2014年10月29日水曜日

日本シリーズ 勝ちまくれ

棚ぼタイガース」...
7ゲーム差をつけられて
優勝できなかった2014年。
創立80周年のメモリアルイヤーに
あるにも関わらずVを逃した東京読売巨人軍。

夢のようなポストシーズンがいよいよ
佳境に入ってきたのである。
野球を醍醐味を感じられないと言われて、
シーズン後半には退陣を迫るボードが、
レフトスタンドには多く掲げられていた。
和田豊監督自身の問題ではないのだが、
シーズン後半の失速は目を覆うばかり。

和田豊監督は吉田義男さん以来の
虎の日本一監督=名将となってほしいと願う。

「勝つための采配とは、
 勝つことの喜びを教える采配のことだ。」

監督としてイチバン好きな
岡田彰布さんの近著、
プロ野球 構造改革論』にあったコトバ。

ストに発展した2004年から10年たった。
その年の9月18日と19日の2日間は、
台風も来ていないのに試合が全て中止になった。
ストの発端は近鉄とオリックスの合併問題、
最終的には楽天が加わることで
セパ12球団が維持された。

新書の帯に踊る文字は
3部リーグ30球団制!
ページをめくると真意が伝わってきた。
選手会長から貫く彼の主張は
「1リーグ、10球団制」。
自民党の新戦略とかいう
「プロ野球のチーム数を、
 現在の12球団から16球団に拡大する」
ってのとは間逆だ。

岡田さんが願うのは2軍、3軍を充実させ、
プロとして飯が食べれる環境を整えること。
2013年観客動員で経営のボーダーを
クリアなのは平均3万人を超える3球団。
巨人、阪神、ソフトバンク...

♫大阪生まれの 大阪育ち
 君こそ似合うよ 甲子園
 GO! GO! どこかしずかな横顔に
 Let's Go! 秘めた闘志のど根性
 打て打て岡田 かっとばせ岡田
 ペナントレースを つっ走れ


1981年に発売された
Let's Go 岡田』の1番。
岡田さんは熱心な阪神ファンの父を持つ。
ファン以上の後援者だったと呼んでもいい、
現役選手が出入りする家に育った。

虎次郎の阪神ファン歴は長い、
正確には生まれる前からと言ってもよい。

父は野球経験は無いがルールは完璧、
野球に限ることはなくアメフト、ラグビー、
サッカー、テニス、柔道、相撲、マラソン...
季節の移り変わりに応じて、
いつもなんかしらのスポーツ中継が
茶の間のテレビでは流れていた。
何試合かみるとほぼルールを熟知。
記憶力と分析力が抜群に良かった父なら、
ルールブックを読まずとも...
ということだったのだろう。

サンテレビの阪神中継が始まったとき、
当時U局受信のなかった茶の間のテレビ。
父と一緒に2階の仏間に
白黒テレビを据え付けて、
物干し場にアンテナを括りつけた。
阪神はシマシマやから白黒で十分??
当時はカラーユニ全盛やったんやけど。
♫六甲おろしで きたえた腕に
 何のまよいが あるものか
 GO! GO! 君の敵などもういない
 Let's Go! 君は自分を信じればいい
 打て打て岡田 かっとばせ岡田
 その手で優勝 うばいとれ


六甲颪は六甲山系より吹き下ろす山颪。
春と秋に吹くことが多いのだが、
低気圧が北風を吹き込んで、
これが裏六甲に吹きつけ圧縮されると起こる、
気圧の逆転現象...
1勝2敗となった日本シリーズだが、
甲子園に帰ってくるためには、
ホークスの勢いを押し返せねばなるまい。

「阪神の福留孝介を、
 私なら獲らないと書いた。
 他意はない。頑張って欲しい。」

2軍行きとなった福留の姿を知っている。
誰よりも長くグラウンドにいて、
若手にトスを上げ続けていたこと。
1軍に戻ってきた福留が三振したとき
鳴尾のバスが出てまうぞ」とヤジった。

最近の甲子園は野次るな!立つな!と、
事ある度にやたら「注意書き」が多い。
野球場の風景はここ20年様変わりした。
臭いトイレに狭い座席は数段改善されたし、
甲子園カレー以外にも選手コラボ弁当、
選手プロデューススイーツも登場している。

夏のハマスタ...
福留の応援タオルを振りながら、
ドメス一緒に鳴尾に帰ろう」とヤジった。
後ろ席にいた関東の虎党から、
兄さんタオル振ってますよね」と。
愛があるからヤジるのである。
デキル選手が凡退するからガッカリなのだ。

♫白いボールの ドラマはいつも
 君のバットで しめくくれ
 GO! GO! 今日も熱気のスタンドに
 Let's Go! トラのおたけびうずをまく
 打て打てドメス かっとばせドメス
 日本シリーズ 勝ちまくれ


明日にはかけつける!!
   待ってろ福岡!!
イラストは Little seed らくがきやせい さんの 
" らくがき "を使わさせてもらいますた(・ω・)v

2014年10月20日月曜日

さやりん降臨\(^o^)/

うちの学祭にご当地ゆるキャラ...
さやりん」キタ〜〜〜〜〜〜〜\(^o^)/
18,19の学園祭
葡萄祭」に登場したんだりん。

大阪狭山市には日本最古のため池
狭山池」がありま〜〜〜す。
瞳の色は狭山池の水面の青、
髪は大阪狭山市の木である「桜」の花、
そして元気で明るい「竜の子」ちゃんなりよ。
ふだんは狭山池の龍神のほこら におるりん。
おなかはちょっと虎次郎に似てる。。 
夢は立派な龍神になって、
狭山池を守ること
恐竜ではないりん(*▼*)
好きなものは、
狭山名物の「大野ぶどう」とか...
実は学園祭「葡萄祭」の名も、
狭山名物の葡萄に関係があるりん。

大学がここに生まれたのは50年ほど前のこと、
小高い山は「こだはら」と呼ばれていました。
漢字で書くと「高祖原」だったそうです。
校舎の裏にはまだ葡萄棚が残されていて、
何年かは葡萄が実をつけていたそうです
嫌いなのは「狭山池をよごす人」...
狭山池の周り咲き誇る桜色の髪の毛、
龍神のこどもらしく角もあるりんよ(*▼*)
グッズもいろいろありましたよん。
 キティちゃんのコラボグッズもあったりん。
 じつは「ハローキティ」はフツーは
カタカナなんだけど...
さやりん✕はろうきてぃ」。
そしてリボンではなく桜を付けてます。
 ゆるキャラグランプリにもエントリーん。
また来年もあいたいりん(*▼*)

2014年10月15日水曜日

ハマの洋館めぐり 横浜生糸検査所

一度紹介したのだけど...
横浜の定宿からほど近いところにあるから、
早起きしてじっくり眺めてみた。
通称 キイケンで親しまれている赤レンガは、
横浜生糸検査所」である。
隣接する帝蚕倉庫と同時期に建てられたが、
「横浜第2合同庁舎」として新庁舎とする際に、
いったん解体されたのだが、
その後創建当時に限りになく復元された。 
 がっしりとした車寄せには、
レンガの柱形に支えられたツクりは気品が漂う。

盾飾りは巨大な「蚕蛾(さんが)」がモチーフ。
蚕蛾とは、カイコが羽化した成虫のこと。
その周りは桑の葉と実が添えられていて、
菊の御紋を胸に抱いている。
生糸が戦前日本の主力輸出品の

品質検査を行う建物を示すに十分の構え。

どこまでが補作なのかは不明だが、
なかなかの秀作なのである。

設計は遠藤 於菟(えんどう おと)
梁を用いないフラットスラブ構造とか...

重要な国策産業の一大拠点の彼方には、
横浜ランドマークタワーが聳える。

「横浜生糸検査所」
→横浜第2合同庁舎
建築年:1926年(大正15)
増築:1931年(昭和6) 再建:1993年(平成5)
構造:鉄筋コンクリート造り4階建て
設計:[旧建物]遠藤於菟
ファサード保存
【横浜市認定歴史的建造物】

2014年10月13日月曜日

ハマの洋館めぐり 旧本町旭ビル

ヨコハマの洋館めぐりの
ランドマークともいえる
本町通りの
横浜開港記念館と向き合って立つ
旧本町旭ビル」。
あの不動産、建築を手がける
綜通グループ
テナントビルになっている。
ジャックの塔に見とれていることが多く、
ついついカメラに収めていなかったのである。
現在のビルは旧ビルをファサード保存、
1995年に建替えられたて今に至る。
両側の玄関周りにテラコッタ、
受けたとされる装飾と伝わる。
1930(昭和5)年に大阪の商社「江商」の
横浜支店として建てられたのだそうです。
江商とは近江出身の北川与平
輸入綿糸の取り扱いを目的として
横浜に創業した北川商店がルーツとか。
コンクリート造の表面にタイルを貼った
昭和初期の典型的オフィスビル。
横浜洋館ライトアップにも
参加しているとか...
また夜にでも眺めてみたいと思う。

「本町旭ビル」
→綜通横浜ビル
建築年:1930年(昭和5)
構造:[旧建物]
    鉄筋コンクリート造り5階建て、地下1階
   [現建物]
    鉄骨鉄筋コンクリート造り10階建て、地下2階
設計:不詳(現建物:日建設計)
施工:大林組
所在地:横浜市中区本町1-3
ファザード保存(1995年)
【横浜市認定歴史的建造物】

ハマの洋館めぐり イギリス七番館

山下公園周辺で見落としてた
洋館のひとつ「旧英国七番館」。
いまは「戸田平和記念館
として使われている。
創価学会の第二代会長
戸田城聖(とだじょうせい)氏を記念して、
1979年より平和や人権といった展示を
一般にも公開してきているところである。
もともとはイギリの貿易会社
バターフィールド&スワイヤ商会の日本支社。
関東大震災にも耐えて生き残った
唯一の外国商館でもある。
創建時の門柱がのこる。
建物は外壁を長手と小口を
一列ずつ交互に積んだ
あの“イギリス積み”で仕上げられている。
玄関には二本の角柱が建てられ、
三連式のベイウィンドウ(張り出し窓)が、
対になっているのが調和の取れたツクり。
窓はすべて上げ下げ窓なのだという。
窓台を支える腕木の装飾には草花の意匠。
目と鼻の先にある「西洋理髪発祥の地」
1989年に建てられた「ザンギリ」。
横浜に最初の洋髪店ができたのは
1869年(明治2)のことだそうだ。
小倉虎吉という人が横浜居留地に
初めて西洋理髪床を開業したとか…

「イギリス七番館」

→戸田平和記念館
建築年:1922年(大正11)
構造:鉄筋コンクリート造2階建て
設計:不明
所在地:横浜市中区山下町
【横浜市認定歴史的建造物】

ハマの洋館めぐり インド水塔

ハマの洋館めぐり...久々にあっぷします。
“洋館”といっていいのか分かんないけど、
建てられたのは1939年(昭和14)、
在日インド人協会から寄贈されたこの塔。
山下公園の一角、大桟橋に近いから、
かえってあまり注目されない。

1923年(大正12年)に起きた関東大震災、
当時横浜に在住していたインド人116人が被災。
そのうち28人の人が命をおとしたのだという。
横浜市民は町の復興のなか、
被災したインド出身の人たちにも
救済の手を差し伸べたのだそうだ。
住む場所を失った方々を横浜に再び招くため、
住宅の手当てなどにも力を注いだのである。

塔と呼ぶにはいたって小ぶりなのだが、
丸いドーム状の屋根が目を引く
寺院建築の様式が取り入れられている。
インドのお国柄を示す美しいフォルム。

実は装飾細部はインド風でもあり、
イスラム風でもあり、
日本風なところもある不思議空間。
単なる水飲み場と言えばそうなのだが、
インド式の建造物は横浜では珍しい存在
震災で犠牲となった人への祈り、
そして、インドとヨコハマをつなぐ
歴史的なモニュメントなのである。
床のタイルも色あせていない。
中で見上げると天井部の装飾が大変素晴らしい、
色とりどりのタイルを使用したモザイク模様
ここかしこの装飾は歴史を知らずとも、
ぜひ足をとめてほしい逸品なのである。

「インド水塔」
建築年:1939年(昭和14)
構造:鉄筋コンクリート造り平屋
設計:鷲巣昌
所在地:横浜市中区山下町(山下公園内)
【横浜市認定歴史的建造物】