2014年9月16日火曜日

京の夏の旅2014〜祇園閣②


祇園閣の「大雲院」は1587年(天正15)に
正親町天皇の勅命により、開山されたもの。
天正年間の頃は寺町四条南にあったが、
周辺が商業の地となって、
この地に移ってきたとか。

創建400年の1987年に記念事業として、
祇園閣の修復が施されたのである。
仏教文化の隆盛と日中友好の一助と
なればとの願いから、
描かれたのが敦煌壁画の模写なのである。
敦煌莫高窟の壁画の模写は、
北魏より隋、唐、五代、宋、元の
各時代が網羅されている。
「249窟 アスラ神(西魏)」
アスラ神は護持八部衆の一つ。
背後に須弥山、宮殿も描かれる。

現地に行ってもこれだけの壁画を
見て回るのは至難の業だという。
それぞれの有名な個所がズラリ…
まさにエエとこどりなのである。
「272窟 脇侍菩薩(北涼)」
敦煌窟のなかでも
かなり早期に描かれたもののひとつ。
もともと祇園閣に祀られている
阿弥陀仏の脇侍を彩っている。
「254窟 “捨身飼虎の図”(北魏)」
あの法隆寺玉虫厨子にも描かれた図案。
飢餓に苦しむ虎の母子を見て
自身を与えようとする物語。
「182窟 観無量寿経変相図(盛唐)」
「159窟 “吐蕃王図”(中唐)」
 当時ここを占領していたと言われる
吐蕃賛普(君長)の姿が描かれています。
「3窟 千手千眼観音菩薩(元)」 
観音菩薩を題材にした現存唯一の窟壁画。
縦長である壁面に応じて、
左右にある吉祥天婆藪仙(ばすうせん)
下方部に描かれている。

普段...いや…
きっと莫高窟には行けないだろう
良い体験をさせてもらいました(・ω・)v

★壁画はパンフレットより転載★

2014年9月15日月曜日

京の夏の旅2014〜祇園閣①

「京の夏の旅」...
もうひとつは「大雲院 祇園閣」。
京都の八坂神社よりもやや下(しも)、
ねねと秀吉のお寺「高台寺」周辺にほど近い。
祇園を見下ろす異様なフォルム。
もとは大倉財閥の創始者である
大倉喜八郎の別邸だったそうです。
高さ36mの三階建て、
祇園祭の鉾をかたどった造り。
1928年(昭和3)に
祇園祭の壮観を常に披露したい
との願いから山鉾を模したのだそうです。

閣上からは京都の町が一望できましたが、
外の景色も含めて撮影禁止だったのです。
建物は建築家・伊東忠太の設計によるもの、
鉄筋コンクリート造三階建で36m、
地下の基礎も深さ30mにおよぶそうです。
大倉喜八郎は「銅閣を建てたいという夢」の
産物でもあるそうです。
喜八郎のオーダーは
雨傘が逆さまに開いたイメージ」…
さすがに伊東忠太は困難だと断ったとか、
その代わりに提案したのが祇園祭の鉾の形。
ただ銅閣としての思いは捨て切れず...
屋根は銅葺きになっていおります。
内部壁面は開創400年を記念の
敦煌の壁画の模写が奉納されておりました。
内部はパンフ写真を交えて次回にお送りします。

2014年9月7日日曜日

京の夏の旅2014〜建仁寺 両足院

今年も「京の夏の旅」に行って来ました。
夏の記憶を刻んでおきます。
この企画は今回で39回を重ねるもので、
夏の暑い時期にも京都に観光客を
呼ぼうという企画でして、
「京の蒸し暑さに耐えられるか」という
チャレンジ精神が必要でもあります。

建仁寺 両足院」は、
建仁寺の開山・栄西(ようさい)
黄龍派(おうりょうは)という法脈を受け継ぐ、
臨済宗建仁寺派の塔頭寺院。
ちなみに「法脈」とは、
各宗の法義が師から

弟子へと伝えられることで、
茶道とか能狂言の「流派」のようなもの。

境内にある「毘沙門天堂」は狛犬ならぬ、

狛虎??

関ヶ原の戦いおりに 黒田長政が、
関東方として出陣する際、
尊像を内兜に収めて奮戦したとか。
尊像は代々黒田家で信仰さきたのですが、
明治維新後に寄進されて今に至ります。
勝利の神として慕われていますが、
戦前から祇園の芸妓さんや舞妓さんにも
信仰があり念願成就をお祈りされていたところ。
「いい旦那さんがみつかるように」と願いは、
今は「縁結びの神」としても親しまれています。
庭園は、
白砂と苔に青松が美しい唐門前庭。
そして...
本堂を取り囲む「池泉廻遊式庭園」...
夏の碧さを満喫でございます(・ω・)v
方丈襖絵が完成記念として
初公開されていました。
遠目に一枚だけ...
ボランティアガイドさんが
説明されているのは、
道釈画家である
七類堂天谿(しちるいどうてんけい)さん
の筆によるもの。
如拙筆と伝わる、
孔子・釈迦・老子が寄り添う姿を描いた
三教図」などの
貴重な寺宝も公開されていました。
実はこの平成26年が建仁寺開山・栄西禅師の
八百年大遠諱を迎えるにあたるそうです。
毘沙門天堂の社紋は「ムカデ」...
ムカデは
毘沙門天のお使いだと言われています。
ムカデは漢字で書くと「百足」、
「たくさんの足(百足)のうち、
たった一足の歩調や歩く方向が違っても
前に進むのに支障がでる。
困難や問題に向かうには
皆が心を一つにして当るように」
毘沙門天の教えを表しているそうです。

武器甲冑や旗指物に
ムカデが用いられるのは、
一糸乱れず果敢に素早く前に進み、
決して後ろへ退かないに習ったもの。
ちなみに「」もお使い。
毘沙門天が出現されたのが
寅年、寅日、寅の刻とされることに
由来するのだそうです。

2014年9月6日土曜日

つよき者の悩める姿〜「曾我蕭白 鳥獣画の探究」へ


朝日新聞社の創業者・
村山龍平 さんのコレクション
神戸市にある「香雪美術館」に
行って来ました。
曾我蕭白は京都に生まれたという
出生をのぞくと謎に包まれた画家。
十代のころから画業で身を立てることを
目指して学んでいたそうです。
「雪山童子図」曾我蕭白 画(三重・継松寺) 

室町水墨画に学んだ個性的表現、
虎次郎の好きな
伊藤若冲長沢芦雪とともに、
「奇想の画家」として知られる存在。
「鷹図」曾我蕭白 画(香雪美術館)

鳥獣画の探究」と銘打たれた企画展は、
彼が2度滞在したとされる伊勢で
受け継がれた屏風や襖絵などが
展示されていました。
「架鷹図屏風」のうち左隻 部分 曾我蕭白 画
 (奈良県立美術館・17世紀)

「波濤群禽図襖」部分 曾我蕭白 画
 (三重県立美術館・1764年頃)

なかでも三重の民家に大切に受け継がれた
鷹図押貼絵屏風」は
これまでみた蕭白の絵とは、
一線を画すものでした。
絵ハガキなどが無かったので
画はないのですが...

猛禽類の頂点にある鷹が狙う"禽類"...
食うものと食われるもののある姿。
強いであるが故に
その内面に秘める鷹の威容。
いろんな鳥を襲ってる鷹...
そして逃げ惑う禽類。
水に映る鷹の姿は
デザイン的にも卓越したものがありました。
「比叡山図」曾我蕭白 画
 (滋賀県立琵琶湖文化館)

蕭白の作品は、
ケバケバしいという印象を
持っていたのですが...
まさに目からウロコの展覧会でした。

2014年9月5日金曜日

スミレの花の100年展

今年の大阪の夏は猛暑日がなかったんですよね。
でも日焼け満開な虎次郎は、
夏を満喫しておりまして...
こないだは兵庫県立美術館で行われていた
宝塚歌劇100年展」に行って来ましたよん。
宝塚歌劇のルーツは
1914(大正3)年4月、
温泉場の余興としてスタートした
宝塚少女歌劇」。
阪急東宝グループの創業者であった
小林一三(かずみ)さんの経営理念は、
指導者に優秀な人材を採用し、
音楽教育の基礎をしっかりと!!
そこかしこに撮影スポットがありました。
タカラヅカといえば『ベルサイユのばら』。
こちらは「オスカルの部屋コーナー」。
 
そして「アンドレ」と「オスカル」の衣装!!
ヅカファンは真ん中に椅子にて、
扇をもって座っておられましたよ。
大階段も設えてありました。
体験コーナーでは夢のジェンヌに!!
虎次郎は実際には、
タカラヅカに行ったことがありません。
ファミリーランドはなんどか行ったけど。
ちょっと観劇ってのは
あまり良くわからないので...
フツーに興味津々だったのが、
阪神間モダニズムとタカラヅカ
 美術作品にみるタカラヅカ
」。

宝塚歌劇の文化的背景である
阪神間モダニズムの
雰囲気を伝える美術作品が、
近隣美術館から集まっていました。
 国枝金三《中之島風景》
  1927(昭和2)年 大阪新美術館建設準備室
 小倉遊亀《コーちゃんの休日》 
  1960(昭和35)年 東京都現代美術館
女優 越路吹雪 さんがモデル!

そしていつものカフェで名物のカレーを。
今年の”寳塚”は、
歌劇100年、市制60年、治虫記念館20年。
その記念コースターが付いてました。
濡れないようにと別に渡してくれた(・ω・)v
次は治虫記念館に行こうかな。。。