2014年12月19日金曜日

今年もぷか〜〜〜 2014ラバーダック

今年も ぷか〜〜〜 としてましたよ。
毎晩シャワー浴びているせいか?
お昼間もテッカテカにて。
また光の水の饗宴の
時間帯にも行かねば(・ω・)v
去年 芝川ビルのモダンテラス
身を寄せ合っていたチビぷか〜〜が、
ミート ザ ラバー・ダック」として、
中之島周辺に陣取っておりました。
 京阪の中之島駅からスタート!!

ABCリバーデッキには大中小と、
マトリョーシカ風に。

「ラ」は堂島クロスウォークにて・・・



中之島ダイビル、ダイビル本館では、
DAIBIRU ART」にてアーティストの手に
オシャレに決めていました。

松延総司さんは玉砂利に放置??、
渇水している感じに見えちゃいました。
本物の石のように見えるが、
セメントを捏ねて作られた石らしい。
「マイ・ストーン」による即席の「石庭」、
壁面とともに感じさせる風景は、
山深い上流にチャレンジしてるようにも。
吉行良平さんのは
ミニイルミナイト・ラバーダック。
プロジェクターから放たれる光にて、
ラバーダックの七変化が見られます。

こうなると「はしか」にかかったの?
って見えちゃうんですけど。
もう少し真っ直ぐだとタイガース???
ノモトヒロヒトさんからは、
台座に載せられちゃってる。
川を見下ろす位置から目の前を通る船を
長時間露光で撮影しての、
美しい ストライプってことなのだそう。
写真作品「Lines」なのらしい。
中之島三井ビルディングでは、
南北の入り口のガードマンを勤める。
フェスティバルホールの大階段前でも、
すまし顔にて。。。
リーガーロイヤルホテルのメインロビーゆ。
ホテル80周年の
メモリアル・スノーボールとともに。
レプリカたちが
封じ込められちゃっていました。

2014年12月18日木曜日

マッサンの山崎をたずねて〜油神人・山崎長者をたどる

かつて山崎には油座があった。
鎌倉・室町時代に灯油用の油を
荏胡麻(えごま)から製造していたという。

山崎の「離宮八幡宮」。
常夜燈にある「石清水八幡宮」の文字、
八幡宮の神事である
日使頭祭(ひのとさい)」を勤めたため、
朝廷・幕府から荏胡麻油の販売を
認められていたのが「油神人」。

本邦製油発祥地」といわゆる所以であります。
社寺に灯油を献上するなどの奉仕のかわりに、
余剰油の販売を許された専売人でもあったのです。
関銭免除の特権や製造、販売の独占権...
虎次郎の卒論テーマの「信貴山縁起絵巻」
登場する「山崎長者」のルーツがここに。

「信濃の國の命蓮という僧が、
 奈良で受戒をすませ、
 そのまま大和の信貴山にこもって、
 毘沙門天を祀って修業を重ねていた。
 里にでることもなく秘法をもって鉢を飛ばしては、
 それに里から食べ物を運ばせていた。
 その頃、山城の國の山崎の長者の家に鉢を飛ばせた。
 長者はいつもその鉢に施しものをしていたが、
 ある日家人がこの鉢を
 米倉の中に入れたまま戸を閉めてしまった。」

「時ならぬ家鳴りとともに、
 鉢が倉の中から飛び出してきて鉢の上に倉をのせ、
 空に舞い上がり、彼方へ飛んでいった。
 皆、宙を飛ぶ倉に仰天、長者は驚いて馬で追いかけると、
 僧の修業している信貴山まで来て、倉はドサッと落ちた。」

倉は信貴山に残り、飛鉢にて米俵のみ再び、
山崎に戻ったという話。
命蓮はかなり倉が欲しかったのだろうね。
校倉造りだから長者の倉も相当なものだった。

離宮八幡宮の神紋は「三本の杉」。
石清水八幡宮と同じなのです。
大和の三輪神社、近江の建部神社なども。
常緑高木、真っ直ぐに神さまの紋章として、
この上ないデザインなのである。

平安時代の後期になって、
津として栄えたこの地の人々の中に、
荏胡麻の油絞りの道具を考え出した者が
おったそうです。
長木」という搾油器は
「しめ木」とも「油木」とも呼んだようですが、
「信貴山縁起絵巻」のもその姿が見えます。
安土桃山~江戸時代には、
西の日光」と呼ばれるほどの
壮大な社殿が広がっていたとか...
室町幕府が崩壊して信長が特権を白紙に、
秀吉はふたたび保護したようですが...
その後は菜種や綿実に取って代わったようです。
《離宮八幡宮絵図》
大山崎町歴史資料館 蔵

マッサンの山崎をたずねて〜天王山・宝積寺

紅葉も散りきって...
今日からは大阪も雪景色かも知れません。
もみぢばの山崎の宝積寺の仁王門より。
聖武天皇の勅命を受けた
行基が建てたと伝えられる真言宗お寺。
聖武天皇勅願所」の石碑があります。
宝積寺は貞永元年(1232年)の火災で一度焼失、
現存している仏像はこれ以降のものです。
いわゆつ「山崎の戦い」では秀吉の本陣となり、
寺号は「天王山」です。

こちらは、羽柴秀吉が山崎の合戦の際に
一夜にして建てたとと伝えられる「三重塔」。
美しい桃山建築様式を今に伝えています。
塔の周辺の もみぢば は散り染めしあと。
聖武天皇が夢で竜神から授けられたという
「打出」と「小槌」を祀ることから
通称「宝寺(たからでら)の別名もあり、
大黒天宝寺として商売繁盛の
お寺としても知られているそうです。
奥入ると役行者の石像あり...
古くから山崎を見守る場所であったこと、
いまなお偲ばせていました。

2014年12月14日日曜日

マッサンの山崎をたずねて〜大山崎山荘②

大山崎山荘」は
大正時代に木造で建てられたのち、
昭和初期に増築されました。
第一期のものは、
欧州旅行より帰国した加賀正太郎
イギリスの炭鉱主の家を参考したとか。
木造の玄関周りは、
当初に建てられた大正時代のままとか。
こちらは黄色い絨毯。
山荘内は撮影ができませんでしたので、
オープンカフェとして使われている部分。
見上げると杉玉が掲げられてありました、
ここもやはり酒処ってことなのです。
室内でケーキセットをいただきました。
アサヒビールは飲めるようですが…
内部の写真は買い求めたパンフレットより。
かつて夫妻の主寝室だったのだそうです。
奥に見ゆるのは宝積寺の三重塔です。

作り付けのソファが、
太い柱とともに存在感が半端ない。
加賀は、吉野山で林業を
営んでいたこともあるとかで、
木の使い方にも
相当のコダワリがあったようです。
暖炉上には、中国の後漢時代に墳墓を
飾ったという「画像石(がぞうせき)」が
はめ込まれています。
イチバンの見どころの階段吹抜部分。
階段踊り場のステンドグラス。
その上を照らすのは、
アサヒビール初代社長・山本爲三郎
山荘の新築祝いに贈ったと伝わるものです。
二羽の鳥の図柄は、
加賀夫妻が当時新婚だったため、
仲睦まじくその幸せを祈ったものでしょう。
こちらは敷地に残る「旧車庫」。
チューダー・ゴシック様式で、
今はレストハウスとして使われいます。

安藤忠雄の「地中の宝石箱」で、
円柱型のギャラリーを設えた。
コンクリートの構造物は、
地中に埋め込まれて、
天王山につづく景観は今なお色褪せず、
ここにあり続けています。


中村清太郎
大山崎山荘図会
1932年 木版画

加賀の学生時代からの友人の原画による。
茶室や塔など山荘以外の建物群も、
まさに自然に取り込まれた風景。
加賀がみずからデザインし、
そこに生活して楽しんだという。