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熊本たてもの めぐりん⑪ 熊本市民会館

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熊本市民会館 こと シアーズホーム夢ホール 。 熊本城の 行幸坂 への道すがら 1826席の十二角形のホール棟… そして会議棟から構成。 ホール棟は45mの直径を持つ 鉄筋コンクリート造りの 大架構となっていて、 折版構造 を発展させたもの… 外壁タイルは「 肥後かすり 」の 模様を表しているそうです。 舞台改修やバリアフリー工事など… 定礎石に 昭和42年と刻まれる。 1967年の地上4階地下1階。 2007年8月 熊本で初となる ネーミングライツ の 導入が意図されたが、 リニューアルに間に合わず… その後2008年7月から、 「 崇城大学 市民ホール」、 2012年4月からは、 学校法人が契約を継続、 「市民会館崇城大学ホール」。 現在は熊本市本社の 地場住宅メーカー 「株式会社 シアーズホーム 」 との契約で、 「 市民会館  シアーズホーム夢ホール 」。

熊本たてもの めぐりん ⑩ 長崎次郎書店

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森鴎外 の『小倉日記』 「書肆(しょし)の  主人長崎次郎を訪ふ」     と記される 長崎次郎書店 、 城下町の風情が残る新町にある。 「 新鳥町商店街 」の看板、 1965年まで鳥類を扱う商家が 並んでいたとのこと。 2007年から… 「 静観堂 」の扁額がかかる 実は1800年代初め、 細川家の指物師として 京都から移ってきた。 「静観堂」の屋号で 道具屋 を 営んだのが 長崎伊太郎 さん。 1872年の学制発布を受けて、 長崎家次男である 次郎さん が 書店を開業してこの名に。 人力車で 教科書を配布 、 その原簿が残されています。 「熊本県内の子供へ、 一人残らず教科書を届ける」 、 この書店はそんな使命で、 営み続けられたそうです。 軒の出の小さい屋根、 2階の連続する変形アーチ。 障壁風の壁の上部に 設けた小屋根がオモシロい。 軒廻りの装飾などなど 文化遺産オンライン には、 「 外壁は煉瓦で固める 」 とあるが… スクラッチタイル と お見受けします。 2階に喫茶室 2013年春に諸般の事情で休業、 政府刊行物扱いの書店だったとか… 熊本県菊陽町の インドネシア産豆専門店 「 岩下珈琲 」から仕入れる。 内装は木と 珪藻土 の壁が基調。 以前は住居や倉庫などに 使われていたそうです… 内装工事から開店まで 、 試行錯誤があったそうです。 行き交う 路面電車 を 眺めながら… こだわりのコーヒー 買ったばかりの本のほか、 喫茶室内にも絵本なども、 ぜいたくな空間。 お昼どきだったので、 こだわりのカレーライスも。 こちらお土産のコーヒパックと J・どら焼き。 再スタートは、 昭和期にのれん分けした 長崎書店が経営を継承、 文芸・芸術・児童書などのほか、 雑誌やコミックに力を入れて… 喫茶室には 『 すすめ!!パイレーツ 』の 江口寿史 さんのサイン本。 建物は1924年に建築、 東京・丸の内の三菱レンガ街、 などの 保岡勝也 さんの設計、 三菱鉱業 若松支店 、 第八十五銀行 本店本館 、 山吉デパート な

熊本たてもの めぐりん⑨ 船場橋

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「あんたがたどこさ 肥後さ  肥後どこさ 熊本さ  熊本どこさ せんばさ  せんば山にはたぬきが居ってさ  それを良士が鉄砲で撃ってさ  煮ってさ 焼いてさ 食ってさ  それを木の葉でちょいとかぶせ」 熊本のチン電 洗馬橋停留所 … 電車が近づくと、 誰でも口ずさめる メロディーがのんびり響く。 商店主らによる 「肥後てまり唄顕彰会」が 1992年に建てたタヌキ親子。 ほど近い 熊本中央郵便局前 の ポストの上に立つ 「 せんば郵太 」も。 5年前に落とし物の手袋が はめられていたのキッカケで、 局員の人たちが着付けを 続けておられるそうです。 かつて物流の大動脈だった 坪井川 の船着場として繁栄、 船場柳御門 は熊本城下の南東、 船場橋から山崎町方面を監視する 関所門でした。 明治のころはこんな感じ… 橋には「 船場橋 」とあります。 タヌキに… 手毬 のレリーフ で・・・これは何?? エビ のようです。 実は「肥後てまり歌」、 その二番はこんな歌詞。 「あんたがたどこさ 肥後さ  肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ  船場さ船場川には えび さがおってさ   それを漁師が網さで捕ってさ   煮てさ 焼いてさ 食ってさ」 タヌキだけじゃ なかったんですね。 この 白いタヌキ が 洗馬橋界隈の一番の古狸。 船場橋の近くの 文林堂 と いう 画材屋さんの三代目 丹邉恭平 さんが、 戦前に横浜の大学生だった頃、 地元に『あんたがたどこさ』を 「示すものがないのは残念」と、 自ら建てたものだそうです。 1959年9月9日のこと。 作者は東京美術学校出身の 彫刻家 西村虚空 という人。 「目にはガラス瓶が埋め込まれていて、 中に電球が入っていて、 できた当初は目が光っていたそうです。 また小便小僧のように水が出ていて 水飲み場になっていました。」 今は目も光らず水も出ていませんが、 熊本の街を見守っているのです。 文林堂 外壁の詩碑 徳富蘆花 作詞「 船場川 」 「船場川 まちうらつゞき  きさらぎの 雨ふり来れば  紅白の梅はしたゞり  柳はけぶる  川面に立つや 雨あしの  それよりしげき 思