2016年6月23日木曜日

ライトのワーク山邑邸vol.2 大谷石とコンクリート


2階応接室の
嵌め殺し(はめごろし)の大窓、
山邑邸の建材の主役 大谷石
幾何学模様がお出迎え。

大谷石は帝国ホテルのみならず、
日本でのライトの業績のほとんどが
大谷石によって建てられています。

軒庇先、花台。

帝国ホテル建設のころは、
ちょうど国会議事堂の工事が
進んでいたそうです。
建築材料は
全て国産品という規制があって、
大蔵省には国内産石材標本室
設けられていました。

そこで出会ったのが大谷石です。

もとは石川県産の「蜂ノ巣石」を
求めたそうですが…産出量が少なく、
よく似た栃木県宇都宮市近郊産の
大谷石」にたどり着きます。

大谷石の特徴である穴のことを
「みそ」というのですが、
掘り出される前には穴はないそうで、
シミのようなものが変化してきます。
当然ながら複雑に刻まれると、
大谷石の穴はより際立ってきます。

ライトはこうした石の素顔を
引き出しています。
 

実は…
蜂ノ巣石は赤みを帯びた暖色系
大谷石は青みのある寒色系です。
石材の変更にライトが
どう感じていたのかは、
文献として遺されていないのです。
印象が変わっていたかも知れません。

大谷石の幾何学文様…
丸グローブブラケット
飾りバンドにも施されていました。
質感の違いにも調和を感じます。

もうひとつの建材の「コンクリート」。
外壁の飾り石はコンクリートで、
植物を抽象的にデザインしたもの。
コンクリートブロックは
鋳型で大量に複製できるので、
手間を省きながら
安定した品質が確保したのでしょう。

屋上にあがると、
コンクリートが装飾の主役に。
日本の多湿多雨な気候風土を、
ライトが配慮して設計したか
どうかについては、
また別に綴りますが、ここではあまり
大谷石は使われていません。

コンクリートの質感に
惚れ込む建築家の登場は、
最近になってからですが、
ライトはコンクリートの可能性を
早くから希求した人でした。
そしてライトには
テクスチャー」という考え方が
あったと言われています。

テキスタイル=織物の意、
テクスチャーはつまり織られたもの、
パターンのブロックが積み上げ方、
組み合わせの妙によって、
豊かな陰影を作り出されています。

工法の簡素化による生産性の向上を
目指していたライトは、
現代の大量生産とは違った、
空間のプロポーションを目指し、
意匠性とを踏まえ、
住宅の量産化を
強く意識していたのです。

※「ライトのワーク山邑邸」のブログは、

ライトのワーク山邑邸vol.1 ホームから望める洋館


阪急神戸線の芦屋川駅は、
芦屋川に直交するかたちで
ホームがあります。
芦屋川の川上に山裾のこんもりに、
ヨドコウ迎賓館」が見え隠れ…

コンクリート造りなのに、
なぜか周囲の緑滴る自然と融和、
カモフラージュしているようにも
感じさせます。
アメリカ合衆国が生んだ
建築の巨匠
フランク・ロイド・ライト
1918年に設計した住宅建築です。

もとは灘の酒造業を営む八代目
山邑
(やまむら)太左衛門さんの別邸。
設計図が出来上がり、
設計料は支払われたのですが、
あの帝国ホテルの竣工さえも、
見ることなく
ライトは帰国してしまったとか。

途中 地元の人が名付けた
ライト坂」急勾配…

右手に建物最南端の
2階バルコニーが
ようやく姿をみせてきます。

1953年に人手にわたって、
別荘とか事務所に使われたのち、
戦後 淀川製鋼所の所有となり…
社長社宅、社員寮などを経て、
マンション計画で取壊しの
危機に見舞われます。
その後…重要文化財としての
評価がなされるに至って、
この地で
立ち続けることになりました。

玄関前の大きな花台。
大谷石でつくられたもので、
アメリカでは垂れ下がる
植物が置かれることが多いそうです。

長いアプローチの末
たどりついたのが、
車寄せ付きの玄関。



そして左奥へ…
何処が入口??と迷ってしまう、
向かって左側に入口がありました。

大人一人ほどしか通れない
そんな間口しかありません。
知る人ぞ知る隠れ家の雰囲気。

中央部には水が流れる仕掛け
手入れが行き届いていました。

振り返ると芦屋の街並み、
そして神戸港が臨めるベランダ。

コンクリート造りの部分にも、
変化が付けられていました。

館内にあった模型をみると、
段々畑のように整備された
丘陵に段違いに建てられている
ことがよく分かりました。

ライトは設計に取りかかる前に、
建設予定のこの地に
足を運んだそうです。

「夜行の急行列車で神戸に着く。
 朝から太陽の照りつける暑い日。
 芦屋の背景の六甲山系は、
 土の見える裸山。
 これは東京とは違って
 亜熱帯と理解したのだろうか。」
と。

同時期にロサンゼルス周辺の住宅を
手がけた「バーンズタール邸」。
酷暑から逃れるシェルター型住宅。

厚いコンクリート壁…

熱射を防ぐが風の流れを作る。
そんな工夫がそこかしこにありました。


「旧山邑邸 ヨドコウ迎賓館」

建築年:1924年(大正13)
設計 :フランク・ロイド・ライト(原設計)
    遠藤新、南信(実施設計)
構造 :鉄筋コンクリート造、4階建
所在地:兵庫県芦屋市山手町173
【国 重要文化財】

※「ライトのワーク山邑邸」のブログは、

2016年6月21日火曜日

岸和田モダンをあるく〜蛸地蔵駅


「岸和田モダンをあるく」

ラストは…
帰りしなに南海電車に乗った
本線 蛸地蔵駅舎です。

大正末期に建てられた、
屋根が折れ曲がった妻面を
正面と左右に見せる洋風駅舎。

見どころはステンドグラス

戦国時代に岸和田城主と
根来・雑賀衆の

岸和田合戦が描かれています。

岸和田城は根来・雑賀衆に
攻められ落城寸前に、
その時、大蛸に乗った一人の法師と
数千の蛸がどこからともなく現れ、
凄まじい勢いで敵兵をなぎ倒し、
城の危機を救ったというお話。

その数日後、
城の堀から矢傷・弾傷を
無数に負った地蔵が発見され、
城内に大切に収められました。

こちらが…
岸和田南町の「天性寺」に伝わる
蛸地蔵(聖地蔵尊)縁起絵巻」。

見れるのは年に一度の
蛸地蔵「千日大法会」だけとか…

ちなみに「蛸断ち祈願」という、
このお寺らしい願の掛け方。
お地蔵さまに願いが届いて、
ご多幸に恵まれる??
のやもしれません。

天井の照明に
テラコッタ。

壁には陶板画がありました。

下り線の駅舎はこんな風でした。


「南海蛸地蔵駅舎」

建築年:1925年(大正14)
設計 :南海電気鉄道

岸和田モダンをあるく〜五風荘


岸和田城の近く「五風荘」へ。

がんこ岸和田五風荘」としての
オープンは2009年9月からとか…
天ざるとネギトロ巻セットを
いただきました(・ω・)v

もともとは岸和田城二の郭の
新御茶屋 薬草園の跡地に建てられた
寺田財閥当主家別邸でして…

1929年(昭和4)から10年かけて、
岸和田の富豪 寺田利吉さんが
造営されてものです。

岸和田にゆかりの深い
楠正成に因んで
南木荘」と
称されていたそうですが、
利吉の諡号 五風院より、
「五風荘」に改められました。

こちらは、
敷地内に三つある茶室のひとつ。

八窓席」という名。


1990年ごろに
マンション建設計画が
持ち上がったのですが、
岸和田市土地開発公社を経て
岸和田市に移り現在に至ります。

敷地内の建物などは、
1998年に国の登録有形文化財
なったそうですが…

2008年に
岸和田市の指定有形文化財へ。
そうなると…
登録有形文化財抹消されるそうです。
地方自治体でも「指定文化財」だと、
昇格ってことになるらしい。

最近では
朝ドラの「カーネーション」の
ロケ地にもなったことで有名です。