2016年7月28日木曜日

いざ江之子島政府へ③ 島であったころ


中之島の西端と接するところは、
堂島川と土佐堀川が再び合流、
大雨が降るたびに
洪水がおきたそうです。
大阪府西大阪治水事務所が運営の
大阪市浪速区の大正橋のたもと、
大地震両川口津浪記」の
レプリカが置かれています。
安政南海地震の翌年1855年に
建てられたもので、
148年前の宝永南海地震の
教訓を活かせずに多くの犠牲を
出した悔しさとともに、
教訓を活かすよう願ったものです。
高波を模した高潮被害トンネル…
高潮災害に見舞われた場所でも
あったのです。
高潮防災施設 安治川水門
模型もありました。
閉鎖には主水門だけで
およそ30分かかるそうで、
すべての作業には約1時間。

ステーション敷地には、
六軒屋閘門」の碑石。
此花区伝法の「鼠島」という
場所にあったもの。

「鼠島」の由来には諸説あり、
コレラの避病院があったとか、
カタチがネズミに似ている、
とも言われています。
かつては多くの橋が、
島に架けられていました。
ざこばばし」とあります。
[浪花百景 雑喉場 芳瀧(よしたき)画]

天満の青物、堂島の米と並んで、
魚を商う市があったのが雑喉場。
安土町・備後町辺りにあったのを、
夏場には魚が腐ることで、
ここに移ってきたそうです。

照明灯がついた雑喉場橋、
実は塩昆布で有名な老舗
神宗(かんそう)」さんの本店にも、
そのレプリカが置かれています。

「材料を選ぶ目や食材を活かす技を
 磨いた雑喉場での時間を
 忘れることのないように」
との想いの表れ。

こちらは「江之子島橋」の橋柱。

[浪花百景之内 木津川口甚兵衛の小家」
  長谷川小信 画]


こんな漁村風景も時代とともに、
役割を変えていったのです。

[大坂名所 木津川及大坂府庁 1891年]

※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
 を参考にしています。

2016年7月27日水曜日

いざ江之子島政府へ② 青い官舎


enocoの前に残る
江之子島政府の名残。

一時期でしたが大阪市役所は、
江之子島にあった府庁舎を
間借りしていたそうです。
「特例によって大阪府知事が
 市長を兼任していたが、
 特例の廃止に伴い市庁舎を
 どこに建築するかが
 問題になっていた。
 堂島や津村別院(北御堂)など
 あちこち候補は挙がったものの、
 適切な場所が定まるまで
 府庁舎の一部を借用することに
 落ち着いた。」※のだそうです。 
今川 浩満さんの描かれた
画集 浪速の洋館』では黄色
今は青いがこの建物は、
内務省の大阪官舎だったそうです。


大正初期の建築とみられていて、
庁舎に正面を向けていて、
背後を木津川に面しています。
焼け残ったのは1棟のみとか…

文化財オンライン」で調べると、
エメラルドグリーン…。
持ち主の趣味で塗り替えられて
いるのかも知れません。
下見板張。
玄関北を洋室とするほかは
和室になっているそうです。
大阪市が自前の議場を持ったのが、
1912年(明治45)のことで、
官舎はそれ以後に建てられたもの。
最終的に市役所が
中之島への移転を果たしたのは
1921年(大正10)でしたから、
ここも使われていたかも知れません。

「木村家住宅主屋」

建築年:1912-1925年ごろ
設計 :不詳
構造 :木造2階建、瓦葺
【国 登録有形文化財】

※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
 を参考にしています。

2016年7月26日火曜日

いざ江之子島政府へ① enoco

大阪府の中心はもっと
大阪湾沿いにあったそうな。
第4代大阪府知事の渡邊昇、
「必ずや大阪は西に向かって発展し、
 天保山を玄関とする殷賑なる
 大大阪が出現するよう、
 この場所(江之子島)が
 その中心あるべきだ」※と。
[『大阪府写真帖』より旧大阪府庁舎]

大阪で2番目に建てられた西洋建築、
金色に輝く玄関の菊の御紋を仰ぎ見、
「江之子島政府」と呼んだそうです。

いま跡地に建っているのは、
1938年(昭和13)建築、
「府工業奨励館附属工業会館」
府庁舎は大正初期に増築されたが、
やはり狭隘のために1921年に、
大手前の地に新庁舎建設が議決。
ただ地元や大阪商工会議所などが、
民間払い下げ反対運動を起こす。
旧大阪府庁舎は改装されて
1929年から「大阪府工業奨励館」
として再出発…
ただ本館部分は大阪空襲により
焼失してしまったのです。
いまは… “ enoco ”こと、
「大阪府立江之子島
  文化芸術創造センター」に。
「府工業奨励館」は
工業技術者養成をしていた場所、
戦後も「府産業技術総合研究所」に。
産業振興の発信地であり続けます。
「アートと言っても幅を広く持ちたい。
 デザイン、建築、あるいは
 土地計画やまちづくりなど、
 大阪という都市を魅力的にする
 クリエイティブな活動であれば
 何でも取り組んでいきたい。」※
センターの運営に携わる
髙岡伸一さんが語っておられました。


大阪の近代の歴史にとって、
とても重要な場所
「江之子島」を探ります。

「大阪府工業奨励館附属工業会館」
竣工年:1938年(昭和13)
設計 :大阪府営繕課
改修設計:長谷工コーポレーション
構造 :鉄筋コンクリート造4階建、地下1階

※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
 を参考にしています。

大阪の近代化遺産をあるく〜ワセダヤビル


堺筋と本町通りの北東交差点…
王冠を戴くビル。
空から日本を見てみよう」では、
計測されていないようですが、
まさにトンガリの敷地に立ってます。
もとは1903年(明治36)創業の
早稲田屋シャツ」の本社ビル。

なぜ社名がワセダヤだったのか、
よくわかりませんでした。
早稲田大学の大隈記念講堂
模してあることだということ。
船場の繊維会社がナゼ?ワセダ。
王冠の下にある
ステンドグラスには、
シャツを着た男の人がみえます。

1988年に会社は、
トミヤアパレルに吸収合併…
その後「ミツワグループ」へ。
オーダーシャツのブランド名
としては存続しています。
一時期 WASEDAの王冠は、
CAFF'E 珈琲館」の看板で
覆われていれいましたが、
千鳥屋宗家さんが
テナントに入られて復活です。

ワセダヤビル
→千鳥宗家 堺筋本町ビル
建築年:1935年(昭和10)
設計 :不詳
構造 :鉄筋コンクリート6階建
所在地:大阪市中央区本町2-1-2

2016年7月25日月曜日

甲子園ホテルへ⑤ バーの床に残る謎

甲子園ホテルが生まれた鳴尾村
阪神間という場所は大正初期は、
武庫川と枝川という大きな
中州のまんなかにあって…
その広大な一帯を開発したのが、
阪神電鉄であったのです。

三角州の頂点に甲子園ホテル、
甲子園駅からさらに浜への
電車が伸びていました。
谷崎潤一郎赤い屋根のなかで、
赤と白と緑との原色でできた
ランドスケープ」と書いています。
緑は松林、白は花崗岩質の土地
ゴルフやダービーのあった鳴尾村が、
甲子園という街となっていったのです。
赤は鳴尾のイチゴとか…
武庫川に架かる武庫大橋
アメリカの橋梁設計事務所に
勤めていた増田淳の設計。
[レセプションルーム]

実は阪神電鉄が構想していた
ホテルの場所は、
もっと海岸部であったそうです。
大阪からのアクセスで新国道に接し、
この橋つながるよう
林愛作が希望したとか。

「フランク・ロイド・ライトは、
 大学における専攻は
 建築学科ではなかった。
 建築ではなく土木工学であった。
 しかし、ライトがこうした
 土木分野である橋梁デザインに
 興味があったのか、
 また遠藤がそれを学んだのか
 定かではない。」※1

メインロビーの南東階段を
数段降りたところ…
そこには酒場(バー)があります。

いまはアートショップ。
心斎橋に本店を持つ「カワチ画材」、
ネット注文も受け付けて、
週1回開店するそうです。
ふだんづかいはフリースペースに。
最近復元されたバーの椅子。
打出の小槌の雫がみえる。
写真を参考に学生が模型を作って、
プロポーションを復元したそうです。
床にはパッチワークのように、
彩りのタイルで彩られていました。
タイルには1930年とあるとか。
予算の関係なのか、
遠藤新の意図なのか…
くわしくはわかりませんが、
泰山タイル」とある端タイルたち。
「…その空間に納めるために
 事前に製造された製品ではなく、
 泰山製陶所の倉庫に残されていた
 他の物件の余剰のタイル、
 色見本の試し焼きのタイル、
 それに同業者の機械圧搾のタイル、
 さらに外装タイルを納めていた
 大阪窯業の粗面タイルである。」※2
「タイルを施工した職人は、
 それらを現場 に持ち込み、
 空間に合わせて角を落とし、
 ブリコラージュな手つきで
 床面を構成したのでは…」※2


マントルの床もおそらく泰山?
屋根瓦は特注で焼成して
もらったですから、
特別にセレクトしたと、
思えますが…
甲子園ホテルが完成したとき、
遠藤新はライトに写真付きで、
報告したそうですが…
この酒場だけは及第点を
もらえなかったそうです。
モノクロ写真しか残っていませんが、
壁には金か銀の箔が貼られていたとも。
ライトのイメージとは違います。
遠藤新の遊び心だったのか、
それとも林愛作のオーダーなのか…
今となっては謎に包まれています。

※1
『甲子園ホテル物語
 ―西の帝国ホテルとフランク・ロイド・ライト』
三宅 正弘 著

※2
京都精華大学 講師 中村裕太さん
泰山製陶所の転用技術
『京都精華大学紀要』第43号 2013年