2019年3月24日日曜日

蟄からの蠢き~驚異の超絶技巧⑦


更谷富蔵《夏の記憶》

そろそろ虫たちが
出てくる季節ですね。
春の二十四節気には、
「立春」「雨水(うすい)」…
そして「啓蟄(けいちつ)」。
正阿弥《瓢に蜂花瓶》

その次は「春分」…
「清明」「穀雨」と続きます。
大竹亮峯《飛翔》

蟄虫とは…地中にこもって
越冬する虫のこと。
は「ひらく」の意。
大竹亮峯《勝虫》

織田信長の兜の前立て、
その一つに
トンボをモチーフに
したものがあります。
トンボは前に進めても、
背を向けて、
後退する事が出来ないのです。

古くは…
雄略天皇が吉野に出掛けた時、
アブに腕を刺されたのですが、
そのアブをトンボが咥えて
飛び去っていったとのこと。
敵を屠る味方というイメージ、
強くて縁起が良い虫の所以です。
本郷真也《柿に雀蜂》

本郷真也《葉に蟷螂》

ふたたびカマキリ
「蟷螂の斧を以て

 隆車の隧を禦がんと欲す」
という中国の故事がある。
足利義詮に挑んで戦死した
公卿 四条隆資の戦いぶり…
四条家の御所車に
蟷螂を乗せて巡行した
祇園祭の山鉾・蟷螂山の由緒。
高瀬好山《鍬形》


宗義《蜂》


満田晴穂《自在十二種昆虫》

自在という用語は実は新しく、
1983年の東京国立博物館で
開催の「日本の金工」展で、
原田一敏 東京藝術大学教授が
初めて使われたのだそうです。
明治以来の自在の技法を
しっかり受け継ぎ、
腹や顎など、
本来の昆虫が動く部分は、
ほぼ全て可動するとか。
まさに
蠢き」が自由自在
という代物なんだそうです。

満田晴穂さんは、
東京藝術大学の
彫金研究科に学んだが、
在学中に出会った、
高瀬好山の系譜を引く
京都の冨木宗行に入門、
明治工芸の超絶技巧の
遺伝子を引き継ぐ人。
さらなる挑戦を期待しましょう。

七宝・二人のナミカワ~驚異の超絶技巧⑥

並河靖之《藤図六面花瓶》

七宝の技法は幕末から明治に
かけて大転換期を遂げた、
有線七宝」がソレ。

薄くリボン状の金属線を貼って
文様の輪郭線を作り、
釉薬を差して窯で焼き付ける。
濤川惣助《波濤鷹図盆》

もうひとつが、
色の境目を区切る金属線を、
釉薬をさした後に取り除く
無線七宝」。
安藤重兵衛《月に時鳥図花瓶》

にじみ」や「ぼかし」の
視覚効果がうまれて、
七宝に文様表現の
新機軸をもたらしました。

並河靖之《紫陽花花図花瓶》



並河靖之は幕末の京都に生まれ、
武家の出身ですが生活は苦しく、
明治になって副業として
七宝焼を始められたそうです。

並河靖之《花文飾り壷》


濤川惣助《舟鷺図皿》

濤川惣助は千葉県の農家出身、
陶磁器を扱う
貿易業を営んでいました。
彼は
1877年、
殖産興業の一環として
日本初の博覧会が開催、
その会場で靖之の七宝焼に…

魅力に取りつかれて一念発起。
2年にわたる修練ののち、
生み出したのが
無線七宝」なのです。

並河靖之《蝶に花の丸唐草文花瓶》

七宝焼は重要な輸出産業で、
技術力が低かった工業製品の
輸出では利益が出なかった、
その代わりに手作業による
美術品・工芸品が要でした。



並河靖之《蝶に桜図香合》

明治期の美術工芸品は
日本国内に残っている
数が少ないのです。

並河靖之《花文飾り壷》

超絶技巧」という言葉は、
2014年開催の
超絶技巧!明治工芸の粋
からだと思います。
かつてその多くが
海外に流出してしまった
素晴らしい明治工芸を、
ここ30年ほど
精力的に買い戻して
収集されて
村田コレクション」、
京都・清水三年坂美術館
所蔵品がベースになっています。

並河靖之《蝶図瓢形花瓶》

七宝の「二人のナミカワ」に
話に戻します。
有線と無線の対決が
東京の迎賓館赤坂離宮
花鳥の間」。

濤川惣助《芙蓉に鴨図花瓶 一対》

壁を七宝の作品で飾る
計画が持ち上がると、
その候補に…
並河靖之濤川惣助の二人。
どちらに軍配??
その答えは、
迎賓館赤坂離宮のHPで…

※このブログは「美の巨人たち」の番組を参考にしました。
並河靖之「蝶図瓢形花瓶」 濤川惣助「七宝富嶽図額」

金工たちの逞しさ~驚異の超絶技巧⑤


駒井《龍に紅葉狩図大皿》

250年以上続いた
江戸幕府が崩壊、
明治政府が生まれた。
それまで将軍家や大名家を
パトロンとして生計を
たてていた刀装金工たち。

無銘《鐘楼形時計》

明治9年の廃刀令で、
生活の糧を突然失う。
やがて殖産興業へ…
工業製品を未だ持ち得なかった
日本の重要な輸出品となった。

正阿弥勝義《群鶏図香炉(矮鶏摘)》

ツマミは矮鶏(チャボ)
赤胴※1と緋銅※2を象嵌して、
肉彫り※3している。
正阿弥勝義《群鶏図香炉(蟷螂摘)》

欧米では金工とは
ブロンズや銀の鋳造品。
こちらの摘は蟷螂
カマキリのこと
カマキリは車が近づいても
逃げないことが多いので、
當郞=当たり屋という意味が、
由来とも言われています。
蔓茘枝(つるれいし)とも言われる、
苦瓜に脚を立てています。

前足を合わせて上下させる
姿から「拝み虫」とも、
古くは呼ばれていたとか。
英語では「mantis」、
ラテン語で僧侶を意味する…
古今東西の一致がオモシロイ。
正阿弥勝義《古瓦鳩香炉》

金、銀、素銅(すあか)※4
そして赤銅を四分一(しぶいち)と
呼ぶ色金(いろかね)に、
高度な彫りや象嵌技術。
海野勝珉《棕櫚草花図花瓶 一対》

日本が国家として初めての
公式参加であったウィーン万博
金工品への称賛の声は大きく、
爆発的な人気を博したのです。
雪峰英友《菊尽香炉》

重なり合う菊の花びら…
一枚一枚を鏨(たがね)
彫り出したという。
正阿弥勝義の
《古瓦鳩香炉》に戻ります。

「樂」の文字の軒丸瓦は、
鉄の鍛造の錆付で古瓦に。
メタリックに輝くが一羽、
覗き込んだその視線の先…
鳩のクチバシと足は素銅
目と羽の文様は赤銅の象嵌。

体長およそ12mmのクモは、
銅地に金・銀の平象嵌
鳩と蜘蛛との間に漂う、
張り詰めた空気を伝えます。


※1 赤銅とは?
「しゃくどう」、「せきどう」とも読む
銅に3 - 5%の金を加えた合金のこと。
発色処理を加えると、青紫がかった黒色を呈する。

※2 緋銅(ひどう)とは?
古来より武具の装飾などに用いられてきた伝統技法。
磨いた純銅を限界まで熱して、いいタイミングで
ホウ砂水溶液の中で急冷することで、
銅本来の特殊な緋色の皮膜を定着させる技法。

※3 肉彫とは?
にくぼり、ししぼりとも読む
立体的な彫金技法である。金属を彫りくずし、
立体的表現をする丸彫りと、金属板を裏から打出して高肉とし、
表面から細部を彫刻したものとがあります。
肉取の高いものを高肉彫りといい、薄いものを薄肉彫り。

※4 素銅(すあか)とは?
素銅という言葉は、刀剣関係で今は普通に使用するが、
江戸時代には使われていなかったようです。
『日本刀大百科辞典』によると…
「まじりけのない銅、つまり合金になっていない銅、
 またはメッキや色着けがしていない銅。
 赤銅や山銅の対語。装剣具の材料に使われる。」
「山銅」には、自然銅と合金によるものの二種があり、
山から出たままの銅には不純物を含んでいるが、
江戸期のものは「素銅」に鉛・砒素・アンチモンなどを混ぜ、
使用目的に適した合金として作られたとのこと。

2019年3月23日土曜日

彫りもホッたり~驚異の超絶技巧④


いままさに舌をのばし、
蝸牛を腹へ納めようと
見下ろす蛙くん

三代 正直《釣瓶に蝦蟇》

釣瓶とは井戸から
水を上げるもの・・・
使い古されたのか、
削れて所々に穴が開く、
彼らの棲家になっている筈。

蝦蟇のイボイボ、
縄が取り付けられていた
鐶(かん)錆びた鉄釘
波状の木目や木の節まで、
すべてが木彫の技。
根付師の三代 正直

(1890~1946)の作と
考えられています。

加藤巍山《しかみ改》

武田信玄との戦に負け
逃げ帰ったときの家康
「しかみ像」を立体化。


《徳川家康三方ヶ原戦役画像》
コレのこと…
徳川美術館の収蔵です。

かなり凛々しい…
「しかみ像」にはいろんな
逸話が入り乱れていますが、
」というから、
家康の威厳を取り戻した
そんな風にも見えます。

久能山東照宮像にくらべ、
まさに改めて名誉回復です。

加藤巍山《恋塚》

源平合戦 遠藤盛遠の像。

夫ある袈裟御前に恋する…
思いを遂げるべく、
夫の寝所に忍び込み…
首は身代わりの御前のもの、
絶望の瞬間 鑿(ノミ)さばきで。

高村光雲《布袋》

光雲は明治維新後も、
牙彫に手を出さずに
木彫に専念していた人。
廃仏毀釈の真っ最中で、
仏像などの木彫が斜陽に...
「西洋彫刻のことにあこがれ、
 実物写生によって
 研究努力した後の
 木彫りであったから…」

光雲の新境地の
キッカケになった作品は、
これだったのかも知れません。

石川光明《元禄美人》
 清水三年坂美術館 蔵

野原貞明《蔬菜図文庫》

桑材に貝、緑に染めた鹿角、
象牙、べっ甲、黒柿など、
巧みに嵌め込まれています。
せり、すずしろ(大根)、
ごきょう、はこべらの四種、
春の七草ゆ。

旭 玉山《鶯図手箱》
旭 玉山の彫嵌の技が冴える。

旭 玉山《家鴨図文庫》懸子

懸子(かけご)とは経箱などの
縁にかけてはめる底の浅い箱。
インゲン豆は鹿角を緑に染め、
葉と茎はあえて金属で黒柿色で、
自然とインゲン豆に目が行く。

前原冬樹《一刻:皿に秋刀魚》


展覧会チラシにもこんなイラスト。

展示室の一番始めに置かれた、
「食べ残し」(笑)
ひょっとしたら、
猫へのおすそ分けかも。

前原冬樹さんは、
プロボクサー、サラリーマン…
そして32歳で東京藝術大学
油画科へ入学という異色経歴。
彫刻は独学だが、
着色技法は油画科の学歴が、
活かされているのかも知れません。

皿と秋刀魚は一体

なので…
秋刀魚の骨の下の空間は、
彫刻刀を下から差し込んで
彫り込んだってこと。
ココまで彫りますか(T_T)

展覧会は
あべのハルカス美術館にて、
4月14日までやってますよ。