絵にみる和食通⑦ ひやむぎの季節へ

まだまだ朝晩は冷やっとするのに、
季節の移り変わりは確実に初夏へと
ちゃ〜〜んと刻まれているようです。
こないだツバメちゃんの姿を見かけました。

「今様美人揃 亀清楼上すみ」歌川国貞画

江戸は隅田川を臨む柳橋に近い
高級料亭亀清楼で
ひやむぎ」を食べる美人。
「ひやむぎ」は室町時代から行われていた
切麦のひとつで、
饂飩と同じ工程で作られます。
麺を箸にしつつふと眼をあげると...
隅田川の川面に燕が飛んでおるます。
燕が一層季節感を添えています。

「紫陽花に燕」葛飾北斎画

紫陽花は、5~7月頃に咲く花です。
ちなみに花言葉は
辛抱強い愛情」なのです。

「月夜桃に燕」(部分)歌川広重画

桃は3月から4月にかけて...
いろいろ調べてみたけれども、
燕に定番のお花はないようですね。

「東京名所十二月
 四季の美人 五月」尾竹国一画

1901年の明治の石版浮世絵です、
菖蒲園を背景に、
お菓子箱の上に花菖蒲を添えて...
ツバメの姿が飛び交います。

「花街模様薊色縫」歌川豊国画

「さともようあざみのいろぬい」
歌舞伎からの題材のワンシーンです。
「仁八」という男が「二八」と書いた
けんどん蕎麦売りが
八重垣紋三と語っている図。

「二八」とは「二八そば」のこと。
ただ江戸時代の世相背景の中で
ごくごく自然発生的に生まれたとかで。
「二八=2×8=十六文説」は、
ちょっとあとづけでのようです。

信濃から奉公に来ていた
三六(さぶろく)」ってのもあります。
三ぶ六という名前から算盤の縁語から、
国(九二)へ帰るとなる。
「三ぶ六(3×6)十八才」で
江戸奉公の年を示していると。

「二八」という言葉の初見は享保年間で、
1720年頃なのだそうです。
『享保世説』に
「仕出したは即座麦めし二八そば
 みその賃づき茶のほうじ売」とあります。
当時は六文~八文の値段だったとか。
つまり・・・・
「二八という二字」=蕎麦屋ってことで、
当たり前のこととして定着したってことです。
「木曽街道六十九次之内 守山」歌川国芳画

蕎麦屋で蕎麦を食う達磨大師。
盛り(守)そばを山のように重ねて
大食いするのは「面壁」九年の座禅の修業が
「麺壁」をつくる大食いの修業であったとの
洒落になっています。
蕎麦切りの所見は慶長年間とか...


そばサイト
「大阪・上方の蕎麦」を参考にしました

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