2010年7月28日水曜日

福岡をゆく 仙厓の「堪忍」を掲げる企業家

門司は出光興産発祥の地。
大正期の倉庫の雰囲気を伝える
建物の外観はそのまま残した
出光美術館(門司)があります。





















出光の創業者である 出光佐三 さんは、
仙厓の絵にとても惹かれていたようで、
出光美術館は仙厓との出会いが
スタートだったと言われています。

併設する「出光創業史料館」には、
窓外の風景も再現された、
往時の様子を伝える社長室
東京・丸の内の本社から内装、調度品などを
そのままそっくり移設してきたのだそうです。

特に豪華というものではなく、
時代を感じさせる部屋にも
なにげに「仙厓の画」が掛けれていました。
仙厓コレクターの本丸の再現です。












創業者の写真の代わりに 仙厓の
「堪忍」の複製画を

掛けさせていたのだそうです。

「気に入らぬ風もあろふに柳哉」

















風は自分で選ぶことができない。
強い風も冷たい北風も
柳にとってもつらいもの、

枝葉を風になびかせて受け流し、
幹はしっかりと立ってい る。



仙厓から始めた美術品のコレクションは、
出光商会は出光興産へと発展していきます。

蒐集への情熱は事業へと繋がったようです。



出光佐三 さん自身は
書や絵画は嗜まれませんでしたが、
「事業そのものが芸術である」
彼の言葉はいまも引き継がれています。



2010年7月27日火曜日

福岡をゆく 上戸彩のラストフーズに遭遇

















駅前にはためく
「門司港レトロ焼きカレー」のもじ。

昭和30年代の門司港にあった
喫茶店が始めた「焼きカレー」は、
余ったカレーをグラタン風に
オーブンで焼いたところ、
香ばしくて美味しい。。。
裏メニューだったのが
定番化したものなんだそうです。


門司港レトロめぐりには、
レンタサイクルを使いました。
受付のおじさんが勧める「焼きカレー」


「門司港レトロ焼きカレーMAP」に
◯まで付けてくれたので、
ランチはそこで食べようと・・・・














第1回焼カレー倶楽部のコンテストで
1位を獲得したのが
「CAFE DINNING BEAR FRUITS」



















ここのは「スーパー焼きカレー」だから特別!
虎次郎はラッシー付きのを頼みましたが、
単品は800円でサラダがつくと950円。

上戸彩さんの
「地球が滅亡する時に
 一番最後に食べたいもの」
がこれやった。

2008年12月のフジテレビの
『一攫千金!日本ルー列島』
という番組で紹介されたらしい。
もうひとつの
「門司港グルメマップ」には
そのことが紹介されていたらしく、
家に帰ってから姪に教えてもらいました。

タイミングよく
「待ち時間ゼロ」 (・ω・)v

この話はかなり有名らしく食べ終わると、
店の外にはかなり行列ができていました。
よくありつけたもんだ。 ほんとラッキーでした。





















お店にあった秘密のスパイスをかけると、
スパイシーさが増してホンマ旨かったです。
「びっくりスパイス」
   として売られていていました。
鳥の唐揚げとかにもエスニックに変身しそう。
ちょっと楽しみです!!!






















「CAFE DINNING BEAR FRUITS」
上戸彩さんとの出会いは2006年のこと。
ドラマ 「アテンションプリーズ」には
門司港駅国際友好記念図書館なんかが、
ロケ地に選ばれていたのだそうです。




















まさか「あやや」のラストフーズに
門司港で出会えるとは・・・・・

ドラマ自体は見たことがないので

こんどツタヤで借りてこようかな?


ところで、ここの「焼きカレー」。
この春に九州地区のファミリーマート
コンビニ弁当として登場したのだそうです。

その後好評だったということで
「玉子のチーズ焼カレー」として
お弁当メニューとして
ラインアップされています。
こちらは398円です(・ω・)v

2010年7月26日月曜日

福岡をゆく 門司港レトロ

夜にしか訪れたことのなかった
「門司港レトロ」・・・

















福岡入りする夜行バスの最終休憩地壇ノ浦SA、
朝ぼらけのなか「門司港タワー」が見えた。
正確には 黒川紀章 氏設計の高層マンション
「レトロハイマート」の31階に展望室がある。

















日清日露戦争を契機に軍需品や
兵士たちを送り出す重要な港であった「門司」
太平洋戦争が終わるまでは神戸、横浜とならんで、
日本三大港の一つとして数えられていた。
大商社や銀行が門司に支店を出すことは、
今で言えば上海に進出することのようなものか。
















門司港のランドマークが「旧大阪商船」
1917年に建てられたもので、
一階は待合室・二階はオフィスとして
使われていたようだ。
高さ27mの八角形の塔屋は飾りではなく、
明かりが灯され灯台の役割も担っていた。

設計は大阪建築士の草分け的存在である
河合幾次 氏の手によるもので、
辰野式の流れを組んでいる建物で、
辰野式フリークラシックの
セッション化??
なんだとか。

2階には『ハートカクテル』で有名な
「わたせせいぞうと海のギャラリー」があった。
門司港レトロのいろんなところには、
わたせせいぞう さんのイラストが描かれた
看板が設置されている。


















わたせせいぞう さんは、神戸市生まれ、
生後まもなく北九州市小倉北区に移り、
高校までは北九州で過ごされていたのだそうだ。
















 「旧門司三井倶楽部」



中国大連との友好都市締結15周年を
記念して1979年にロシア帝国が1902年に
大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を
複製建築したのが「国際友好記念図書館」
レトロではないが「門司港タワー」との、
コントラストが目に映った。

















門司港レトロの玄関口「旧門司駅舎」は、
今も鹿児島本線の起点であるが、
関門トンネルが開通するまでの
九州の鉄道の玄関口はいまや

リタイヤーの色が漂う。
北端に行き止まりでまさに終着駅。
鉄ちゃんらは「盲腸線」なんて呼ぶそうだ。

















1914年に建てられた
九州で最も古い木造の駅舎。
駅としては全国で唯一
国の重要文化財に指定されている。

ネオ・ルネッサンス調の木造建築
で、
ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの
監修の下に建てられたと言われている。

多くの駅で見られる正面口を
タクシー乗り場に占拠されていないので、
噴水でビショビチョになっている姿は、
ゆったりした時間を感じさせる。
「親和性豊かな情景」なんて呼ぶのかな?















大理石とタイルばりの洗面所は、
青銅製の手水鉢 や水洗式トイレに
当時のモダンさを今に伝えている。
















手水鉢の水呑処は駅開設からあるもので、
戦前の海外旅行帰国者をはじめ終戦後の
復員や引揚の人達に愛された存在。
門司上陸の安堵の思いで喉を潤したところから、
誰からともなく「帰り水」と言われるように
なったという逸話が残る。


門司に税関が置かれたのが1909年のこと、
1912年に建てられたのが「旧門司税関」


















第二次世界大戦での空襲を受けて損壊、
その後は倉庫になっていたのだが、
やがて屋根がなくなり2階が崩れ落ちて
廃墟と化していたそうだ。


そんなレンガの山を北九州市が
観光資産として目を付けたのが、
「門司港レトロめぐり、海峡めぐり推進事業」
















失われていた塔屋部分は
特注の赤煉瓦で積み上げ、
屋根と瓦葺きを支える木組は
改修時に新調され、
2004年に今の姿を取り戻した。
















ただ「門司港レトロ事業」には、
こんな意見もあるそうだ。

「門司港レトロ」から不要の烙印を押された

「冴えないレトロ」が根こそぎ撤去され、
隙間だらけになり、息づかいが途絶え、
生活臭さが消えて懐古趣味が横たわる。















 

 「旧明治屋門司支店」レリーフ



「密集地にあるべき建物が周囲をなぎ払い、
 街の匂いが消えた。
 これは大正レトロテーマパーク」だと。

日の高いときに久々に訪れた門司港。
下たる汗を拭いながら〜

時間軸をもういちど振り戻す試みって
本当に難しいことなんだなぁ〜と。





福岡をゆく 球宴の可愛いヤツ














オールスターでは
練習時やホームランダービーのときに
「プラクティスユニフォーム」ってので
登場することになっています。
2008年の京セラドームで
初お目見えやったと思います。


今年のユニは開催地がイメージされています。
セが新潟の日本海に浮かぶ
夕日のオレンジと日本海のブルー
パが福岡の玄界灘の深い海の色である
黒と紺が採用されていました。

虎次郎的に言うと
あれは「ジャビカラー」。。。
あのサウナタオルのようでもあり。



















虎次郎が行ったヤフドのB指定席は、
このユニがプレゼントされるんでしたが、
各試合32名ずつということでした。
奇跡は起こりませんでしたが。。。

それにしてもオールスターのチケは、
完売だったはずなのに空席がチラホラ。
ネットオークションの影響でしょうか。














リーグを越えて自主トレをやったり、
交流戦などもあるので、
ゲーム前は練習よりもダベリがあちこちで、
















でも平野選手の練習は真剣そのもの。
打撃練習では最初は阪神ヘルを被って、
まずはバント練習から・・・
ゲージからでるときもペコリ。。













ダルビッシュが
平野選手のところまで、
挨拶にきていました。

後輩にも
丁寧にペコリ。。。
行儀の良さを
再認識しました。



















オールスターといえば
キャラクター交流も定番になっています。
入場式には球団キャラとともに、
少年少女が選手を送り出していました。

虎次郎の夢のような夜は
チョット早い夏休みとなりました。


DAIAMOND DREAMS をハシゴする オーサカ編


















DAIAMOND DREAMS
これで3箇所目。。
あとは福岡と仙台だから、
ハシゴもこれが
最後ってことになる。

















エントランスゲート前は人工芝に
後楽園のリリーフカーが並ぶ。
奥のアーチは蔦の絡む甲子園か?


















12球団のユニフォーム展示はついに、
レッドから新会長の鳥谷
に変わっていた。
そういえば中日も荒木2から
森野30
にようやくチェンジ。
 (↓名古屋会場のビジユニたち)















阪神百貨店の催事スペースって、
天井も低いしあまり広くないので、
ちょっと心配していたのだが。。
混雑時はかなり
ごった返していたのではと思った。
















野球グッズたちのカプセル
メンコ、ベーゴマに、
カルビーの
プロ野球チップスカードが並ぶ。




















85V戦士のコレクションたち
カプセルにあるのは
バックスクリーン3連発トリオもの。
掛布雅之31のユニ、
岡田彰布のバット、
ランディ・バースのファーストミット。




















和田豊  6 真弓明信 7 岡田彰布16
中西清起19 木戸克彦22 平田勝男30
監督、コーチ陣たちが壁を飾っていた。









福岡をゆく 仙厓さんを訪ねて

手塚山通信でたびたび紹介した仙厓さん
この博多の地に仙厓さんを
こよなく愛した菓匠がおられました。

















「石村萬盛堂 」
須崎本店 ‎があるのは、
福岡市博多区須崎町2−1。
ここは「福博」といわれる境目で、
博多祇園山笠のクライマックスである
「追い山」の廻り止がここにあたります。

山の舁(か)き棒の先端が入る瞬間は、
本店の二階で計測されてきたそうです。
1トンもある山が疾走し決勝点となるのが
この地にあたるそうです。

ところで、
先代の社長の 石村善右 さんは、
商売の傍ら博多にある「聖福寺」という
日本最古の禅宗寺院に通い、
禅の修業を重ね、書を学ばれたそうです。













聖福寺
山門
 江戸期に山門は焼失したが、
 「扶桑最初禅窟」の勅額は
 幸いに落下して焼失を逃れた。

 地下鉄空港線「祇園」より 徒歩約5分



先代社長は仙厓和尚を心から尊敬し、
作品の収集を続けたのだそうです。
現在は福岡市に寄贈され福岡市美術館
「石村コレクション」として
広く愛される存在となっています。

お店には 石村善右 さんが、
筆を取られた『仙崖百話』も売られていました。


和菓子にも仙厓さんゆかりのものがあり、
・仙崖さん もなか
・仙崖さん 阿の月
・仙崖さん 寅焼き がそれです。


















「阿の月」
プラリネクリームを
はさまれた卵風味のせんべい


「石村コレクション」
    のひとつ、
「指月布袋図」にある
「阿の月か落ちたら
  誰にやろうかひ」
     から来るもの。









仙厓さんの「寅やき」のパッケージ。
「虎を描いて猫となす」という
画賛がついた絵。
2008年に紹介したことが
あった愛嬌のある虎です。















北海道産の小豆が
ふっくら生地に
挟まれている
「どら焼き」







「もなか」には仙厓さんの印号。

一つ一つに小さな短冊が付いていて、
仙厓さんの句が添えられています。
















虎次郎が食べたのには
「太宰府うそかへ
 世の中の うそとうそとにかへがへに
 かへて與へん 我は誠を 」 とありました。

太宰府天満宮の鷽替え 神事のことです。














「石村萬盛堂 」 さん
看板商品は「銘菓 鶴乃子」
いまでは福岡のおみやげ屋では、
どの店でも目にすることができる
福岡土産の定番モノになっています。

もともとは専門に作っていたが 鶏卵素麺
黄身のみを原材料とするので、
大量に余ってしまう白身を有効利用したのが、
このマシュマロで中に黄身餡が入ってあります。


















最初は玉子の殻に淡雪と餡をつめたものが、
明治40年代に舶来のマシュマロの技術を
導入して今日に至っています。

この「鶴乃子」ですが賞味期限を表示する
かわりに箱の中に松の葉を入れていたようです。















鶴と松はオメデタい組み合わせですが、
白い箱には緑が映える。

「鶴乃子」固くなってしまうまでの日数と、
松の葉が深い緑から茶に変色するまでの日数が、
ほぼ同じだったからで、
湿度による変化もほぼ相応しているそうです。

現在は日数表示になっていますが、
単に日数が表示されているよりも
合理的かも知れませんね。
















仙厓さんの書画とは対象的に
奥に鎮座するゆるキャラが、
マシュマロ大使の「マフィ」と「マフィーズ」

実は1977年から始まったといわれる
ホワイトデー を仕掛けたのが
三代目社長の石村善悟さんで、
当初マシュマロデーとして
スタートさせたのは
「石村萬盛堂 」 さんなんです。





ご当地のハリーホークとの
  コラボパッケージもの