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8月, 2012の投稿を表示しています

虎と鯉のレジェンド・・・

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週末のズムスタ・・・ 行って参りました(・ω・)v レジェンド ユニシリーズの復刻ユニ。 試合の方は1勝1敗1分で喧嘩両成敗??? 26日の試合前に行われた、 掛布と北別府の名勝負もファーボールでした。 土曜日の試合にはサンテレビの中継で、 大写しされたとか。。。。 多方面から連絡をいただきました。 きっとレジェンドユニを纏って、 Oの復刻帽子をカブっていたからでしょう。 そう・・・こんな出で立ちで(・ω・)v 2013年に旧広島市民球場周辺で行われる ひろしま菓子博2013のゆるキャラ 「 かしなりくん 」と一緒に・・・ お菓子の復刻ユニの 「グラウンドケーキ」を撮影してたら〜 きっちり 菓子博のFacebook にも出没。 「 復刻前田写楽Tシャツ 」もゲットしたりと。 楽しい夏の思い出たくさん刻みましたよ!! またゆっくりとご案内しますm(_ _)m

奈良 依水園に楽しむ

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奈良県庁の近くにクルマをとめていたので、 その近くにある「 依水園 」に寄りました。 もともと東大寺 西大門があったところらしいが、 興福寺の塔頭 摩尼珠院の跡に造られたという、 奈良市内唯一の池泉回遊式庭園。 前園は江戸時代に作庭されたもので、 奈良晒(さらし)業者である清須美道清 の別邸、 そして後園は明治時代に 関藤次郎 により作られた。 後園の借景が特にすばらしい(・ω・)v 遠くに若草山、春日山、御蓋山が見え、 すぐ手前には 東大寺南大門 の屋根が覗きます。 紅葉のときとか さらにキレイなんだろうな・・・

東大寺 だいぶつさま・・・

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大学の頃から。。。 ココロを整える場=東大寺 大仏殿。 ちなみ大仏は正しくは「盧舎那仏坐像」で、 大仏殿は「東大寺金堂」が正式な名称だ。 大仏殿は二度焼け落ちていて、 今あるのは江戸時代に再建されたもの。 創建時には11間で86mあったが、 現在は7間=57mでもその大きさは圧巻だ。 正面の唐破風 (からはふ) 下にある観相窓は、 大晦日から元旦かけて開かれて、 大仏さまが顔を覗かせる。 8月7日に行われた恒例の「お身拭い」のお陰にて、 さっぱりとした男前に相まみえることができました! 堂内には歴代の大仏殿の模型が並べられている、 こうして見比べると大きさの違いは歴然だ。 実は南都焼討である治承の兵火で罹災する前の、 大仏殿の面影が「 信貴山縁起絵巻 」に残っている。 大仏は黄金色に輝き、眉は青、唇は朱が見えます。 現在の大仏は胴体が鎌倉時代、両手が桃山時代、 少し面長になった首から上の頭部は 江戸時代に再鋳造されていると言われています。 そして... こちらは大阪万博に出展された 「 大阪万博の七重の塔 」の相輪も観てきました。

東大寺ミュージアム 西大門に思いを馳せる

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朱雀大路に次ぐ大路であった二条大路には、 かつては東大寺西大門というのがあって 威容を誇っていたのだそうです。 南大門級の規模での西大門は、 平城宮への東大寺の正門だったのですが、 戦国時代に大風で倒壊、 その扁額を南大門にほど近い 「 東大寺ミュージアム 」で見ることができました。 「東大寺ミュージアム」は 2011年10月10日にオープンした施設で、 もと東大寺学園があったところに建てられています。 額に刻まれてる「金光明四天王護国之寺」の字は 聖武天皇の筆によるもの伝わります。 東大寺の国分寺としての正式名称が刻まれている。 梵天・帝釈天・四天王・金剛力士の 八体の仏像が付けられていて、 その大きさから門の威容さが伝わります。 写真:「 Lmaga.jp 」より ミュージアムの最大の見どころは、 修復中の 法華堂 からお引っ越ししてきている 本尊・国宝不空羂索 (ふくうけんさく) 観音像と、 日光、月光 (がっこう) 両菩薩像の3体。 織り上げの格天井や朱塗りの柱など、 法華堂の内陣がそのままに。。。 間口は実際の須弥壇と同じ幅なのだそうだ。 それと。。。 お気に入りの法華堂伝来の 弥勒仏坐像。 「 試みの大仏 」も今はここに置かれている。 大仏の元になったとも伝わる仏像。 いつもながら、なんかホッとさせられる。

東大寺 南大門を見上げて...

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青空に映える東大寺 南大門を見ると、 遠足に来たような気分になるからフシギ。 藤原時代の末に宋から伝わった建築様式で 建てられている二重門、 実は「大仏様」という建築様式で建てられた 純粋なカタチを残しているのはこの南大門と、 兵庫県にある 浄土寺浄土堂 だけなのだと言われる。 大仏殿を始めとして灰燼に帰した東大寺の再建に 力を尽くした 重源 の復興事業で残る建造物は、 実はこの南大門が残るのみなのである。 大仏殿は建久元年(1190年)年に再建、 南大門は正治元年(1199年)に行われたのだが、 大仏殿の方は… 戦国時代の永禄10年(1567年)にも焼失、 現存しているのは 宝永2年(1705)再建の三代目である。 大仏殿が目前に見えてくるし、 ついつい阿吽の像に見とれがちだが、 見上げてみると 何段もの「 貫 」と呼ばれる水平材が見事。 実はこの貫こそが、大仏様最大の特徴だと言われる。 シンプルであるが故の合理的な建築法は、 高い耐震性を持っているのである。 ちなみに阿形は運慶 (うんけい) と快慶 (かいけい) 、 そして12人の仏師の手によるもの。 吽形は定覚 (じょうかく) と湛慶 (たんけい) の作品。 吽形が「 うんけい 」という訳ではない。。。 そして軒を支える組物は、 「挿肘木」 (さしひじき) を六段に組んだ 「六手先」 (むてさき) と呼ばれるもの。 柱と貫とで構成される大仏様は強度が高く、 また使用する木材も少なくて済むのが特徴で、 豪快で大陸的なフォルムを形作っている。 内部の貫のピッチが二層目の屋根の レベルまではだんだん広くなっている。 見上げた時に高く見えるのはこんな理由だとか。

洋館 博物館めぐり 奈良国立博物館

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奈良国立博物館 旧本館は煉瓦造りに石張り。 ネオバロック に フレンチルネッサンス の外観は、 まさに装飾であふれている。 かつての正門である西側玄関には、 コリント式オーダー が立ち並ぶ。 そしてここかしこにに「 メダリオン 」。 ただ、廃仏毀釈で荒廃した古都の仏教美術を 守るために造られた博物館の姿は 純西洋風 、 「 美観を損ねる 」と批判の的となったという。 その影響で近くに新築された奈良県庁舎などは、 寺社を思わせる和風の外観となったのだとか。 基礎は愛媛県の伊予大島産の花崗岩で、 桁や窓縁は神奈川県産の沢田石が使われている。 こちらは東側の入り口。 夏らしい表情を カメラに収めることができた(・ω・)v 「奈良国立博物館本館 」(旧帝国京都博物館) 建築年:1894年(明治27) 設計:片山東熊、宗兵蔵 構造:煉瓦造平屋建て、桟瓦一部銅板葺 【国・重要文化財】

洋館 博物館めぐり 京都国立博物館

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 京都国立博物館の設計は 片山東熊 (かたやま とうくま) 、 のちに赤坂離宮を設計した人物ですが、 いわゆる宮内庁匠寮で皇室関係の建築をした人です。 「 西洋風の建築が京都になじまない 」として、 当初は、反対運動もあったそうですが... 建物は「帝国」の威厳を感じさせるもので、 「左右対称の厳然たるフレンチ・ルネサンス様式」で、 本館正面に置かれたオーギュスト・ロダンの彫刻 「 考える人 」が大きなアクセントになっています。 正面上部の彫刻のモチーフは 建築、 美術工芸の神とされる 毘首羯磨 (びしゅかつま) と伎芸天 (ぎげいてん) 。 1895年の 開館当初は「帝国博物館」で、 開館から3年後には「京都帝室博物館」と改称され、 さらに、1924年の皇太子の成婚を記念して 京都市に下賜され、 「恩賜京都博物館」と改称されました。 第二次大戦後の1952年3月までは 京都市の管轄下にあったようですが、 1954年4月に再び国立となって 「京都国立博物館」と改称されているので、 おそらく正面の文字は当初のものではないと思います。 屋根は桟瓦葺で一部スレート(粘板岩)及び銅板葺、 外壁の要所に石が用いられ、 正面中央には大きな妻飾りをもつ 玄関を設けられています。 通気口 南面出入り口の飾り 「京都国立博物館」 (旧帝国京都博物館) 建築年:1897年(明治30) 設計:片山東熊 構造:煉瓦造2階建 【国・重要文化財】