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なにわ企業のあつめた絵画たち②

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マリー・ローランサン 《マンドリンを持った   二人の若い娘と子犬》  1940年代 (アートコーポレーション株式会社 所蔵) ローランサン (1883-1956)は パリに生まれ、若い頃から エコール・ド・パリ の 芸術家と交流したこともあり、 早くから頭角を表した人。 この作品は1940年代のもの… 現実の世界とは一切無縁の、 神話やおとぎ話の世界を 好んで描いた彼女… 見る者の特定を拒み 匿名性を徹底 することで、 自分だけのファンタジ ーへ… ジョルジュ・ルオー 《手品師》 制作年不詳 (コクヨ株式会社 所蔵) 腹に力を入れ、上を見上げ、 足を踏ん張る、 ジャグリング姿 、 四角い画面を差し伸ばした手で 支えているかのように映ります… 中川一政 《静者》制作年不詳 (損害保険ジャパン  日本興亜株式会社 所蔵) 展覧会の解説にこうありました。 「本展出品の作品の多くは、  会社の品格や信用性、  社風などを外部の者に伝える  対外的に極めて重要な役目を  帯びた企業の 役員室 や  重要なお客様をお迎えする   応接室 などに掛けられており、   会社そのものを象徴 する。」 左: 小倉遊亀 《九谷焼》制作年不詳    (伊藤忠商事株式会社 所蔵) 右: 宮本三郎 《海老と雲丹》1959年    (株式会社ロイヤルホテル 所蔵) 東郷青児 《旧い街》1973年 (損害保険ジャパン  日本興亜株式会社 所蔵) 早川良雄 《ポスター「女の顔」  シリーズの原画》1985年 (京阪ホールディングス株式会社 所蔵) 児島善三郎 《バラ》1957年 (伊藤忠商事株式会社 所蔵) 児島善三郎 (1893-1962)は 長崎医専薬学科を中退し上京、 東京美術学校の受験失敗後も、 独学で絵画制作 を続け、 二科展入選、二科賞受賞の異彩。 渡仏後も二科展に出品した。 強い色彩で描かれた薔薇には、 輪郭線がなく、 花びらの 内側にのみ陰影を 施す。 現実感を欠いた 不思議な印象そのものが、 彼の画風なのだそうです。 三岸節子 《花》1950年代後半頃 (損害保険ジャパン  日本興亜株式会社 所蔵) 「描かれて

なにわ企業のあつめた絵画たち①

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コーポレート・アート・コレクション 「 なにわの企業が集めた絵画の物語 」 展に行ってきました。 行われているのは、 大阪府立  江之子島文化芸術創造センター 。 愛称 enoco で 2012年4月に開館。 大阪府の美術コレクションの 管理とか活用をされている拠点。 旧大阪府庁舎 があったとこ、 いざ江之子島政府へ① enoco でブログったことがあります。 写真OKということでしたので、 いくつかを紹介していきます。 赤松麟作《志摩大王崎》 1936年 (住友電気工業株式会社 所蔵) 赤松麟作は大阪市立美術館内にある 美術研究所の講師を務めていた人。 「志摩大王崎」 という場所は、 印象派などの画家が好んで描いた 海岸の風景に似ているので、 日本の画家たちも よく訪れていた場所とか… エドゥアール・マネ《夫人像》 (株式会社三井住友銀行 所蔵) 室内で椅子に座りポーズを 取る女性を描いた 《 草上の昼食 》 で 大スキャンダルを描いた フランス近代絵画のマネの小品。 作品を仕上げる際には習作を 繰り返したと伝わるマネ。 そうした スケッチ的習作 の一つ。 藤田嗣治《パリ》 1917年 (コクヨ株式会社 所蔵) ここ数年いくつかの回顧展が 開催された 藤田嗣治 のほぼほぼ、 初公開の作品です。 パリでの憂愁に充ちた風景画は、 藤田の陶磁器を思わす 乳白色の画面 が生まれる前のもの… 歌川国貞《美人画 全盛見立三福神》 1825年 (医療法人誠仁会   りょうき歯科クリック 所蔵) 花魁たちの前に、 お客に見立てられた、 えびす、大黒、寿老人 。 寿老人が持つ巻物は、 ここでは 恋文 なのです。 ともに アンリ・ド・ドゥールズ= ロートレック の 《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》   1891年 《キャバレーのアリスティド・ブリュアン》   1893年 1860 年代、パリの街中に華やかな ポスターが出回るようになりました。 色鮮やかな大型ポスターが 印刷できる版画の一種 リトグラフによるもの。

猿田彦のミチを開くvol.16 椿岸神社(四日市市智積町)

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四日市市智積町 という地、 鈴鹿市にある 椿岸神社 と 同名の神社がありました。 近鉄四日市駅から 湯の山線 に 乗り換えて… 「桜」 という駅。 日本人に馴染みの深い花ですが、 駅名になっているのは2つ。 もうひとつはお隣の愛知県 名古屋市南区にある 名鉄名古屋本線 の駅。 かつては島根の 一畑電気鉄道 立久恵線 にもあったそうです。 湯の山温泉方面の一駅先には、 菰野 という駅があり、 湯の山温泉 も 御在所岳 も 菰野町にあるのです。 天気が良かったこともあり、 ハイキング姿がありました。 智積町には鈴鹿山脈の地下水が 菰野町の蟹池 に湧き、 江戸時代からこの地を潤す 智積養水 が流れています。 澄んだ水に泳ぐ鯉たち。 用水ではなく「 養水 」と 呼ばれているのは、 水田を潤し人々を養う 惠の水である感謝の気持ち が 込められているからとか… 御祭神は、 天受賣受命 、 猿田彦大神 、天照大御神。 由緒書にもこの順序で 記されています。 椿岸神社 ですからね… かつては伊勢の海が 智積の辺りまで入り込み、 さざ波が立っていた太古。 やがて鈴鹿山系に源を発する 三滝川 と 矢合川 が流れが 多くの年月を重ねて、 海岸線も遠のかせたそうです。 本殿の東側にお稲荷さん、 平安時代の終わりごろに 西園寺家の御厨が成立して、 のち 智積御厨 と呼ばれました。 智積御厨の領主 松木宗藤 は、 その息女 加賀姫 を戦乱から 避けるためにこの地に… 櫻村字南垣内という地に、 京都の 伏見稲荷神社 の祭神を 勧請して「 幸田神社 」が 創建されたそうです。 御厨とは簡単に言えば… 荘園 のことです。 明治の末に椿岸神社に 合祀されていたのを、 戦後1960年に再建… 姫自筆の棟札 が椿岸神社に 遺されているそうです。 いまは「 椿岸稲荷神社 」。 稲荷鳥居の側に 皇居遥拝所 。 その右手に 猿田彦命 が 祀られています。 猿田彦神社の鳥居をくぐると 神宮遥拝所 があります。 明治17年の智積村地誌によると、 智積御厨の成立を契機に、 伊勢神宮の 分祀社 神明社 が 建立されたそうです。 伊勢信仰が 御師(おし) たちの 活躍で支えてこられきた、 その一端でもあります。 神社の手水舎の裏手に… 左三巴 の神紋。 水が渦巻く様子を 形にしたもので、 火除けのまじ