2014年4月30日水曜日

絵にみる和食通⑨ 季節の食・七草

季節をいろどる食を綴ってきましたが、
年の始に食べるのは「おせち料理」。
おせち料理の「節
(せち)」とは
節日(せちにち)」のこと。
節日のための料理すべてをさすのですが、
今では特に正月のために用意するものが
おせち料理と呼ばれるようになりました。
「春興七福遊 七草」喜多川歌麿 画
(東京・太田記念美術館) 

おせち料理が退屈になってきた頃…
そんな言い方をしてはいけないのですが、
一年の無病息災を願って1月7日に
作られるのが「七草粥」。

俎板
(まないた)に七草の菜をのせ
「七草なずな  唐土の鳥と
 日本の鳥と  渡らぬ先に
 七草なずな  手につみ入れて
 あみばし  とろき  ひつき  ちりこ
 げにげにさりげなきようにて
 物の大事は侍りけり」と...

六日の夜から七日の早朝にかけて、

俎板(まないた)の上に七つの道具をそろえて
七草を叩き刻んだのが「七草叩き
歳徳神の方に向かって叩いたのだそうです。

「春遊娘七草」歌川国貞 画
(東京都立図書館)
七種の道具というのもあって、 
 火箸・擂粉木(すりこぎ)・杓子・
おろし金・菜箸・火吹竹・割薪 など。
このときに唱える言葉が囃子歌「七草囃子」、
各地に伝わっているのですが、
地域によってさまざまなものが伝わるそうです。

七草にはこんな効能があるといわれます。
せり    消化を助け黄疸をなくす
なずな   視力、五臓に効果
ごきょう  吐き気、痰、解熱に効果
はこべら  歯ぐき、排尿に良い
ほとけのざ 歯痛に効く
すずな   消化促進、しもやけ、そばかす
すずしろ  胃健、咳き止め、神経痛

実は春の七草はすべて食せるけれど、
秋の七草はすべて
目であじわうものってのが、
面白いですね。

2014年4月27日日曜日

欲しいチカラ「編集力」!!

ITの進歩、経済グローバル化、
記憶力をコンピュータと競争しても立ち行かない。
手もとにあるパソコンでさえも
めいいっぱいのハードディスクを用意しても、
「あっちがわ」=クラウドには
敵わないのであるからして。。。
で・・・人はこれから何をするのか?
4月28日号のAERAによると
「編集力」こそが人間技
ということになるというのか・・・



「日本のビジネスは編集力で強くなる」では、
「ビジネスは人なり。
 人と人のネットワークから、
 創造が生まれる。」とか、
「自分をさらけだすことで、
 外の力を取り込む。
 そして、互いに進歩する。」なんて
見出しが続く。
そして苦情とかクレームとかこそ、
新しい仕事の玉手箱であると。

イマ必要以上に
自分をさらけ出す」ってことが、
意識的にいや嫌がおうにも
自分と意図しないところで、
ジブンが蓄積されています。
たとえばフェイスブックでは、
いくら公開制限をしても、
シェアされたりコピペされれば
地球公開」になってしまう訳で。。。
でも
そんな時代だからこそ
ソコを逆手に取っちゃおうと思う。
茂木健一郎さんはこう言われる。
「編集力を磨くには、
 まず圧倒的な経験値が必要です。
 本を乱読する。
 好奇心をそそられる体験をする。
 たくさんの人から話を聞く。
 ネットワークを作る。」。

FBの友達数は単に数だけではなく、
どんだけキーを持つ人
繋がっているかであると思う。

話は少しそれるが、
最近ボクは名刺を整理するのはやめた。
正確に言えば紙としては保管していないので、
間断なくシュレッダー候補になっちゃう。
というのも
名刺アプリをiPhoneに入れてるから。

いろんなアプリがあるけど
名刺認識「CamCard」を。
有料版は少し高いけど、
値段応分な感じですよ(・ω・)v
OCR=文字認識も優秀やから・・・

ポイっと逝かれないようするには、
と編み出されたのが「名刺クッキー」くん。
これだとクッキーを食べたくなるまでは
持ってもらえるってことになります。
印象が薄いといけないから一度作ってみるかな・・・

2014年4月26日土曜日

絵にみる和食通⑧ 麦茶が飲みたくなるとき

昼のさなかは気温が
どんどん上がりましたね。
朝夕はあんなに涼しいのに…
ちなみに虎次郎はご飯を家で食べるときは、
いつも飲むのは「冷たいお茶」でして、
いつもお茶は冷えたものを欲します。

「十二ヶ月の内 六月門涼」渓斎英泉画
(国立国会図書館所蔵)

夏の夕方、道ばたに「むぎゆ」と書いた
行灯を出して、団扇を手に客を呼んでいる。
「むぎゆ」ってのは「麦茶」のこと。

実は緑茶が普及するはるか以前から
麦茶は飲まれていて、
戦国の武将たちも愛飲していたそうです。
平安時代には
麦こがし売り」なるものが登場、
もともと煎じて飲んでいたようです。

江戸後期の風俗を記す
『江戸府内風俗従来』には、
「夏の夜、麦湯店の出る所、
 江戸市中諸所にありたり。
 多きは十店以上、
 少なきは五、六店に下がらず。
 大通りにも一、二店ずつ、他の夜店の間にでける。
 横行燈に「麦湯」とかな文字にてかく。
 また桜に短尺の画をかき、その短尺にかきしもあり。
 行燈の本は麦湯の釜・茶碗等あり。
 その廻りに涼み台を並べたり。
 紅粉を粧うたる少女湯を汲みて給仕す。」
「夜商内六夏撰」歌川国貞画
 (東京都立図書館)

江戸の街頭には照明がなく暗かったので、
麦湯の行燈が闇を彩っていたようで、
江戸情緒の一役買っていたのだそうです。

麦茶と呼ばれるようになったのは、
明治時代に西洋のカフェ文化が日本に伝って、
喫茶店がそこかしこにできた頃からとか。
冷やして飲むのは、、、
やはり冷蔵庫が家電となったか頃でしようね。
最近では麦茶に「牛乳」を入れたり、
「ハチミツ」を入れたりするのがイマ風とか。

絵にみる和食通⑦ ひやむぎの季節へ

まだまだ朝晩は冷やっとするのに、
季節の移り変わりは確実に初夏へと
ちゃ〜〜んと刻まれているようです。
こないだツバメちゃんの姿を見かけました。

「今様美人揃 亀清楼上すみ」歌川国貞画

江戸は隅田川を臨む柳橋に近い
高級料亭亀清楼で
ひやむぎ」を食べる美人。
「ひやむぎ」は室町時代から行われていた
切麦のひとつで、
饂飩と同じ工程で作られます。
麺を箸にしつつふと眼をあげると...
隅田川の川面に燕が飛んでおるます。
燕が一層季節感を添えています。

「紫陽花に燕」葛飾北斎画

紫陽花は、5~7月頃に咲く花です。
ちなみに花言葉は
辛抱強い愛情」なのです。

「月夜桃に燕」(部分)歌川広重画

桃は3月から4月にかけて...
いろいろ調べてみたけれども、
燕に定番のお花はないようですね。

「東京名所十二月
 四季の美人 五月」尾竹国一画

1901年の明治の石版浮世絵です、
菖蒲園を背景に、
お菓子箱の上に花菖蒲を添えて...
ツバメの姿が飛び交います。

「花街模様薊色縫」歌川豊国画

「さともようあざみのいろぬい」
歌舞伎からの題材のワンシーンです。
「仁八」という男が「二八」と書いた
けんどん蕎麦売りが
八重垣紋三と語っている図。

「二八」とは「二八そば」のこと。
ただ江戸時代の世相背景の中で
ごくごく自然発生的に生まれたとかで。
「二八=2×8=十六文説」は、
ちょっとあとづけでのようです。

信濃から奉公に来ていた
三六(さぶろく)」ってのもあります。
三ぶ六という名前から算盤の縁語から、
国(九二)へ帰るとなる。
「三ぶ六(3×6)十八才」で
江戸奉公の年を示していると。

「二八」という言葉の初見は享保年間で、
1720年頃なのだそうです。
『享保世説』に
「仕出したは即座麦めし二八そば
 みその賃づき茶のほうじ売」とあります。
当時は六文~八文の値段だったとか。
つまり・・・・
「二八という二字」=蕎麦屋ってことで、
当たり前のこととして定着したってことです。
「木曽街道六十九次之内 守山」歌川国芳画

蕎麦屋で蕎麦を食う達磨大師。
盛り(守)そばを山のように重ねて
大食いするのは「面壁」九年の座禅の修業が
「麺壁」をつくる大食いの修業であったとの
洒落になっています。
蕎麦切りの所見は慶長年間とか...


そばサイト
「大阪・上方の蕎麦」を参考にしました

2014年4月24日木曜日

校歌そして...

歌詞が完璧でなくてもふと思い出すリズム。
「校歌」ってのは存在であると思う。
ただ虎次郎は中高が同志社香里
そして同志社大学だから、
青春の校歌はたったひとつ。
同志社カレッジソングのみ。
同志社礼拝堂
小学校の校歌の歌い出しは
リズムはすぐ出てくるのだが、
歌詞はなんとなく...
「♫生駒の山並み白い雲
 のびよはばたけぼくらの夢よ〜」だった。
1876年に創立された市内でもかなり古く、
始めは「野江学校」といったらしい。
その後野江・関目・内代の村が合併して、
「榎並村」となったことでこの名となる。
榎並には低学年にも歌えるようにと
えなみこどもの歌」ってのがあった。
三番はこうだ!
「♫えなみのみはみんなのみ
 うんどうじょうは せまいけど
 そらはひろいぞ はりきって
 みんなで うたおう イチニサン」
かなり強引やな〜と”みんな”思ってたし... 

幼稚園の園歌は
ほとんどリズムもわからない。
というのも確か卒園直前にできたから。
作詞は島田陽子さん
「♫風がやさしく ふいてきて
 ブランコ そっと おしてるよ
 みんな なかよし たのしいな
 ぼくの わたしの 野江幼稚園」

ちなみに島田陽子さんは、
あの大阪万博テーマ曲
世界の国からこんにちは』の
作詞家でもある
仕事がらもう一つの校歌も馴染んでる。
職場が学校なのでね。
ウチにも
愛唱歌というか
祝い事にウタウ「祝歌」ってのがある。
「♫茜雲(あかねぐも) 
 清らかに水面(みずも)にうつり」
水面は「みなも」って読むんだけど、
作詞家が「みずも」ってルビをふってるから。。。
これはこれで正しいのである。
朝日新聞の2014.4.23の夕刊
「葦 夕べに考える」に
六甲おろしと俳句」というコラムがあった。
1935年で東京読売巨人軍に続いて、
創設されたので来年が80周年ってことになる。
球団歌は正式には「阪神タイガースの歌」、
球団歌が作られた当時は大阪タイガース
「サビの「オウ!オウ!オウオウ!」は、
直後の「大阪タイガース」の押韻だったという。」
押韻」とは現代風に言えば、ラップなどで
同じ響きの単語を使ったりするのに通じる。

作詞は佐藤惣之助さん。
六甲おろしの作詞家を即答できるのは、
トラキチとしては至極当然なのだが…
思うに「六甲颪」がイチバン歌ってるな。

2014年4月23日水曜日

Stories を探して

雑誌AERAをこないだから
定期購読するようになった。
そのキッカケは
表紙のキョンキョンが輝いていたから。

手にした号には
大人のドラマを楽しむ」って特集が4つ。
キョンキョンのインタビューにはこんなの。

「私、いい名前を付けてもらったと思うんです。
 今日しか見えない。昨日はいらない。
 もう終わったから、明日も明日にならないと
 自分の気持ちもわからないから、
 今日、ここにいる人と楽しみたい、
 ここにいる人に誠実でありたいと思う。
 そういうのを繰り返したら、
 いつかちゃんと死ねるのかなぁと思います。」

ここんとこずっと思ってる今日を大事に、
そしていつもフェアに!
さっと読むとさらに深みに入った...でブログる。

朝日新聞のオピニオン・耕論に
消費される物語」ってのが...
朝刊なのに出かける前にナナメ読みした。

高村薫さんは物語についてこう語る。
「物語は自ら完結する性質があります。
 つまり物語の外を遮断して
 閉じているということですが、
 この閉じた物語をあえて開いて、
 外にまなざしを向けるのが
 人間の進歩だったと思います。」と...

リケジョと全盲作曲家
ニュース性という存在でいつしか、
研究とか作品とか次元のちがうところで、
いわゆる「物語」が作られていく時代。
ドラマの多くが
医療もの・刑事もので凌駕されています。

ドラマ界をリードする二人の脚本家は、
AERA「大人のドラマを楽しむ」でこう応える。
『GOOD LUCK!!』や『白い巨塔』を手がけた
井上由美子さんは【若い力を引きつけたい】と。
「スタッフも本当に頑張っていて、
ギリギリの状況の中でより良いものを作ろうとしている。
ただ、ドラマ志望の若い人が減っているのも事実です。
ADがいないとみんな嘆いてる。…
私たちがかつてドラマに憧れて、ブラウン管の向こうで
作りたいと思ったようなことを伝えたい...」

『最後から二番目の恋』の岡田惠和さんはこう、
「脚本より先に役者が決まっていることが
悪しき習慣のように言われることがありますが、
ぼくはまったくそうは思いません。」

物語はつくられるもの。。。
佐村河内さんや小保方さんのような
サクセスストーリーは支持を集めるのは必然。
朝日新聞の「消費される物語」で、
哲学者・竹田青嗣さんはこう放つ。
「...「夢はかなうかも」と思い続けたい上に、
うさんくさそうな話を疑う
リアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、
裏切られると本気で憤る。」

オボカタ世代」という言葉があるらしい。
「ロスジェネ世代」と「ゆとり世代」の間とか。
学校ではプレゼン力とか持て囃され、
そして「子どもの権利条約」。
結果を先に示した「反転授業」ってのも、
教室には次々とせまってきている。
オボカタ世代が企業で活躍を求められるなか、
管理職なのに部下より上司が多いという組織。
「言い訳?」まだ「反論するの?」って、
言われすぎるのも可哀想とまでは言わないが、
なにか社会が彼らを産んだんだのだと思う。


すこしStoriesから脱線した。
虎次郎が若いころにヘビロテでマイカーで、
まさにかけまくっていたのがTUBEの『Stories』
「♫心の傷の数だけある物語が
おもいやりと勇気を与えてくれる
出会いと別れ くりかえしながら少しずつ
育てていく 眩しさの中 誰もが 手探りで探す stories」

そしてイマの鉄板 MISIA
「♫One day, One life 信じていい 
一秒の間に起こるドラマ
時々は泣いたりするのも 自分らしい日々の証」

これからも...
自分らしい物語を紡いでいこうを思います。

2014年4月22日火曜日

絵にみる和食通⑥ 熱燗がほしいとき 

熱燗よりも冷酒がお好みの虎次郎ですが、
どうしても熱燗がほしいときがあります。
一つは「てっちりの鰭酒」、
もう一つは
寒いときの野球観戦での「カップ酒」。

「Beneath Maple Trees」奥村政信
    (メトロポリタン美術館 )

甲子園での観戦は基本的にビール。
内野席である1塁のアイビーシート
そして3塁のブリーズシートには、
贔屓の売り子ちゃんが居てるのです。
お馴染みの売り子ちゃんができると、
野球観戦が一層快適になります。

たとえば...
試合前にお弁当を食べながら一杯、
虎の攻撃のときにビールを買うより、
守備のときに欲しいので...
次は「5回に来てね」とか。
そしてジェット風船スタンバイの「7回表」。
虎次郎はいわゆる7回裏の儀式?を
やりませんのでその時に。
売り子ちゃんも暇やし、
タイミング的にウィンウィンの関係なのです。

「山海愛度図会 おしやくがいたしたい 
  長門かに 四十四」歌川国芳


なぜなら、
大学の時の虎サークルでは
ジェット風船はご法度やったのです。
カタチが破廉恥だとか、モッタイナイとか。
理由はさまざまですが...
イチバンの理由は風船で見えなくなるから。
今年からジェット風船を膨らますタイミングに、
ジェット風船のマナー」なるものが
アナウンスされるようになりました。

で…もとい熱燗の話を。
酒は燗、肴は気取り、酌はたぼ」落語の枕...
「たぼ」は日本髪の後頭部のこと。
熱燗も昔の人は風情があるというか、
紅葉の落ち葉を集めてと風情を感じます。
熱燗の歴史は以外にも古く
平安時代より楽しまれていたとか。
李白の詩歌「林間暖酒焼紅葉
(林間に紅葉を焚いて酒を暖む)に
影響されたのだそうです。
日本では一年を通して燗が
飲まれるようになったのは、
江戸時代中頃くらいのこと。
日本酒が大ぶりの桶で
製造されるようになったこと広まり、
湯煎方式が普通になって、
冷でやるのは少し下品と
いわれていたのだそうです。

「人間萬事愛婦美八卦意 寒
  すましの秋の月」歌川国芳

燗をつける美人が肩越しに見える柄鏡は
「近江(おうみ=愛婦美)八景」の
秋月の見立て、
季節の通じる(秋月)「寒」は「燗」。
それを「八卦(はっけ=八景)」の
※(かん)」に重ねて、

堪忍の「堪」を占うという趣向の図。

最近は吟醸酒ブームもあって、
香りを楽しもうと日本酒は冷やで、
そんな飲み方がて増えたように思います。
いつしか「燗=安酒」というイメージに、
でも手間のかかるのは「燗酒」なんですけどね。
時代が変われば飲み方も変わるってことかな。

※「坎」の季節
12月上旬をさす。
大雪から冬至を経て小寒にかかる一ヶ月。
春を待つため耐え忍び、準備する苦しい時。

2014年4月20日日曜日

絵にみる和食通⑤ 天ぷら むまそう

京阪や長崎で天ぷらは社会の
上層部へ迎えられたのだが、
江戸ではどちらかというと
庶民食だったといわれます。
浮世絵は月岡芳年の
「風俗三十二相 むまそう」。
明治に入ってからの大判錦絵なのである。
「むまそう」は「うまそう」。
天ぷらを箸でつまむ女が思わず、
目を細めて「うまそう」とつぶやく。
(嘉永年間女郎之風俗)

江戸で天ぷらの登場は、
武士社会ではなく屋台の食べ物でした。
それには「家康の鯛の天ぷら死亡説」
影響していると言われています。

『徳川実録』にはこんな感じに...
『家康公は元和二年正月21日
 駿河の田中(現在の藤枝市)で
 鷹狩をしておられた。
 そこへ茶屋四郎次郎が京より参謁して、
 いろいろな話をしている中で、
 家康公から近頃何か上方で面白いものはないかと
 尋ねられたので、そうですね、
 このごろ京阪の辺では鯛を榧(かや)の油で揚げ、
 その上に薤(にら)をすりかけて食べるのがあります。
 私も食べましたがなかなか良い味わいでした、と答えた。
 ちょうどそのときに榊原内記清久より
 能浜の鯛が献上されていたので、
 早速その鯛で調理するように命じられ、
 それを食べた。ところがその晩より腹痛が始まり、
 急いで駿河の城に帰り療養するのだが、
 一旦は治まったかに見えたが
 ご老体のことでもあり
 またぶり返しなかなか良くならない。
 家康公も心を決めた様子に見え...。』とある。
ここには「天ぷら」とは
一言も出てきてはいないのだが。

当時の料理書
『大草家料理書』や『料理物語』などには、
「鯛南蛮焼は油にて揚げる也」とか、
「鯛を焼いて豚脂で揚げた後
 煮ると南蛮料理という」とあり、
家康が食べたのは“天ぷら”というよりも、
”空揚げ“なのではないかと思われるのです。

「天ぷら死亡説」だが、
実は家康は亡くなる1ヶ月前に、
太政大臣任官の宣命を拝したのち、
城中で能楽を催していたのである。
その間衣冠束帯姿で、
病中の人とは見えなかったと記録がある。
鯛の空揚げ」を食した後の
体調の不調はあったものの、
死因は持病の進行によるものなのでしょう。

で...
徳川家康が天ぷらで死んだとされるのは何故か?
それは江戸の大火が影響している。
実際に江戸城では天ぷら油による
ボヤがあったとされていますし、
天ぷら油発火による火災の予防を意図し、
徳川家は天ぷらを禁忌なものとしたのでしょう。
「近世職人尽絵巻」(部分)鍬形恵斎画

手ぬぐいで頬かぶりをしているのは、
二本差しの武士の姿...
ご法度だったことを伝えています。

ちなみに...
てんぷら蕎麦の登場は江戸時代後期
天保8年(1837)に刊行された
守貞謾稿』には、
『天ぷら 芝海老の油揚げ三、四を加える。』 
『天ぷら・花巻・しっぽく・
 あられ・なんばん等皆丼蜂に盛る。』とも。

天丼は新橋にあった蕎麦屋「橋善」が、
天ぷらの残りを利用して明治に入ってから、
開発したものなのだそうです。
久しぶりに「一宝」さんの
天ぷらが食べたくなりました。
実は東京店の店主は香里のツレなのです。

2014年4月19日土曜日

絵にみる和食通④ 季節の味4月かつお

江戸時代になって江戸では、
初鰹を初夏の味として賞味し、
大金をはたいて着物を質に
おいてまでもとめていたようです。
「十二ヶ月の内 四月」渓斎英泉
目には青葉山ほととぎす初鰹
有名な山口素堂の句。
鰹を手にする
女の向こうにもホトトギス。
「其まま地口猫飼好五十三疋」歌川国芳(部分)
長谷川時雨の『初かつを』では
この句をこう解説しています。
「これは土佐でも住吉でも、
 自由にはめられる、
 五月日本のいさぎよさだが、
 鎌倉といふところに鰹の意義がある。
 鰹は勝男に轉じ、
 釣上げた姿もピンと張つてゐる強い魚で、
 牛の角でなくては釣れないといふし、
 大擧して寄せてくるといふところなど、
 勝夫武士とこぢつけないでも、
 その味と堅實さが、禪に徹し、
 法華經にひたぶるだつた
 鎌倉武士氣質に似てゐる。」
「猫の当字 かつを」歌川国芳
こんな句もあります
初鰹旦那ははねがもげてから
「はねがもげてから」は
飛ぶように売れる勢いの
いいうちは買わないということ。
十二月の内 卯月十二月の内初時魚」三代歌川豊国

初鰹煮て喰ふ氣では値がならず
「煮て喰ふ氣」は刺し身にできるものは
高いからとの嘆きがうかがえる。

初鰹玄関ふまぬ残念さ
鰹の高騰は
相当なものであったようです。

「書画五十三駅 小田原」芳虎

今では初鰹は生姜醤油で
食べることが多いのですが、
実は江戸っ子風は「からし」
初がつを 銭と芥子で二度落涙
梅にうぐいす鰹にはからしなり

春のすへ銭へからしをつけて喰い
通になると「山葵」ってことだとか。
いずれにしても“毒消し”を
添えてってことなのでしょうね

2014年4月18日金曜日

『地図で読み解く日本の戦争』を読み終えて…

「つまり、国家の独立をを守るためには、
国境を守るだけでは駄目で、
国境に隣接する地域を保護することが
不可欠だとする考えである。
日本にとっての「利益線」とは、
朝鮮半島を意味した。」
『地図で読み解く日本の戦争』という新書で
はじめて出会った言葉「利益線」。

日本が航空写真に手がけたのは
満州国をつくったころかららしい、
奉天に「写真処」ができて、
空中写真測量事業が開始されたのだそうだ。

「地図は国家 地図は武器」と帯にあるように
地図は国家財産であったので、
まさに生死を分かつ存在でもあったのである。

占領地支配というのが行われていた時代、
占領した都市では、地図の鹵獲(ろかく)。
「ぶんどり」というか、
相手陣営から「かすめる」ことが行われた。
だから前線で戦うときは地図を携行せず、
万一陥落や下野しそうになったとき備えていた。
まさに地図は奪われてはならない
重要なアイテムだったのである。
いわゆる「支那事変」に発する長期戦、
「日本国民がこぞって提灯行列で祝った」
あの1928年を分岐点として、
出口のみえない泥沼戦争に突入していく。
そのなかでベストセラーになったのが
「戦局地図」というものであった。
国威発揚は偏った戦争観が、
「戦局地図」という存在がさらに
膨張させていって「大本営発表」しかない
状況を支えていたようである。

その後の約3年9ヶ月続いた
太平洋戦争=「大東亜戦争」は、
「帝国海軍が予想したような艦隊決戦は
ほどんど惹起※しなかった。
戦争の勝敗を決定づけたのは、
太平洋の孤島をめぐる争奪戦であった。」という。
つまり一か八かのバルチック艦隊撃破以外、
際立った戦略を企図していなかったということ、
いわゆる島の奪い合いである
「島嶼(とうしょ)戦」についての
研究はほとんど手付かずだったようである。
つまり、島々の地図をきちんと
整備されていなかった...
南方線のジャングルで地図なく、
さまよう兵士たちの存在はそんなところに、
理由があったのだという。

※惹起 【ジャッキ】
事件、問題などを引き起こすこと

島嶼戦には陸海軍の連携が必須なのだが、
戦略分野で担当を分けておらず
地域ごとにいわゆる「持ち分」が
決められていたことも問題があったようである。
海軍には当時世界第3位と言われながらも、
「依然として「専守防衛」一本だったのである。
それでいて、
今でいう補給線確保やシーレーン防衛
という発想は皆無であった。」。

地図はみんなのものになりつつあるのは、
グーグルマップという民間の会社の
いわゆるWeb2.0以降のことになる。

ただ、ネットにマッピングする個人の情報は、
その向こう側で移動線として
情報が「行動履歴」として鹵獲されている。
戦略的な地図利用は終わることがないのであろう。

2014年4月13日日曜日

絵にみる和食通③ 名物に旨いもんあり

「絵にみる和食通」3回目は、
名物に旨いもんあり...
江戸時代は基本的には
一般の旅はご法度でしたが、
いわゆる伊勢詣とかの参詣道中はフリー
旅人の往来が盛んになると、
宿場には休息の茶屋に旅籠が形作らました。
赤坂」広重画。

もともと宿屋は食料持参で自炊する
いわゆる「木賃宿(きちんやど)だったのですが、
いつしか参勤交代の本陣にも台所が設えて、
同行する料理人が料理を
担当するようになったと思われます。
こちらは「東海道五十三次」
歌川広重の保永堂版。
鞠子」の名物「とろろ汁」。
品川宿から数えて20番目にあたるのが鞠子、
とろろ汁を食べるの二人の旅人は、
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に
取材するところだという。
こちらは同じ「鞠子」北斎の五十三次。
山芋や仏掌薯(つくねいも)をすって、
味付けした汁にまぜて、麦飯にかけて食べる。
府中」広重画
駿河国に城下町には
名物「安倍川餅」の看板がかかる。
静岡市西部を流れる安倍川河畔の茶屋の名物で、
つきたての餅をちぎって
砂糖入りのきな粉がまぶされたもの。
画面には餅をつく茶屋の女の人の姿と、
つきたてをくちにはこぶ旅人がみゆる。 
 「岡部」広重画
品川から21番目の駿河国の宿駅で、
難所で知られる宇津ノ谷峠の図。
『伊勢物語』には
「駿河なる宇津の山べのうつつにも
 夢にも人にあはぬなりけり」とある。
峠の茶屋での団子が癒してくれたに違いない。
草津」広重画。
東海道と中山道の分岐点にある大宿駅で、
天保14年(1843)の旅籠数は
72を数えたのだそうです。
 名物「姥が餅」の看板がみえる。

桑名」北斎画。
桑名は伊勢湾を臨む城下町で重要な宿駅。
揖斐川河口で養殖されていた蛤が特産。
その手は桑名の焼蛤」の言葉があるほど
各地に名高い名産品として知られた。
松ぼっくりの火で焼くのがよいとされる。

で…「その手は桑名の焼蛤」とは?
そんな事には騙されない。
そのような計略には引っ掛からない。
ってことですよ。

SANZEN−HIROBAレポ③ 京阪とともに

「SANZEN−HIROBAレポ」最終回です。
京阪電車は虎次郎にとっては、
まさに日々毎日の足でありました。
中高大と通学定期を使っていたのは京阪、
祖母が京都にいたので特急に乗り込むことは、
幼少のころから月に2回ほどの
定番ルーチンとなっていました。
虎次郎が生まれたのは1967年。
京阪ショッピングモール」誕生は1970年、
そう万博の年にキレイな京橋が登場したようです。
これが建つまでは京橋はなんとも言えない
雰囲気が漂う場所だったそうです。
いまでも「京阪モール」はウチに一番近い、
百貨店としてパワーユースな存在です。

アロハカラー
と呼ばれるカラーリングは、
今は変更されてしまいましたが...
これこそ京阪特急やと思っています。
カラーテレビが見れる車両は、
編成のなかに2両くらいあって、
ワンセグ時代のとうの昔では、
その有り難さはひとしお。
阪神戦や大相撲の中継のときは
必ず乗り込みました。

こちらは五枚扉の5000系
JR東日本の山手線なんかには
全く座席をなくす、
貨車客車なんてのが走っていますが、
こちらはラッシュ時の乗降効率
よくさせるための仕掛けであります。

二階建ての特急の登場は1989年の
鴨東線開通にあわせたものでした。
京橋=三条の通学が
京橋=出町柳に変わりました。
1989年は虎次郎は大学4回生、
ただ1989年度も聴講生として、
鴨東線の恩恵にあずかりました。

2008年に中之島線が開通、
いわゆる親しんできた京阪カラーが変更。

ヘッドマークコーナー
京阪特急のシンボル「鳩マーク」、
そして行先表示器がなかったことに
先頭車両に掲げられて「行先表示」。
「おりひめ」と「ひこぼし」は
交野線に登場していた直通K特急。

現在はおこなわれなくなった
ひらかたパークの「ひらかた大菊人形」。
イベント時の「副標」というやつです。

男山ケーブルの50thマークとか。。。



駅のいま昔の写真もありました(・ω・)v