2014年4月18日金曜日

『地図で読み解く日本の戦争』を読み終えて…

「つまり、国家の独立をを守るためには、
国境を守るだけでは駄目で、
国境に隣接する地域を保護することが
不可欠だとする考えである。
日本にとっての「利益線」とは、
朝鮮半島を意味した。」
『地図で読み解く日本の戦争』という新書で
はじめて出会った言葉「利益線」。

日本が航空写真に手がけたのは
満州国をつくったころかららしい、
奉天に「写真処」ができて、
空中写真測量事業が開始されたのだそうだ。

「地図は国家 地図は武器」と帯にあるように
地図は国家財産であったので、
まさに生死を分かつ存在でもあったのである。

占領地支配というのが行われていた時代、
占領した都市では、地図の鹵獲(ろかく)。
「ぶんどり」というか、
相手陣営から「かすめる」ことが行われた。
だから前線で戦うときは地図を携行せず、
万一陥落や下野しそうになったとき備えていた。
まさに地図は奪われてはならない
重要なアイテムだったのである。
いわゆる「支那事変」に発する長期戦、
「日本国民がこぞって提灯行列で祝った」
あの1928年を分岐点として、
出口のみえない泥沼戦争に突入していく。
そのなかでベストセラーになったのが
「戦局地図」というものであった。
国威発揚は偏った戦争観が、
「戦局地図」という存在がさらに
膨張させていって「大本営発表」しかない
状況を支えていたようである。

その後の約3年9ヶ月続いた
太平洋戦争=「大東亜戦争」は、
「帝国海軍が予想したような艦隊決戦は
ほどんど惹起※しなかった。
戦争の勝敗を決定づけたのは、
太平洋の孤島をめぐる争奪戦であった。」という。
つまり一か八かのバルチック艦隊撃破以外、
際立った戦略を企図していなかったということ、
いわゆる島の奪い合いである
「島嶼(とうしょ)戦」についての
研究はほとんど手付かずだったようである。
つまり、島々の地図をきちんと
整備されていなかった...
南方線のジャングルで地図なく、
さまよう兵士たちの存在はそんなところに、
理由があったのだという。

※惹起 【ジャッキ】
事件、問題などを引き起こすこと

島嶼戦には陸海軍の連携が必須なのだが、
戦略分野で担当を分けておらず
地域ごとにいわゆる「持ち分」が
決められていたことも問題があったようである。
海軍には当時世界第3位と言われながらも、
「依然として「専守防衛」一本だったのである。
それでいて、
今でいう補給線確保やシーレーン防衛
という発想は皆無であった。」。

地図はみんなのものになりつつあるのは、
グーグルマップという民間の会社の
いわゆるWeb2.0以降のことになる。

ただ、ネットにマッピングする個人の情報は、
その向こう側で移動線として
情報が「行動履歴」として鹵獲されている。
戦略的な地図利用は終わることがないのであろう。

2014年4月13日日曜日

絵にみる和食通③ 名物に旨いもんあり

「絵にみる和食通」3回目は、
名物に旨いもんあり...
江戸時代は基本的には
一般の旅はご法度でしたが、
いわゆる伊勢詣とかの参詣道中はフリー
旅人の往来が盛んになると、
宿場には休息の茶屋に旅籠が形作らました。
赤坂」広重画。

もともと宿屋は食料持参で自炊する
いわゆる「木賃宿(きちんやど)だったのですが、
いつしか参勤交代の本陣にも台所が設えて、
同行する料理人が料理を
担当するようになったと思われます。
こちらは「東海道五十三次」
歌川広重の保永堂版。
鞠子」の名物「とろろ汁」。
品川宿から数えて20番目にあたるのが鞠子、
とろろ汁を食べるの二人の旅人は、
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に
取材するところだという。
こちらは同じ「鞠子」北斎の五十三次。
山芋や仏掌薯(つくねいも)をすって、
味付けした汁にまぜて、麦飯にかけて食べる。
府中」広重画
駿河国に城下町には
名物「安倍川餅」の看板がかかる。
静岡市西部を流れる安倍川河畔の茶屋の名物で、
つきたての餅をちぎって
砂糖入りのきな粉がまぶされたもの。
画面には餅をつく茶屋の女の人の姿と、
つきたてをくちにはこぶ旅人がみゆる。 
 「岡部」広重画
品川から21番目の駿河国の宿駅で、
難所で知られる宇津ノ谷峠の図。
『伊勢物語』には
「駿河なる宇津の山べのうつつにも
 夢にも人にあはぬなりけり」とある。
峠の茶屋での団子が癒してくれたに違いない。
草津」広重画。
東海道と中山道の分岐点にある大宿駅で、
天保14年(1843)の旅籠数は
72を数えたのだそうです。
 名物「姥が餅」の看板がみえる。

桑名」北斎画。
桑名は伊勢湾を臨む城下町で重要な宿駅。
揖斐川河口で養殖されていた蛤が特産。
その手は桑名の焼蛤」の言葉があるほど
各地に名高い名産品として知られた。
松ぼっくりの火で焼くのがよいとされる。

で…「その手は桑名の焼蛤」とは?
そんな事には騙されない。
そのような計略には引っ掛からない。
ってことですよ。

SANZEN−HIROBAレポ③ 京阪とともに

「SANZEN−HIROBAレポ」最終回です。
京阪電車は虎次郎にとっては、
まさに日々毎日の足でありました。
中高大と通学定期を使っていたのは京阪、
祖母が京都にいたので特急に乗り込むことは、
幼少のころから月に2回ほどの
定番ルーチンとなっていました。
虎次郎が生まれたのは1967年。
京阪ショッピングモール」誕生は1970年、
そう万博の年にキレイな京橋が登場したようです。
これが建つまでは京橋はなんとも言えない
雰囲気が漂う場所だったそうです。
いまでも「京阪モール」はウチに一番近い、
百貨店としてパワーユースな存在です。

アロハカラー
と呼ばれるカラーリングは、
今は変更されてしまいましたが...
これこそ京阪特急やと思っています。
カラーテレビが見れる車両は、
編成のなかに2両くらいあって、
ワンセグ時代のとうの昔では、
その有り難さはひとしお。
阪神戦や大相撲の中継のときは
必ず乗り込みました。

こちらは五枚扉の5000系
JR東日本の山手線なんかには
全く座席をなくす、
貨車客車なんてのが走っていますが、
こちらはラッシュ時の乗降効率
よくさせるための仕掛けであります。

二階建ての特急の登場は1989年の
鴨東線開通にあわせたものでした。
京橋=三条の通学が
京橋=出町柳に変わりました。
1989年は虎次郎は大学4回生、
ただ1989年度も聴講生として、
鴨東線の恩恵にあずかりました。

2008年に中之島線が開通、
いわゆる親しんできた京阪カラーが変更。

ヘッドマークコーナー
京阪特急のシンボル「鳩マーク」、
そして行先表示器がなかったことに
先頭車両に掲げられて「行先表示」。
「おりひめ」と「ひこぼし」は
交野線に登場していた直通K特急。

現在はおこなわれなくなった
ひらかたパークの「ひらかた大菊人形」。
イベント時の「副標」というやつです。

男山ケーブルの50thマークとか。。。



駅のいま昔の写真もありました(・ω・)v

2014年4月11日金曜日

SANZEN−HIROBAレポ② なつかしの運転台へ

SANZEN HIROBAには 
いわゆる電車でGO!
運転シミュレーターが楽しめるのです。
1回5分の体験で300円ということで、
京阪本線などなどの
運転区間が組まれてるそうです。
運転台からの映像は新たに撮影され、
8000系特急に加えて、
通勤用車両2600系も増設されるとか。
京阪沿線ジオラマ」...
いわゆる京阪電車の鉄模が楽しめるコーナーも。
実は虎次郎もかつてはNゲージを持っていて、
マニアな方から5枚扉の自作5000系
ゆずっていただいたことがありました。
家の改築の時に泣く泣く手放したのですが...
意地でも取っておけばよかったと後悔です。
沿線がコンパクトにまとまっておりました。
金閣寺に足利義満??
淀の競馬場。
山あいには太陽の塔。
清水の舞台に
祇園祭の行列のからくりもありましたよ。
夕暮れの中之島界隈
フェスティバルタワー
そしてラバーダックと中之島中央公会堂。
夜になると大文字もくっきりと。


2014年4月8日火曜日

SANZEN−HIROBAレポ① テレビカーへ再び乗車す

2013年3月をもって引退したテレビカー
旧3000系特急用車両に再び乗ってきました!

くずはモールの南館 ヒカリノモールに
誕生した「SANZEN-HIROBA」ゆ。

初代「くずはモール街」のロゴマーク
クスノキの木の幹に漢数字の「三」が+、
3000系の「三〇〇〇」ってことに。
 初代「くずはモール街」 には
花のモール・緑のモール・
太陽のモールがあって、
それらを引き継いぎ KUZUHA MALLでは、
「ハナノモール」「ミドリノモール」
そして「ヒカリノモール」
というゾーン名になっていました。

改札口をイメージしたエントラス。

ホームに横付けされた風になっています。

昭和の薫りがする
「テレビカー」のステッカー。

テレビはワイド画面に変更されていました。

そして「補助イス」です。
往時は京橋から七条までは
乗り降りがなかったのですが、
最近の特急はよく停まります。

今でも補助イスは健在ですが、
降りる方に通路をおゆずりください」と、
途中駅ではたびたび立たされることに。

その昔 補助イスはなく…
京橋駅からたくさんの折りたたみ椅子が、
車内に運び込まれて、
通路にもズラッと座らせてもらったこと。
ちょっと思い出しましたよ。
幼少のころその折りたたみ椅子の金具で、
手をはさんで出血してしまい、
三条駅で手当をしてもらったことがありました。

そして三条と淀屋橋で一気に反転する座席。

5月になると「デジタル動態保存」を実現さるとか、
運転シミュレーター機能が備えてられて、
運転台・車掌台では
運転体験や車掌体験ができるようになるそうですよ。
京阪といえば中川家礼二さん、
オープニングイベントに来るのかもね...
SANZEN−HIROBAレポ」も連載します。

2014年4月7日月曜日

男山の桜を謳歌しました(・ω・)v

久しぶりに八幡の
石清水八幡宮に行って来ました。
桜満開の男山...
父がいた頃はよく行ったのですが、
かなり久しぶりの社殿。
 表参道は帰りに残して
「男山ケーブル」で山頂へ。

旧特急京阪カラーをみるとホッとします。
 ケーブルでわずか3分で
男山山上駅に到着です。
確か去年はゴールデンウィーク中にやってた
石清水灯燎華」が今年は、
桜花爛漫の時期にやってきたそうです。
夜空に浮かび上がる
幻想的な夜桜と本殿とか...
お昼前に訪れたのですが、
冷たい雨が降っていました。
献灯させてもらいましたよ(・ω・)v
4/5土の様子...
Facebook「石清水八幡宮」より。
「南総門」の
そばに立つ桜も満開でありました。
実は南総門から社殿を見ると、
社殿が少し西側を向いているのです。
参拝ののちに八幡大神様に、
真正面に背を向けないようとの配慮とか...
御本殿・幣殿・楼門・廻廊の修復工事が、
平成17年から7年をかけて行われました。
楼門には虎と...
そして龍がおります。
龍虎という対峙とも見えますが、
社殿の修造した徳川家光の生まれ年が
実は辰年なのです。
徳川家康は虎年生まれということです。
家光の干支が尊敬する家康よりも
上位の位置にないよう配慮がなされています、
東に青龍、西に白虎という四神の位置ではなく、
東に虎、西に龍の彫刻が配置、
つまり西に龍、東に虎になっています。
極彩色の欄間彫刻とともに龍頭も
往時の鮮やかさを取り戻していました。
境内には「エジソン記念碑」があります。
白熱電球の長時間点灯、そして実用化は、
ここ八幡の竹があってからこそ。
そしてここだと
リーフくんは復活できるみたいです。
冷たい雨で冷えたカラダを、
名物・走井餅と桜茶で温めて...
散りゆく櫻よありがとう(・ω・)v
また来年も愛でることができますように!