2015年4月29日水曜日

ゼロロクの尼崎⑧ あましん


尼崎といえば
あましん僕らの貯金箱」で
おなじみの尼崎信用金庫さんです。
有限責任尼崎信用組合の初代組合長
小森純一さんが所有していた洋館は、
今は「尼崎信用金庫記念館」として…

尼崎信用金庫の前身であった
1921年(大正6)に
有限責任尼崎信用組合設立された
当初に本店事務所であった建物。

構造は煉瓦造から復元するときに、
鉄筋コンクリート造に改築されましたが、
外装の煉瓦や石材、内装の建具等は
旧部材が用いられているそうです。
レンガ面がすこし粗くみえるのは、
解体のときに一個ずつ外したときに、
少し傷めてしまったのかもしれません。

近年は歴史的建造物の保存も、
旧建物の風合いが絶妙に残して、
維持されるようになりました。
中之島のダイビル
ファサード保存なんか完璧ですからね。
尼信の改築は1972年のことですから、
技術の進歩を感じさせます。

記念館の南側にあって現在別館の
旧本店をはさんで立つのが、
1930年(昭和5)竣工の旧 尼崎信用組合本店

いまは
世界の貯金箱博物館」になっていて、
内部は無料で公開されています。



CMでおなじみの
あまちゃん・しんちゃん」。

虎次郎の小さいころは銀行の外交員さんが、
よく銀行の貯金箱をくれたものです。
真ん中の「ワンサくん」がウチにいてました、
三和銀行さんのキャラクターでした。

企業キャラ貯金箱のなかに
ナショナル坊や」を発見!!

「尼信記念館」の貯金箱も!!
現在内部は非公開なのですが、
煙突があるのでマントルピース…
ぜひともに見てみたいです。

そして尼信といえばタイガース!!
タイガースモノの貯金箱もずらり。

優勝そして日本一だと利率アップの
定期預金ってのがありますからね。
今年も尼信に定期貯金しましたから…
そろそろ高利率を期待しています。
さくら銀行を経て三井住友銀行となった、
太陽神戸三井銀行が配ったとされる
プロ野球少年貯金箱」。
 埼玉西武ライオンズの前身、
クラウンライターライオンズ。
 Hマークの勇者 阪急ブレーブス。
 ロッテはかつて「オリオンズ」でした。
南海ホークス!

ホエールズだったころの大洋のは、
横浜大洋と川崎時代の湘南カラー
 阪神タイガースのは…
なぜか上半身に縞が入っていません??
カレーをこぼしたのか?といわれた、
ダサユニを先取りしたのだろうか???
ナゾは深まるばかりである。。。

「尼崎信用金庫記念館」

建築年:不詳(明治中期)
改築年:1972年(昭和47)
構造 :復元後 鉄筋コンクリート造2階建
          復元前 煉瓦造2階建
所在地:尼崎市桜木町2番地
【兵庫県景観形成重要建造物】
【尼崎市都市美形成建築物】

2015年4月18日土曜日

ゼロロクの尼崎⑦ 櫻井神社

尼崎藩の歴代藩主の名は櫻井
1882年(明治15)に
尼崎藩主松平氏の祖である、
櫻井信定を祭神として、
旧藩士の有志が旧城内の
西大手橋東詰に建立したのが
始まりなのだそうです。
旧尼崎城の九曜紋入りの瓦。
櫻井信定は戦国の世に勢力を広げ、
三河安城の地に基盤を
築いたのだそうです。
ただ七代目 忠頼が、
若くして28才で亡くなり、
お家断絶なったのであるが、
十代目 忠喬の代になって、
遠州掛川より
尼崎城に移封してきのだそうです。
城主は代々文芸に優れていたと伝わる。
尼崎三代目城主の忠告の句が
境内の石柱に遺されています。
まづ霞む 竈々や 民の家
そしてここは日本赤十字社
発祥の地でもあります。
最後の城主となった忠興は、
187年(明治10)の西南戦争のおり、
敵味方区別なく戦傷者を看護されとか…
それ故ここが世界赤十字に認められ、
日本赤十字社の誕生に繋がります。

境内にいた「多賀得 タガエル
カエルの子のオタマジャクシは、
お多賀杓子が語源となのだそうです。
その役目から すくい取る、めし取る」、
幸運を招き寄せる力を秘めているとか…
摂社には日本の国土を創りだした神、
夫婦和合の神「多賀社」が居られました。
学問の神として「契沖神社」とともに。
契沖は13歳から高野山で学び、
阿闍梨となった真言宗の僧侶でしたが、
万葉集をはじめとした
歴史的かなづかいの研究者として
画期的な業績を残した「古典学者」。

江戸時代の初期1640年(寛永17)に
生まれたのがこの辺りだとして、
尼崎市を中心に活動する
契沖研究会さん建立の石碑が
ほど近くにありました。

契沖の父・下川元全は、
もとは熊本藩加藤氏の
家中だったそうですが、
契沖生誕時がちょうど、
尼崎藩に仕官していた時でした。

話はすこし逸れますが…
元禄文化の担い手たちには、
武家出身者が多いようです。

松尾芭蕉は伊賀上野の郷士出身で、
その後 俳諧の道を極めます。
貝原益軒は下級武士の子ですが、
儒者として仕官するまで
浪人生活を経験しています。
近松門左衛門も父は元福井藩士とか。

当時はこれら文化人を支える
パトロンとなれるだけの力を持った
庶民が存在していたということ。
元禄文化のひとつの特徴でもあります。

2015年4月12日日曜日

ゼロロクの尼崎⑥ 阪神尼崎のレンガ倉庫

阪神尼崎駅に停まると
いつも見える赤レンガ。

古くは火力発電所として
使われていたそうで、
いまは阪神電車の倉庫として、
利用されてるそうです。

赤レンガの趣ある雰囲気が
歴史を感じさせます。

阪神電鉄の開業は
1905年(明治38年)のこと。
3年後の1908年には
電力事業も開始したそうです。
発電された電気は
主に電車の走行に使用でしたが、
沿線では一般にも配電していたとか。
例えば九州の西鉄は
東邦電力の鉄道部門でしたし、
京福電鉄は京都電燈の鉄道部門、
関東圏でも京急は大師電気鉄道、
江ノ電は東京電燈、
箱根登山鉄道は日本電力…
東急も京王にも
発電事業部門がありました。
火力に限らす水力発電所
保有していたところも多かったそうです。
不動産開発を進めていた電鉄会社は、
宅地開発には
電気を引くことが必須のアイテム。

なかでも京阪電車の沿線の宇治には、
宇治川電気がありましたし…
京阪電鉄の発電部門である大阪送電
日本水力が合併した大同電力は、
北陸地方の神通川、手取川などに
大規模発電所を建設、
最終的に大同電力が
宇治川電気に配電させるのですが、
関西の顧客をめぐる争いに
繋がっていったという歴史がありました。
阪神の元火力発電所である赤レンガは、
1905年(明治38)の建てられたもの。
本社の建物はその1年後に完成したので、
ここが「阪神創業の地」とされているようです。
電車と電力の話に戻ります。
電力会社数は、なんと1930年頃には
実に約850社にのぼったそうです。
その後太平洋戦争がはじまって、
電力も国のコントロールが行われます。
1932年には5大電力会社が
三井、三菱、住友、興銀の銀行陣と
逓信省の斡旋によって電力連盟が設立。
実質的な価格カルテルによって、
シェア争いに伴って永年繰り広げられた
価格競争が幕引きとなります。
その後信省は全面的に電力業界に介入、
1938年には日中戦争の勃発を口実に
全ての電力設備は強制的に国有化されて、
9つの配電会社に再編されことが、
いまの電力事情に引き継がれているのです。

「旧阪神電鉄尼崎発電所」

建築年:1904年(明治37)
設計 :茂庄五郎? ※
所在地:兵庫県尼崎市北城内116

茂 庄五郎(しげ しょうごろう)[1863-1913]
明治時代に関西で活躍した建築家。
関西の建築設計事務所設立の草分けとして、
また工場建築を多く手がけたことで知られる。
尼崎紡績技師となり、尼崎工場の設計監督を行った。
1895年(明治28年)に大阪に茂建築事務所を開設した。
東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪において工場建築に着目、
関西の多くの工場建築の設計監督に携わった。

2015年4月5日日曜日

ゼロロクの尼崎⑤ 06のワケ


ユニチカ」の前身である
大日本紡績株式会社貝塚工場の
日紡代表女子バレーボールチームに、
大松博文 監督が就任したのは、
1953年11月27日のこと。
チーム発足後ほどなく、
女子バレーの4大タイトルを獲得。
2年で日本一のチームを」の願いは、
チーム結成5年目にして国内大会制覇。
そして「東洋の魔女」へ。
ニチボー貝塚が主メンバー、
東京オリンピックの出場へと…
ユニチカ・フェニックスは、
現在V・プレミアリーグに所属の
東レ・アローズに受け継がれています。

ユニチカ記念館」の2階は、
さまざまな資料が見られました。
1941年に大日本紡績と合併解散した
岸和紡績」の看板もありました。
鯛といっしょだからゑべっさんかな?
日紡のパッケージいろいろ。
ユニチカの新聞全面広告とか…
2階への階段を見上げると…
新歌舞伎座の緞帳の一部が
掛けられていました。
1974年から1988年まで飾られていた
芳園清唳(ほうえんせいれい)
上村松篁(うえむらしゅうこう)さんの図柄で、
京都の龍村美術織物が作られたものです。
昭和天皇が行来された時の玉座
応接室
マントルピースはシンプルながらも、
装飾性はいまなお色褪せていません。
で…ゼロロクの話を。
兵庫県なのに、
なぜ尼崎市の市外局番は06なのか
1893年(明治26)4月20日に、
当時の尼崎紡績に電話が必要になり、
大阪電話交換局で許可をもらい、
大阪から尼崎の工場まで
自力で尼崎紡績が電柱を立て、
電話回線を引いたのだそうです。
時代を経ても今なお
尼崎市への電話は大阪市内から
市外局番なしでかけられる!!
理由はココにありました。
ゼロロクの尼崎」は続きます。