2020年7月4日土曜日

日本人の嗜好をさぐる⑮ 銭湯と温泉


《浮世風呂一ト口文句》
 金子今次郎蒐集


30年ほど前…
虎次郎の家の隣には、
「伏見温泉」という名の
銭湯がありました。
ただ…
銭湯と言わずにお風呂屋さん
そう呼んでいました。

『浮世風呂』より

銭湯が現れたのは江戸の
文化年間(1804~1818)、
江戸の町民文化が活況を
帯び発展した時代のころ。

『浮世風呂』より

湯屋に入るとまず
番台で湯銭を払う。
当時は番台でなく高座
呼んでいたそうです。
湯銭は十文(約250円)、
蕎麦 十六文よりもだいぶ安い。

『賢愚湊銭湯新話』より

脱衣場はこんな感じ。
いまでも温泉で見られる
情景とあまり変わりません。

『職人尽絵詞』より
 鍬形蕙斎


洗い場は、板の間で傾斜を
つけた流し板になっています。
真ん中の男は軽石で足の
踵をこすっているよう…
爪を切っている姿もあり、
爪切り用のハサミにはひも、
櫛にもひもが付いていて、
誰でも自由に使えるが、
持ち帰れないよう工夫。

『賢愚湊銭湯新話』より

腰を屈めて子どもを抱く姿。
破風形の石榴口をくぐった
奥に浴槽はありました。
湯が冷めるのを防いだもの。
破風形は上方に多く、
江戸は鳥居形だったそうです。

風呂建築に破風がみられるのは、
このことに由来しているとか。
で…なぜ 石榴口 と呼ぶのか?
「屈み入る」と「鏡鋳る」
かけた洒落だそうでして、
「鏡鋳る」というのは
鏡を磨くのはその昔 ザクロの実

《職人尽絵貼りまぜ屏風》

  鏡研師

以前にも紹介したコレ!
『嬉遊笑覧』にも
「常にたくを風呂といいて、
 あけの戸なきを石榴風呂とは、
 かがみいるとの心なり。
 鏡を磨くに石榴の酢を用ゆ」と。

《江戸名所図屏風》より

湯屋へ入る姿が蛇に
呑み込まれるようなので
「蛇喰口 (じゃくろうぐち)」
それが なまったという説も。
石榴口を潜ると…
かなり暗かったそうな。
わざと暗くしていたとか、
その訳はあまり湯がキレイに
保たれてはいなかったそうな。

『江戸名所 百人美女』より
《今川はし》 歌川国貞


国貞が描いた美女シリーズの
ひとつには盥で髪を洗う姿。
銭湯で髪を洗う習慣は、
ありませんでした。
1970年代でもお風呂屋さんでは、
「洗髪代」が必要でした。

《睦月わか湯乃図》
 三代 歌川豊国


湯上がりの浴衣姿…
浴衣の生地には、
木綿に限りますね。
木綿の普及は江戸期から、
浴衣姿はいわばパジャマ姿…

《新板猫の温泉》
 歌川芳藤
 1888年

かつて世界を揺るがせた
"はやりやまい" 疱瘡
ヨーロッパに比べて、
日本での致死率は低かった
という歴史があります。
いま新たな流行る病の存在、
"生活様式"の違いで、
日本が重大局面に至っていない。
それが続くと希望しますが…

汗をながしてスッキリと…
お酒はほどほどに、
適度に気分転換も図りつつ。
楽しく過ごしていきたい(・ω・)v

2020年7月3日金曜日

日本人の嗜好をさぐる⑭ 富士登山


《冨嶽三十六景 山下白雨》

 葛飾北斎 
今年は夏の富士山頂は、
人影が見られないのだとか。
信仰として山を登る「登拝」
ではなくて…
レジャーとしての登山は、
戦後からかも知れません。

《凱風快晴》が「赤富士」
称されたのに対し、
《山下白雨》「黒富士」
漆黒に包まれた裾野から
山頂へのシャープなフォルムは、
尖りすぎの印象が否めません。
夕立を意味する「白雨」、
裾野に轟く稲光り…
さっきまで晴れていたのに、
迫る黒く染まった雨雲、
これから来るであろう雨は、
俄雨でやり過ごしたい。

《冨士山北口全図 鎮火大祭》
西欧の山には”悪魔の棲家”
そんな印象とは逆に、
日本人は山や自然と共生、
"畏敬"
という想いがありました。
神迎えに登る時が山開き、
富士山となると…
浅間神社の祭がそれです。

《冨嶽三十六景 諸人登山》
 葛飾北斎


北斎の冨嶽三十六景にも
富士山頂を目指す富士講の
人々が描かれています。
富嶽シリーズ46枚中、
唯一この画には富士の山容が
描かれていないのです。
特定の場所が明示されず、
「凱風快晴」「山下白雨」
と並びシリーズの締めを
担っています。

江戸期に生きていた人々は、
非常に特別な存在として
富士山と付き合っていました。
というのも富士山の噴火は、
日記などの記録を辿ると、
平安時代以降に10回あり、
大規模な噴火は1707年の
宝永大噴火なのです。


『富嶽百景』《宝永山出現》
 葛飾北斎


北斎はこの宝永大噴火を
描いていたのです。
『富嶽百景』という冊子体に、
「宝永山出現」とあるのがコレ。
降り注ぐ岩、崩れ落ちた家屋、
下敷きになった馬、
人までもが宙を舞い、
なすすべもなく逃げ人…
規模の大小はあるけれども、
ほぼコンスタントに
300年サイクルという
周期で噴火が起きています。

《大山石尊大権現(仮題)》
 歌川芳虎


そんな畏敬の対象の富士、
なぜ目指したのでしょうか。
三枚綴りの大山講錦絵には、
江戸の町火消し装束に提灯、
男気の示せる山登りという
一面を持っていたのでしょう。
ちなみに江戸期には文字や
小さな花などの入れ墨で、
絵のような全身の入れ墨は、
創作であるようです。

《富士山諸人参詣之図》
 二代 歌川国輝 


まだ夜も明けぬ暗い内に
参集した富士講中。
富士山頂にお参りするという
信仰が目的ではありますが、
その帰途に相模の江ノ島
金沢八景などを遊覧する。
最初は純粋の信仰心からの
参詣旅行だったものが、
今で言うオプションが
加わったのです。


《諸国名所 駿州 大宮口登山》
 魚屋北渓


白装束に手甲脚絆、
そして腰には鈴を
付けたようです。
「南無阿弥陀仏」とも
「六根清浄」とも唱えて
登る姿は信仰心の高さを
感じさせるものですが…
一方では講という集団を
管理する役目でもありました。


《富士登山諸講中の図》
 歌川国芳


諸講中が茶屋で一休みして、
これから出発するところ。
品川沖の見える高輪で、
高輪大木戸の石垣が見えます。

江戸市中にはあちこちに
「富士塚」がつくられ、
富士山の山開きの6月1日は、
前夜から富士詣と同様に
賑わったそうです。
「富士塚」とは…
いわゆるミニチュア富士
大阪の天保山
その一つだと言われています。

茶屋の前で握り飯
頬張る姿が見えます。
握り飯は女詞(おんなことば)で、
"むすび"ともいい、
掌に塩水をつけて飯を
握ってつくりますが、
各地で形が異なりますね。
おむすびの形は富士に似てる 😁

《冨士三十六景 甲斐御坂越》
 歌川広重


富士はおそらく一番多く
描かれてきた山でしょうね。
構図はリアルかデザインか、
実証研究があります。
甲府から鎌倉往還を通り、
御坂峠を越えて河口湖へ
至るルートの途中だと…
果たして本当?

《冨嶽三十六景 甲州三坂水面》
 葛飾北斎


富士登頂が叶わない夏
北斎の裏富士シリーズは、
富士そのものだけでない
冨嶽への畏敬の念
籠められているのでしょう。
遠くから愛でるのも一興!

2020年6月21日日曜日

日本人の嗜好をさぐる⑬ 織姫と彦星


『月百姿』より「銀河月」
 月岡芳年 画


織姫と彦星って、
恋人たちの話と
信じていませんか?
実は二人は結婚していて、
ラブラブ新婚生活…
あまりにイチャイチャ
しているのを見兼ねて…
織姫の父である天帝が、
天の川を挟んで
2人を離れ離れした
とか…

《風流役者地顔五節句 七月之図》
 歌川豊国(
初代)1809年

あまりに織姫と彦星は
涙に暮れるので、
七夕の夜だけ逢瀬を
楽しむことを許した
恋人同士ではなく
親に強制別居させらた
夫婦の話だったそうです。
当然日本に渡来した話は、
そんな風には広がっていません。

台の上にあるのは
"組上灯籠"と
呼ばれるもので、
切抜き絵を組立てて、
内側から照らすものです。
煙管からの煙のなかに、
牛をひく牽牛と織女。

《文月西陣の星祭り》
 五渡亭国貞 (三世 豊国)


江戸期の五節供で
幕府の公式行事であり、
民間でも盛んに…

《名所江戸百景 市中繁栄七夕祭》
 安藤広重


江戸の空には、
七夕の詩歌を書いた短冊、
色紙で切った網や
吹き流しなど…

《子供遊五節供 七月》
 歌川国芳


七夕飾りにはそれぞれ
意味があって、
吹き流しは織姫の織り糸、
網飾りは大漁を祈願、
瓢箪は無病息災、
スイカは豊作祈願…

《十二ヶ月之内 七月七夕》
 渓斎英泉


いつもなら7月9日・10日は、
四万六千日・ほおずき市
浅草寺で行われます。
観世音菩薩の功徳日なかでも、
最大の功徳が得られる日。
諸説ありますが、米の一升は
米粒46,000粒にあたり、
一升と一生をかけたとか…
ホオズキは「鬼灯」と書き、
祖先の霊を導く提灯にの意。

《源氏五節句之内 七月七夕祭 》
 豊原国周


七夕がお盆と密接な関係に
あったことを示すのが、
「ホオズキ」なのです。

《風流子宝十二月 文月》
 菊川英山


机上の緑色は里芋の葉
1833年に山東京山が著した、
五節供稚童講訳』には、
「芋の葉の露にて短冊書く事」
芋は子の沢山あるものゆえに、
その葉の露を墨にすること…

《子供遊五節供 七月》
 歌川国芳


七月は文月と呼びますが、
笹の葉に願い事を書いた
短冊を飾るという風習。
七夕の行事は中国をはじめ、
台湾、ベトナムなどアジア諸国、
広く行われていますが、
短冊を飾るのは日本だけとか。

《子宝五節遊 七夕》
 鳥居清長


書道の上達を願い
七夕の日に硯を洗う
という風習がありました。
子どもが硯をきれいに…
道具を大切にすることは、
上達の第一歩でもありますね。

《七夕祭》 奥村政信

琴を爪弾く姿…
書に音曲、そして裁縫…
上達を願う日でもあります。

《富嶽百景 七夕の不二》
 葛飾北斎


コロナのせいで!
会いたい人に会えなかったけど、
「♫会えない時間が
 愛を育てるのさ」

ひろみ!ホンマやろな??

2020年6月20日土曜日

猿田彦のミチを開くvol.22 少彦名命と猿田彦命


伊勢神宮には猿田彦命は
祀られておらず…
出雲大社には少彦名命社は、
存在しないのだそうです。

大阪北浜・道修町にある
少彦名神社は、
神農さんとして今なお
信仰を集めています。

鳥居ではなく注連柱
定給療病方威蒙
(やまいをおさむるのりを
 さだめたまひ)
 其思頼
(みなそのみたまのふゆを
 かがふれり)」
と刻まれています。
江戸末期から明治の政治家、
東久世 通禧の揮毫によるもの。

江戸初期の明暦4年頃から
薬種商が集まっており、
1722年(享保7)には、
道修町薬種中買仲間として
幕府より公認されました。
生命に関する薬を
神の御加護のもとに
間違いなく取り扱えるよう、
薬祖である神農氏とともに、
京都の五条天神から
少彦名命をお招きして、
仲間会所にお祀りしたもの。

境内に祀られれるのが、
五社明神は宮司家に
祀られていたもの。
伝わるところ…
伊勢の猿田彦神社
猿田彦大神と天鈿女命、
久留米の水天宮、
香川の金刀比羅宮、
京都の北野天満宮です。

江戸時代から宮司家で
お祀りされていたのを遷座
されたものなのだそうです。

『神代の物語』※1 少彦名命より

少彦名命の話に戻ります…
少彦名命はあの国造りを
オオクニヌシと力を合わせて
成し遂げた神さまで、
『出雲国風土記』には、
「天の下所造らしし大神、
 大穴持命と湏久奈比古命と、
 天の下を巡る時に、
 稲種此処に堕つ。
 故、種と云ふ」とあり、
極めて大切な存在なのです。

出雲大社のご祭神を改めて…
主祭神はオオクニヌシ
皇祖神と国津神に限られ、
例外として御客座五神や
祓戸大神と門神、
そして天津神が加わるのみ…
なぜか少彦名命が
見あたらないのです。


伊勢神宮での猿田彦命と
同じような扱いを

受けておられるように
思われてなりません。

少彦名神社の少彦名命は、
京都の五条天神をルーツと
されているという話がありました。
もともと「天神」とは、
天津神の造化三神の子のことで、
大神の手の間からこぼれた
神であるがゆえに、
少彦名命は「天神」
あるいは「手間宮」として
祀られてきたのです。
天満宮の菅原道真公
天満大自在天神
として祀られる、
遥か昔のこと。

『出雲神話』※1 少彦名命より

大国主命といえば「因幡の白兎」
「きれいな水で体を洗い、
 蒲の黄(はな)をとり
 浜辺に敷いてその上を転がれ」
教えられ、もとの膚に戻ることが
出来たというお話…
大国主命は薬の神様ともされ、
故にガマの花の花粉の止血、
消毒効能を教えたことを
示唆しているとも言われています。
白兎は少彦名命とも…
この画は蒲が蝦蟇
置き換えられていると、
そう見るとオモシロイ。

八坂神社の大国主大神と白兎


※1『神代の物語』
 佐野保太郎 著・織田観潮 絵(小学館/1943年)

※2『出雲神話』
 後藤蔵四郎 編(川岡清助/1915年)

2020年6月13日土曜日

猿田彦のミチを開くvol.21 日向大神宮の八百神たち


頑張って小登山をこなすと…
そこには「伊勢神宮遥拝所」。
このさきには "お伊勢さん" が、
おられるのです。

手水舎より奥入ると…
右山上伊勢遙拝所道

倒木は
片付けられていましたが…

サンダルやヒールではムリです。

見下げると…
かなりの急勾配を
実感します。

京都一周トレイル」の
コースになってるんです。

南東を向いた鳥居の先には、
伊勢神宮…その昔は、
ここから見えたとか…
見えなかったとか。
知らんけど(笑)

振り返って北西を見下ろすと…
平安神宮でその奥の、
緑は京都御所です。
この山で一直線に
結ばれるのです。

そうこの大鳥居です。
神宮の多くは実は近代に
入ってからのものが多く、
朱塗りの社殿は、
第4回内国勧業博覧会
建てられたものを
転用したものなのです。
神宮とは天皇や皇室の
祖先神を祭神とする社号
のことでかつては、
新たに名乗るには、
勅許を必要だったのです。

日向大神宮には、
実に多くの神さまが
座しておられます。

朝日天満宮
菅原道真公と少彦名命

手水舎にほど近くにある
朱の鳥居は狐さま。




神田稲荷神社

弁財天を祀る厳嶋神社

イザナギとイザナミの
ミコトを祀る 多賀神社

福土神社」は縁結び
フクドと読みます。

で…猿田彦命は??
外宮の手前にひっそりと…

猿田彦神社と花祭神社
花祭(かさい)神社には、
コノハナサクヤヒメ。
天鈿女は恵比寿と一緒、
なぜ木花開耶姫なのか?

木花咲耶姫は猿田彦命の
妻神である天之鈿女命とともに、
配祀として
祀られている神さまですが…

交通安全・安産守護とあります。
富士山を抑える役目
果たしていたともされる
木花咲耶姫…
荒ぶる神である猿田彦命は、
あえて外宮の手前に…

夫婦で日向大神宮を
護っているという
ことなのでしょうか…

神域はこの山全体で、
そこかしこに鳥居が
立てられています。

伊勢一の宮の椿大神社でも、
猿田彦命ともに
祀られていたのは、
瓊々杵尊、その母 栲幡千々姫命、
そして瓊々杵尊の妻
木花咲耶姫でした…

日向大神宮は伊勢と日向を
体現できる場所

言うなればイイトコドリの
お伊勢参り
が出来る
スポットなのかも知れません。