2015年8月29日土曜日

よさこい八の巻 大地の声を聴く室戸

四国最南端は足摺岬だけど、
その対極にある室戸岬へ(・ω・)v
高知駅から電車とバスを乗り継いで、
土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の
最東端である奈半利駅から、
さらにバスを乗り継いで…
最果ての地にやっと来れた!!
途中 安芸にもよったけれども、
JR高知駅からJR土讃線、
奈半利駅まで約1時間30分。
そこから奈半利駅からバスで約60分。
早朝に高知駅から乗り込んだけども、
まさに思えば遠くに来たぜよ
室戸岬灯台
こんなに高台にあるとは・・・
かなりの距離を歩いたこともあり、
ただ見上げるのみ。
岬あたりはまさに
大地と大地がぶつかり合う場所。
室戸ジオパーク」は地学部でもあった
虎次郎にはまさにヨダレものです。
岬から南海トラフまでは140km。
海のプレートと陸のプレートのせめぎ合い。
波しぶきも相まって、
コアラのような奴が登場しています。
岬の先端のところには中岡慎太郎の像。
坂本龍馬は誰しもが知ってるけど…
龍馬はあまり勉強ができなかったそうです。
その一方で対照的に幼いころから
秀才のほまれが高かったのが中岡さん。
頭が切れるだけでなく、
何事にも熱心だったので、
交渉ごともうまかったそうです。
大地の営みに戻ります。
牛角岩(うしかどいわ)
牛が右を向いてるっとことだけど…

こちらは「子授(こさずけ)の岩
岩の上部に蜂の巣状の穴があって、
その穴に小石を投げると子宝が授かるとか。
珊瑚の白い石を投げて落ちて来なければ、
とこでなぜ珊瑚??サ・ン・ゴだから。
ライオンのタテガミのようなのは、
タービダイトと呼ばれるもので、
日本語で言うと「乱泥流堆積物」??
砂や泥が海水と混ざった流れによって
海底に降り積もってできたシマシマ地層。
水平に堆積した後で、
回転して立ち上がったことで、
縦向きの縞模様になっている部分もあります。
太い根を岩にはり、
成長する亜熱帯植物の「アコウ」。
まさに岩を押し出そうとしています。
根を岩にからまて、樹高を低くしているのは、
台風銀座にあって被害を最小限にとどめる
ここで生きていくための知恵とも思えます。
遊歩道周辺には花が咲いていました。
こちらは「ハマゴウ」??
かつては枕の中身として
利用されていたそうです。
剪定されているかのようにみえるのは、
塩分を含んだ強風のために、
成長が抑制されているからだそうです。
コンクリートのように見えますが、
これは「ヤッコカンザシ」という
波打ち際に棲むゴカイの仲間の化石です。
海面付近の潮間帯(ちょうかんたい)
呼ばれる場所に生息する生物。
海面から5m近くの高さにあるのも、
巨大地震によって隆起を繰り返した証。
室戸はまだまだあります(・ω・)v

2015年8月23日日曜日

よさこい七の巻 安芸の時をあるく

安芸市の旧市街地は、
ごめんなはり線安芸駅より少し北にあります。
安芸のシンボル「野良時計」までは、
歩くには遠いので無料サイクル
貸してもらって行ってきましたよ。

明治の中頃、
旧家 地主の畠中源馬さんが、
台所にかかっていた
米国製の掛時計の分解を繰り返して、
その構造を学び歯車から分銅まで、
手づくりで作り上げた時計台です。

家ごとに時計のなかった時代、
農作業をしていても
遠くから見れるようにと願いは、
いまなお多くの人々に親しまれています。

こちらのお城のような形の建物は、
安芸市立書道美術館」。
”書の殿堂”として全国でも知られていて、
この日も「全国書展 高校生大会」の会場に
なっていました。

なぜお城のようかというと・・・
鎌倉時代の頃から戦国時代末期まで、
代々居住していた
安芸氏の居城があったところ。
いまに伝わる毒井戸跡は、
安芸氏を制圧しようとした
長宗我元親への抵抗の表れ。
当時城主の安芸国虎は自害し、
家臣は四散した時が刻まれています。

城を打って出て奮戦したそうですが、
内通者が機をみて井戸に毒をいれたとか…
落城を早めた原因の一つとして、
今に語り伝えられているものです。 
そして安芸の地は、
長宗我部氏から山内氏へ、
土佐藩家老 五藤家を祀る
お社「藤崎神社」。 
ご神体は鏃(やじり)と草鞋なのだとか。

山内一豊が織田信長に従軍したときに、
一豊が目尻に射られた矢。
なかなか抜けなかった矢を、
履いていた草鞋をはいたまま、
一豊の顔踏んで抜き取られたそうです。
一豊の一命をとりとめたのが、
重臣の五藤 為浄(ためきよ)その人なのです。

安芸といえば 岩崎彌太郎

生家の土蔵の鬼瓦には「三階菱」。 
岩崎彌太郎像の前の広場には、
大きく日本列島が描かれていました。

岩崎家の先祖は安芸国虎の家臣で、
長宗我部氏 山内氏ともに
仕えていた武家でありました。
ただ、彌太郎の曽祖父にあたる代に、
金に困って身分売り払い「地下浪人」と
呼ばれる農民変わらない身分へと、
転落していたそうです。
生家に残る小さな庭園の石組は、
少年時代の岩崎彌太郎が
天下雄飛の夢を託して、
日本列島を模して自作したのだとか。

大志を抱いて江戸に上った彌太郎は、
弥次郎の酒席の喧嘩がもと
父が投獄されたことで帰郷。
奉行所に父の冤罪を訴えでるのですが、
訴えがあまりに激しかったことで、
奉行所の怒りを買い自身も獄につながれます。
ただその獄中で元参政・吉田東洋
出会ったことで、飛躍の道が開かれ、
後藤象二郎にも引き立てられこともあって、
才覚を発揮する転機となるのです。

慎ましい暮らしにありながらも、
夢とそれを叶えるチャンスを活かす力。
安芸という国に訪れて、
行動力のある人物が傑出された一面に
触れることができました。 
安芸駅ぢばさん市場で買った田舎寿司
魚は入っていないんだけどウマウマ(・ω・)v

2015年8月22日土曜日

よさこい六の巻 あきうたこちゃん

球場前駅…その次の駅に待ってくれてたのは、
あき うたこちゃん」です。
安芸市は作曲家である
弘田龍太郎さんのふるさとであることから、
1977年以来 童謡碑が建てられていて、
安芸市内には今では10基の歌碑があります。
2005年10月に設置されたのが、
駅前ににある『♫ 靴が鳴る
「お手つないで 野道を行けば
 みんな可愛い 小鳥になって
 唄をうたえば 靴が鳴る
 晴れたみ空に 靴が鳴る」
はらたいらさんのマンガとともに・・・
『♫叱られて』は1988年5月にお目見え。
「叱られて しかられて
 あの子は町まで お使いに
 この子は坊やを ねんねしな
 夕べさみしい 村はずれ
 コンときつねが なきゃせぬか」
溝辺公園にあるのが『♫鯉のぼり』。
「甍の波と 雲の波
 重なる波の 中空を
 橘かおる朝風に
 高く泳ぐや 鯉のぼり」

「百瀬の滝を 登りなば
 忽ち竜に なりぬべき
 わが身に似よや 男子と
 空に躍るや 鯉のぼり」

小さい頃にウチにも、
鯉のぼりがありました。
でも広い庭があるわけでもないのに、
とっても立派な鯉のぼりは、
祖母が買い求めたものでした。

都会ではちょっと無理のある大きさ、
たなびいたところで物干し台が、
ミシミシと音を立てて。
鯉のぼりとともに空へと???
寸前で下ろしてそれからは、
家の中に飾るようになりました。
岩崎弥太郎生家前にはあったのは
♫春よ来い』
「春よ来い はやく来い
 あるきはじめた みいちゃんが
 赤い鼻緒の じょじょはいて
 おんもへ出たいと待っている」
 虎もみたいしなぁ〜〜〜。 
春の安芸もよさ気です(・ω・)v 
いいなぁ〜〜〜。

よさこい伍の巻 虎たうんへ!!


阪神タイガースのキャンプ地の
安芸市営球場に行ってきました。
安芸の地でキャンプをはじめたのは、
1965年のことなのだそうです。
 高知駅の始発に乗り込み。。。
ごめんなはり線の
土佐くろしお鉄道」にて… 
後免駅には「ごめんえきおくん

アンパンマンとともに。

 やなせたかしさんの
ごめん駅でごめん」が刻まれていました。
南国市の後免から奈半利町の奈半利を結ぶ
ローカル新線は42.7kmを20駅、
すべての駅に やなせたかしさんの
駅キャラがいてます。
 乗り込んだのは「てのひらに太陽に号
夜須駅の「やすにんぎょちゃん」。 
天井にもキャラが描かれていました。 
右下の魚を乗せているのは、
安田駅の「やすだアユ君」。
香南市吉川町は
鰻が特産「よしかわ うなお君」、
筆を持っているおじさんは
あかおか えきん さん」 …
幕末の絵師「絵師金蔵」がモデルだそうです。

そして安芸市営球場の球場前駅にいるのは、
球場 ボール君」です。
 球場前駅の壁面にも虎たちがおりました。
そして星野さん揮毫の「」も。
「あきキャンプ メモリアルボード」には、
なつかしの姿が掲げられていました。
ごめんなはり線には
阪神タイガース応援列車」もあるとかで、
車内には阪神タイガースの選手の写真が
飾られているそうです。
サブグラウンド。。。
そしてあこがれの「安芸市営球場」へ。
ふだんは入れない場所も、
整備のためか開け放たれていました。
 ぐるりと一周!
スタンドは想像してた以上に、
ちょっと狭かったですが、
グラウンドは甲子園と同サイズです。
ところで。。。
タイガースグッズって、
この安芸で売られた 小林繁 さんの
ブロマイドが起源なのですよ。

あの「空白の一日」のあと、
コミッショナーの強い希望で電撃移籍、
宿敵巨人をぶった切った勇姿は、
この球場からはじまったのです。 
キャンプ中の会見でよく写った手形陶板。
仕事柄 秋春のキャンプには、
機会がなかなか持てないのですが・・・
いろいろ見れてヨカッタです(・ω・)v