2016年11月30日水曜日

村野藤吾のファサード⑪ 尼崎市庁舎(尼崎市)


村野藤吾のファサードを辿る。
尼崎市庁舎を訪ねてJR立花駅から、
歩くこと10分あまり…
ここが市の中心という立地ではない、
もとは旧尼崎城内にあったものが、
1962(昭和37)年に移ってきた。
発足当時の尼崎市の中心部は、
阪神尼崎駅の南側あたり。
ただ合併を皮切りに、
市域は阪急沿線の武庫之荘や
園田方面へと一気に拡大した。

中心地というよりも
「へそ」立花に移した
という感じで、
手狭になったための新庁舎を、
というのがこの場所だった。
「合併したばかりの立花に
 役所を取られたと感じた」
というのは、
旧庁舎周辺住民の正直な
気持ちだったに違いない。

川野弘さんの
『市庁舎の新築』※2によると…
(1)人口の重心に近いこと
(2)都心に近いこと
(3)交通の便のよい場所であること
(4)地盤が良好であること
(5)煤塵の降らない場所であること
この5つの基本的な方針だったとか。

村野藤吾の設計だという話に移す。
通常の建物では柱と柱の間に
窓があるものだが、
ここでは柱と窓が重なっている。
低層棟を囲んで置かれた池は、
かつの市庁舎のあった尼崎城の堀、
敷地が元々ため池だったことを
連想させるものなのだそうです。

[透視図
 京都工芸繊維大学美術工芸史料館蔵 ※3 ]

この地がもともと池だったことを
配慮してなのだろう、
池に浮いた様になっていて、
「リオデジャネイロから
 引っ越したブラジリアのようだ」
という人もいる。
ただこの水は少し厄介だそうだ。
澱んだ水だから夏には蚊の発生も、
悩ますのだろう…





水面に浮いたようでもあり、
橋掛りがあって、
和風のテイストも感じさせる。



地下フロアへ…

地下は漏水で黒カビが発生したり、
なんとなく湿っぽい感じがした。

[建築工事中の空中写真 ※3]






低層棟の中央には吹抜けのある
かつての「市民ホール」と
名付けられたスペース。

巨大な居室のような空間と評される。







[市長室机 ※3]

村野は建築と合わせて
家具デザインも手がけていて、
ここも例外ではなかったようで…

[市長室脇机※3]

天板の裏の隅に丸みがとってあり、
村野好みを伝えています。





庁舎の耐震化工事が、
村野デザインを損ねないかという
問題が立ちはだかっているそうだ。

壁補強の「ブレース」と呼ばれる
斜材が外壁に取り付けられると、
市庁舎の「窓を柱が貫く」
フォルムが見られなくなるのでは…



建築学会支部が要望書を出したが、
どうなるのだろうか。


「尼崎市庁舎」
竣工年:1962(昭和37)年
増築年:1984(昭和59)年
設計 :村野藤吾

※このブログは以下記事、文献を参考にしました。
南部再生 第27号 - 
 なぜ尼崎市役所は立花にあるのか。
※2『市庁舎の新築』1993年
 TOMORROW29号 あまがさき未来協会
※3「特別展 村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」
 2014年 大阪歴史博物館開催図録

2016年11月27日日曜日

村野藤吾のファサード⑩ 浪花組本社ビル


凹凸が繰り返された
外観は集合住宅?、
夜になると当ビルだけ明りがなく、
ミナミの繁華街のど真ん中に立つ、
浪花組本社ビル」。
その異様ともいえる姿から、
ホステスさん達に「幽霊ビル」と
呼ばれていたそうです。

全貌はイケフェスサイトより…

異形のファサード”は
何を示すのか…

「これははたして本当に
 “老大家”のデザインであろうか、
 と思わず訝ってしまうような
 外観をみせるような作品」とは、
2000年に出された
外の装い―素材とファサード
  (村野藤吾のデザイン・エッセンス)
  にあるコトバ。

2階から4階には「霰亀甲文」、

段亀甲文」をベースに
変り蜀江文」を加味してできた
三角形、四角形、五角形、

菱形、六角形などなど。

道路沿いの洒落た鉄製デザイン。

そのなかに
好きやねん大阪」の碑石。



“異形のファサード”を西島業士さんは、
こう解説していました
「それは俗悪な建築が街区を
 席捲していく都市の現状、
 その抗い難い変貌に対する
 村野の危惧があり、
 建築家としての責任・矜持から
 その思いを形体にアピールする
 デザインとすることであったと。」

“魔神”のようで“毘沙門天”の
イメージを重ねたともの“寓意”も。

左官業を本業とした浪花組さん、
オフィスビルらしかなぬのが、
「時」を語る形になったのだと、
そんな風に感じさせます。




「浪花組ビルディング」
(住実ビル)→浪花組本社ビル
竣工年:1964(昭和39)年
設計 :村野藤吾
構造 :鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造

このブログは先の文献などを参考にしました。
※『村野藤吾のファサードデザイン:
  図面資料に見るその世界』2013年

 「「時」を語るー“寓意”としての建築」西島業士

産経WEST【都市を生きる建築(20)】
「繁華街を圧倒する凹凸外観」

 

2016年11月25日金曜日

大阪の近代化遺産をあるく〜住友玉突場


大阪の島之内に残る、
住友家のビリヤード場

数ある住友家本邸のうち、
第二次大戦の戦災で失われるまで
迎賓館として使われたこの地は、
鰻谷本邸」と言われたそうです。



邸宅は残っていませんが、
その東側の一角に残るビリヤード場。
日本で初めてのビリヤード場なのです。

ギリシャ風の三角ペディメント、
その上は鬼瓦の切妻屋根なのです。



木枠の洋風上げ下げ窓

通り側の面に丸窓を配された
明治初期の擬洋風の土蔵造り。

洋風と和風とが混在しています。
1892(明治25)年以前の建築だとか。





もとは、日本最大の銅精錬所である
住友長堀銅吹所」があったところで、
1876(明治9)年に銅吹所が廃止され、
その跡地が住友家の邸宅になりました。

大坂屋や平野屋など有力な業者を
秀でていたのが「泉屋」
泉屋を営む住友家は愛媛県にある
別子銅山から産出の銅の精錬で
巨万の富を築きました、
のちの住友財閥の基盤は
ここから始まったのです。



近くの三井住友銀行のビルには、
銅吹所の錦絵のパネル展示が
ありました。