信の心をもって
 安置したてまつるものである」
    と解読。
佛教教祖「釈尊」の実在が立証
その後
タイ国々王より日本国民への贈物
としてこの地にもたらされました。
本堂から離れた奉安塔
祀られているそうです。

日タイ修好百周年記念のタイ国
チュラロンコン国王の立像の台座。
実はこないだの台風21号で、
損傷を受けたとか…
ただいま修復中だそうです。
山門は仁王像ではなくて、
迦葉尊者と…
迦葉尊者は仏弟子の最長老、
釈尊滅後の仏教教団を率いた。
左には阿難尊者の像が出で立つ。
阿難尊者は晩年侍者として
仕え釈尊の最後を看取った人。
いずれも1989年 円鍔勝三の作。
円鍔勝三さんとは
なぜか最近関わりが多いです。
世界平和記念聖堂
欄間型格子の彫刻とか、
動員学徒慰霊塔のレリーフとか…
またどこかで会いそうです。

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