2013年5月20日月曜日

だんだん松山⑫ 伊佐爾波神社


道後温泉でひとっ風呂浴びたあと、
日本三大八幡造りの一つに数えられる、
伊佐爾波神社」にお参りして来ました。
「いさにわ」と読みます。

135段の石段を登ると、
国の重要文化財になってる社殿がありました。



八幡造りの社殿」は日本に三つしかなくて、
京都の石清水八幡宮、大分の宇佐八幡
並んで荘重な社殿になっています。

八幡造りは切り妻造り・平入りの建物が
前後に二棟並ぶ形で、後ろの建物を「内殿」、
前の建物を「外殿」と呼ばれています。
内殿は神様の夜の住まいであり、
外殿は昼の住まいとされています。

拝殿部分にはもともとの
湯月八幡神社」の扁額が見えます。
もともとは道後公園らへんいあったそうですが、
1335年に伊予国の守護であった河野氏の
湯月城」築城の際にこの地に遷ってきたそうです。

第三代松山藩主である 松平定長 よって
1667年に作られましたと伝わります。

桃山時代の豪華な様式...
ほんと来てよかった(・ω・)v

こちらは「蝦虹梁(えびこうりょう)」で、
身舎(もや)と向拝を支える柱を繋いでいます。

回廊の蟇股の彫刻にはユニークな意匠がずらり...

ゑべっさんとか...

大黒さま

筆...





四国だからお遍路さん??
実は「一遍上人」らしく。
神社に僧侶の姿とは珍しいのですが、
おそらくこの地でも信仰を
集めていたのでしょうね。

本殿の蟇股には女性の姿をした、
極楽に住む美しい声の鳥と言われる
迦陵頻伽(がりょうびんが)」も見えました。

鯉のカップルも居った...

金箔をはった支柱が
朝陽を受け輝いておりました。



これは笹とセットだから虎かも???

波兎とか…

波紋も美しい...

この日の視界はとてもよく
松山城」もクッキリと。

だんだん松山⑪ 道後温泉本館の建築美


道後温泉本館は木造三階建の
1894年(明治27)の「神の湯本館」、
そして1899年(明治32)に竣工した
皇族入浴棟である
又新殿(ゆうしんでん)」と霊の湯 棟」、
玄関部分は1924年(大正13)のもの。
増築を繰り返しつ今にいたっています。
実は「又新殿」に通ずる「御成門」が
あるのが本来の正面口です。

「又新殿」は日本でただひとつの
皇室専用のお風呂です。
「又新殿」にある玉座 (パンフより)









警護の人が控える
「武者隠しの間」もありました。 
屋根瓦の飾りがみごとです。
「龍」「鳳凰」「湯玉」

木造3階建ての屋根の上には
振鷺閣
(しんろかく)」を頂きます。
閣内の広さは約一坪ぐらいですが、
周囲の窓は赤い「ギヤマン」が
はめられていて、夜ともなれば
釣ランプに灯りをともしたので、
ネオンのない時代には湯の町の夜空に
異彩を放っていたのだそうです。

「脛に傷を負って苦しんでいた
一羽の白鷺が岩間から噴出する
温泉をみつけ、足を浸したことろ、
傷は完全に癒え、元気に飛び去った」
というのが道後温泉の始まりと伝わります。 
いろいろなところにの意匠が見られます。

道後温泉本館は、当時の道後町長や
設計者の坂本又八郎などの多くの人の
尽力によって実現したそうです。
新たな本館の建設は、
反対の言い分は多額の金を要するので、
町の財政に破たんをきたすのではないか
というものだったようです。
湯釜を替えると神罰が当たるとも...
多くの苦難を乗り越え、
時代それぞれの英断によって
今の繁栄がもたらされています。

2013年5月19日日曜日

だんだん松山⑩ 道後温泉にぼっちゃり♨


やっぱり松山に来たのだから道後には、
ぼっちゃりしておかねばならぬと…

チンチン電車の始発にJR松山駅から乗り込み、
朝風呂を浴びに行って来ました!!

営業開始の6時過ぎには着きたかったので、
「いよてつ松山駅前駅」の

始発6:16で道後へ

一回150円なので

3回乗ればお得の一日券を
乗務員さんから買い求めて...

大風呂の「神の湯」だけでなく、
三階個室の

霊の湯」の使える入湯券を買い求め、
おひとりさま個室へ。

浴衣に着替えてまずは「霊の湯」に…
基本的に温泉内は撮影禁止なのですが、
個室ですのでiPhoneでパチリと。

お風呂からあがると
「お茶」と「坊ちゃん団子」が運ばれてきます。

室内の照明など
ここかしこに、
道後温泉の「宝珠」がみられます。

宝珠はお稲荷さんの神紋なのですが、
なぜこの紋となったのかは???フメイです。

ゆったりと過ごせて快適このうえなく、
そよぐ風もなかなか心地よい。
80分使えて1,500円 なのですが、
なかなかのお値打ちにて

「お大尽席」にて満喫いたしました。

漱石をしのんで作られた
坊っちゃんの間」も見せてもらいました。

霞む日や 巡禮親子 二人なり
『正岡子規へ送りたる句稿』にある句。

ゆったりとした時間が過ごせるので、
次回はぜひ大勢で訪れたいと思います。

だんだん松山⑨ ヨロズ ミドリのヤカタ「萬翠荘」


“松山城の麓の緑の
森の中に佇む邸宅”として
名付けられた「萬翠荘」。


戦後は「米軍将校宿舎」、
「家庭裁判所」、「県立郷土芸術館」、
そして1979年からは
「県美術館分館」として
使われていたそうです。
で… 今回は内部を案内していきます。

玄関部分のガラスの中央には「鳳凰」。

そしてここかしこに
梅の花」をデザインしたものが見られました、
実は久松家の家紋は「梅鉢」なのでして、
菅原道真の子孫
考えられていることに由来します。

「床下換気口」にも「梅鉢」。

玄関にある二つの柱は岡山産の
万成石(まんなりいし)」と呼ばれるもので、
桜御影と呼ばれるブランド石として貴重なもの。

イオニア式の柱の
柱頭の装飾は鋳銅製です。

何と言っても最大の見どころは
踊り場の帆船が描かれたステンドグラス

2010年の調査で 木内真太郎 によるもので
あったことが判明したそうです。
描かれている波と帆船は、
久松定謨フランスの
サンシール陸軍士官学校に入校したときか、
フランス公使館附武官就任の際に渡った
海原を思い起こさせるものと言われています。

木内慎太郎は宇野澤辰美、別府七郎らと共に、
日本で最初の本格ステンドグラス工房である
宇野澤ステンド硝子工場」を設立した人。
まさに日本のステンドグラス界の
パイオニアとも言える人です。

アール・ヌーヴォーに
グラデーションが取り入れられていて、

部屋ごとにデザインが異なります。

大広間には豪華なシャンデリアが
格天井から吊り下げらてていますが、
こちらは水晶で出来ているとか。

そして木彫家の 
相原雲楽 が手がけたとされる
たくさんの彫刻が
各部屋に彩りを添えています。

雲楽さんの装飾は
大阪市此花区伝法(でんぽう)にある
旧鴻池組本店」にも残されているとか...
そちらには木内真太郎の
ステンドグラスもセットであるそうです。
残念ながらこちらは内部非公開(;_;)

漆喰で作られた装飾にも、
部屋それぞれの意匠が施されています。

なかには「ハート」が
隠されているものもあり…


各部屋に設けられた大理石製の暖炉には
それぞれガスストーブがあり、
上部にはそれぞれベルギー製の大鏡
取り付けられていました。


大階段をとりまく欄干に使われている
南洋産のチークは材質の硬さが特徴ですが、
その素材をあえて使った
彫刻の技量が想像できます。
雲楽さんの腕の冴えを今に伝えています。
※参考文献 
『萬翠荘物語―国重要文化財』
 片上 雅仁 著, アトラス出版 (2012年)