大津絵の伝承者たち④ 小川千甕


《西洋風俗新大津絵》

パリのギャルソンが
客のスーツケースを
運んでいる姿を描いた
「旅館のおとこ」

《大津絵十種(釣鐘弁慶)》
 1894年 久保田米僊

これが元ネタか?

《西洋風俗新大津絵》
「さすらひの楽師」

小川千甕(1882-1971)は、
絵仏師の修行を積み、
その後 浅井忠に師事、
明治末の上京後は、
挿絵や漫画を手がけて
好評を博した人です。
《西洋風俗新大津絵》は、
1914年に描かれたもの。

《西洋風俗新大津絵》
「ホーレンダムの娘」


千甕自身のコトバ
「原始的なうぶな色彩が
私の筆の穂に扱われてある間は
俗世の忘年邪念も私の頭の内に
潜入して来ません」と…

《西洋風俗新大津絵》
「ダンスの女」


第一次世界大戦の直前に、
留学見聞した西洋の風物を
大津絵として描いています。
ただモチーフそのものは、
大津絵画題へのコダワリは、
薄いように思えます。

《西洋風俗新大津絵》
「パリの辻待馬車の馭者」


墨の部分は木版摺師の刷り
そして泥絵具で平面的に塗る。
紙は間に合い紙のようにも…
泥絵具による単純な色彩、
スタイルとしての大津絵の
伝承者なんでしょうね。

《西洋風俗新大津絵》
「村の娘(南ドイツにて)」


「私はこの頃例の
西洋風俗新大津画に
没頭してゐます、
…雨ふりの静かな日、
丹とか黄土とか云ふ
如何にも日本の地面から
採取さてたと思はるゝ
所謂泥画具で、
のんきな気分で
ゑどつてゐるのです」※1

《自画像》1969年

千甕(せんよう)という雅号は、
京都市立陶磁器試験場の
絵付け技手となったことを
契機にを自ら名付けたもの。
仏画師、洋画家、
漫画家、日本画家…
さまざまな顔を持った千甕。
仙厓の作品を好んだとも
伝わっています。

《西洋風俗新大津絵》
「南伊太利の飾り馬」


南イタリアの飾り馬を
描いた一枚ですが、
神馬を意識しているとか…
千甕はセザンヌを崇拝したが、
セザンヌに「脱俗的世界」
見たのだそうです。

《西洋風俗新大津絵》
「ベニスのゴンドラ」


京都文化博物館
植田彩芳子さん曰く、
「…小川千甕の試みは、
浅井忠の衣鉢を継いで、
新たな画題で今様大津絵
生み出した点に
新味があったと言える。」※2

《西洋風俗新大津絵》
「独逸の大学生」

脱俗 への志向、
素朴美と脱俗的世界を
大津絵に見出した人でした。


※1「冬の宵に」小川千甕
『ホトトギス』17巻8号所収 1914年5月

※2 このブログは京都文化博物館学芸員
 植田彩芳子さんの「近代京都画壇と大津絵 
 〜小川千甕《西洋風俗大津絵》を中心に」
      を参考にしました。

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