投稿

2月, 2018の投稿を表示しています

ザ・船場な戦後ビル㉜ 船場の三丁目あたり

イメージ
備後町三丁目 〜瓦町三丁目 いわゆる 船場三丁目 。 「 敷島ビルディング 」 時代先駆の大々的な アルミカーテンウォール の採用、 1965年竣工の シキボウ㈱ のビル、 設計 日建設計工務、施工 鴻池組。 垂直線強調の外付けマリオン、 その軽快なリズムと、 大きな白い壁面の構成が 大変美しいビルです。 カーテンウォール は、 縦長の 大きなはめ殺し窓 で、 その下の小窓部分が 内側に開くそうです。 南面の純白の大きな壁面、 そこにはシンボルマーク。 現在も使用されていて、 「 マーメイド 」とあります。 結城昇 さんのデザインです。 SHIKISHIMA BUILDING 。 1階の現在昆布屋さんの 店舗になっている部分は、 かつてシキボウさんの マーメイドの彫刻が 飾られていたとか… YouTubeには、 「 シキボウマーメイドの歌 」 なるものが… アップされていました。 野坂昭如 さんの作詞、 いずみたく さん作曲です。 シキボウさんは、1892年設立の 有限責任伝法紡績会社が前身。 1944年に朝日紡績㈱と合併、 商号を敷島紡績㈱に… 本社をココ大阪市東区備後町に。 2002年4月より商号は、 シキボウ㈱ になっています。 船場の交通事情に配慮、 1階に 大きく駐車場スペース 、 建物全体が壁に支えられて 浮いているようも見えました。 モータリゼーション時代 の ビルらしさがとても魅力的です。 バーにステーキの食べれるお店、 そして シキボウホール … オールインワンがよき船場の 繊維産業のビルを今に伝えます。 隣の大阪長谷ビルと高さが揃い、 同様のデザインでまさに 兄弟ビルのようでしたが…  ※かつての「大阪長谷ビル」 「 大阪長谷ビル 」のほうが マリオンのピッチが広く、 窓は開閉しないはめ殺し窓と 縦軸に回転して開くサッシの窓、 その横並び構成となっていました。  ※かつての「大阪長谷ビル」 解体工事が始まっておりました。 「 メイソンビル 」 シキボウビルの前にある 印象的な1992年竣工のビル。 平成なテイストとも言えます。 角地の

ザ・船場な戦後ビル㉛ 道修町界隈…

イメージ
道修町はお薬の町 。 製薬メーカービルが 建ち並んでいます。 これまでブログで 取り上げていないのを 幾つか… 「 塩野義製薬本社ビル 」 薬種商を営む父 吉兵衛のもと 商売を学んだ 塩野義三郎 、 1878年3月17日、 大阪の道修町3丁目12番地に 薬種問屋「 塩野義三郎商店 」創業。 前代の建物の一部が残ります。 かつての建物は台湾総督官邸、 旧朝鮮総督府庁舎を 手がけた 野村一郎 が設計、 1924年に竣工したものでした。 現在の建物の柱は、 前デザインをオマージュ。 「 大阪薬科大学 発祥の地」  でもあります。 今やってる朝ドラ「 わろてんか 」、 主人公 おてんさん の 実家 藤岡屋は老舗薬種問屋、 ただ…モデルとなるお店は 京都にありません。 ただドラマに登場した 町家のオリジナルは現存、 祇園祭 油天神山「 秦家 」さん、 明治2年再建の 「 表屋造り 」。 大阪くらしの今昔館 にある 薬屋さんのモデルでもあります。 シオノギ さんに戻ります。 「塩野義製薬」創業当時は、 主に和漢薬商でしたが、 1886年に洋薬の輸入販売を、 いち早く英語に堪能な人材を登用し、 直接医薬品を輸入、 低価格での販売を実現しました。 「 笑いは薬 」… 「わろてんか」の モデルは 吉本せい さん。 実家は太物屋「紀伊国屋」、 太物屋 とは… 綿や麻の着物服屋のこと、 その昔 呉服屋は絹着物と、 言ったそうです。 1階ロビーには 薬にまつわる錦絵などが、 展示されているそうですが… 平日のみ観れるそうです。 「 日本バルク薬品 」 二階建ての事務所になっていて、 1970年4月 の設立時は ここがスタートだと思います。 日本バルク薬品 さんは、 医薬品原料、健康食品原料の 販売を手がけられている会社です。 当初は住居兼だったのかも… 沿革によると… 「1995年7月 隣接ビル購入」 おそらくこのビルのこと。 そして… 「2004年7月 本社ビルを購入」 日本バルク薬品第2ビル、 本社所在地はこちらに。 ビルそのものは1970年の竣工… タイルでの仕上がりの ゴミ置き