2017年2月11日土曜日

大学をあるく⑤京都大学 YMCA会館

京大吉田キャンパスから少し離れた
ところに建つヴォーリズの初期作

1913年(大正2)竣工の
京都大学YMCA会館」。

ヴォーリズは1905年(明治38)に
滋賀の英語学校の教師として来日。
来日間もなく生徒たちと共に
日本初となる中等学校YMCAを設立。
1907年には、ドイツ人建築家の
デ・ラランデ設計となる
京都三条通りのYMCA会館
工事監督を務めたとか…

翌1908年にはそのYMCA会館で、
建築設計監督事務所を開設、
ヴォーリズ建築事務所の前身。

逆三角はYMCAのマーク
です。
YMCAのシンボルは
“SPIRIT”、“MIND”、“BODY”の
3つのトライアングル


コチラが正章。
「X(カイ)」と「P(ロウ)」は
ギリシア語の“救い主キリスト”の
頭文字を組み合わせただとか…

玄関の付け柱や軒、建具など、
木部を活かした部分は、
赤い塗料ベンガラ仕上げとか…



木造のため古ぼけて、
幽霊屋敷との評判だったのですが、
2003年に改修されました。
赤さ少しづつ、
なじんでくるのでは。




一見木造にも見えるが煉瓦造で、
外壁をモルタル塗り仕上げ

塀のツクリとほぼ同じです。



擬石風な仕上げもココかしこに。



敷地内のほかの建物にも、
YMCAマークの意匠がみえます。

いろんな角度でカメラを向けると、
不思議となほのぼのとした
温かみを感じました。





地塩寮」の名称は、
あなたがたは地の塩であるという
イエスの言葉に由来していて、
ここは大学の運営ではなくYMCAの
サポートによる自治寮なのです。

永く愛される場所に
なり続けていきますように。


京都大学YMCA会館・地塩寮
竣工年:1913年(大正2)
設計 :ウイリアム・メレル・ヴォーリズ
構造 :煉瓦造2階建て
【国 登録有形文化財】

※YMCAのロゴについては、
 広島YMCAのHPを参考にしました。

※地の塩とは?
「あなたがたは地の塩である。
 だが、塩に塩気がなくなれば、
 その塩は何によって塩味が付けられよう。
 もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、
 人々に踏みつけられるだけである。」
  聖書 マタイによる福音書 5章13節

2017年2月9日木曜日

大学をあるく⑤京都大学 電話拡張交換室


印象的な時計台と赤レンガで、
目立たないけどユニークな
レンガタイルの建物は、
もと「電話拡張交換室」。

保健診療所として使われている
1925年(大正14)竣工のデザイン性
あふれるベッピンさん。

張り出した庇。
設計は武田五一永瀬狂三
毎日新聞京都支局を連想させる
武田五一らしいテイストです。

三条通御幸町東南角にある
旧 大阪毎日新聞社京都支局ビル、
1928ビル」。

二度にわたる改修が施されてきたが、
当初のデザインの保持が見事です。

コンクリぶりが外階段が
しっかりと主張しています。

小さな連続アーチ窓とのバランス。


「京都大学 旧電話拡張交換室」
→京都大学・保険診療所
竣工年:1925年(大正14)
増築年:1931年、1936年
設計 :武田五一、永瀬狂三
構造 :鉄筋コンクリート造り2階建て

大学をあるく⑤京都大学 石油化学教室本館


時計台に向かって左の赤レンガ、
別名“ノーベル賞の館”と呼ばれる
石油化学教室本館」。

いまは国際教育交流課という
看板が掲げられていますが、
大阪にあった第三高等中学校が
京都に移転してきたときに、
物理学実験場
    として建てられた
京大現存最古の建物。

物理学”ということで、
湯川秀樹さん、朝永振一郎さん、
そして福井謙一さんの
ノーベル賞受賞者が
輩出され場所なのです。

一階部分と二階部分とタイル…

違いがあるのは、
二階は1922年に増築。
増築部分の設計は永瀬狂三ですが、
の設計により増築された部分です。
山本治兵衛永瀬狂三
そして大倉三郎も関わっています。

屋根は瓦葺き







1階と2階の煉瓦が違いは、

斜めに見るとよく分かります。













「京都大学 旧石油化学教室本館」
竣工年:1889年(明治22)
増築年:1922年(大正11)
設計 :山本治兵衛(増築部分 永瀬狂三)

大学をあるく⑤京都大学 工学部土木工学教室本館


京大 吉田キャンパスの赤レンガ
本部構内の北寄りにある
工学部土木工学教室本館」。

赤レンガ造りに
白い花崗岩による装飾、
大きな窓が明るい印象を与えています。
辰野式”を感じさせる出で立ちです。


装飾を打ち出して
白く塗装された金属板が、
玄関天井全面に貼られています。





現在の名称は
総合研究14号館ですが…

1917年(大正6年)に建てられた
煉瓦造り2階建て。

設計は山本治兵衛と永瀬狂三

山本治兵衛(1854ー1919)は、
江戸で大名屋敷の営繕に
携わっていた家の生まれ。
明治草創期の河川整備、
鉄道敷設に関わったそうです。
1898年に京都帝国大学に、
創立工事の責任者を担当。
1907年に京都帝国大学に創設の
建築部の初代部長となった人。

永瀬狂三(1877―1955)は
東京帝国大学建築学科 卒、
辰野金吾の設計事務所などを経て、
1909年に京都帝国大学建築部入り、
山本治兵衛の部下であった人。
山本氏の後任として
第二代建築部長となっています。

両翼は1924年(大正13)の増築。



裏に回ると…

アールの効いた外付け階段。









建物の裏手には中庭スペース。


そこに不思議な
階段の切れ端のようなモノ??
背丈は2mあまりあって、
ただ階段にしては

あまりにも角度が急過ぎます。

実は…
この場所にはテニスコートがあり、
1931年の写真にはコートが
写っているそうでして、
切れ端階段?
の正体は、
テニスコートの審判台なのです。
ツブさなかった人エライです。


「京都大学
  工学部土木工学教室本館」
竣工年:1917年(大正6)
設計 :山本治兵衛・永瀬狂三

※切れ端階段?のことは
 土木工学教室本館(2015.10.16)を参考にしました。