エリア継体vol.5 闘鶏野古墳・番山古墳

名神高速 に架かる 朱塗の歩道橋 … 今城塚古墳 から 散策ルートを辿ると 「観音寺・闘鶏野神社」への 標柱があります。 参道はもともとココ だったかは不明ですが… 名神高速下には車高制限3m、 バリケードが行く手を阻みます。 手前にこんな鳥居もあった… 水天宮遥拝所 だとか… 天空の参道にもどります。 高速道路を跨ぐだけあって、 かなりの高さに達します。 ちょうど ど真ん中だとこんな感じ。 「 氷室跨道橋 」の銘板 渡り切ると 「 闘鶏野神社 」の社殿。 氷室地区の氏神。 闘鶏 を「 ツゲ 」と読むのは、 鶏鳴が神託を「告げる」 こと に 由来しています。 神社の裏山にあるのが 「 闘鶏山古墳 」。 存在はかなり以前から 知られていたそうですが、 宅地造成計画のため、 2002年4月から発掘調査。 平野に突き出た 丘陵先端部にあり、 全長86.4mの前方後円墳。 後円部から未盗掘の 竪穴式石室2 基が発見、 ファイバースコープ調査で 三角縁神獣鏡 や石製腕飾り、 木棺などが確認されました。 闘鶏野神社は、 天照皇大神、応神天皇、 天児屋根命 等を祭神。 (あめのこやねのみこと) 闘鶏野は、 仁徳天皇 の御代、 額田大中彦皇子 の 猟場であったとされる場所 。 4世紀前半の 三島の王墓 であることは、 間違いなところです。 ほどなくある「 八幡大神宮 」 土室 (はむろ)の氏神さん。 土室とは、 ハニ(粘土)のムロ のこと。 埴輪の製作に携わる 人々が住んだと伝わります。 新池埴輪製作遺跡 がソレ。 社北西の新池周辺からは、 多数の埴輪片とともに 窯跡も見つかっています。 「 番山古墳 」 直径56m、高さ7mの墳墓。 前方部は残っておらず後円部と 外堤の輪郭が確認されており、 墳丘の南から東にかけて 大きな外濠がめぐります。 近くに立つのは、 「 土室遺跡群 」の看板でした。