2011年5月24日火曜日

TAROアートピースコレクション《若い夢》

《若い夢》

















太郎さんとは切っても切れない存在、
ネーミングは違いますが
このフォルムの下に
 岡本太郎さんは眠っておられます。
墓碑
午後の日がそれです。
















東京国立近代美術館主任研究員の
大谷省吾 さんの解説はこうある。

「両手で頬杖をつき、
 にこやかに微笑む子どものように見えるが、
 中央で分割された顔や空洞の眼は、
 単なる笑顔とは言い切れない不穏さを、
 かすかににじませる。

 ほぼ同じ携帯で数種類制作され、
 そのひとつは太郎自身の墓となり、

 多磨霊園で今も虚空を見つめている。」


「TARO100《無籍動物》」でも
  紹介しましたが・・・・

太郎さんは “眼を抜く” というのに
意味を持たせていると言われます。
解説にもあえて「空洞の眼」とあるのに、
今回のコレクションで
なぜ空洞になっていないのかフシギ!!















現代芸術アトリエで販売されている
若い夢の兄弟分の午後の日と比べると、
黒目になるとならないのでは
随分と印象が異なります。
なんでこうなったのかなぁ〜〜?





2011年5月23日月曜日

「どぎゃん」とせんと・・・

「どぎゃんとせんといかん」
このコトバが飛び交っていたのは、
去年だったのかな???



















「どぎゃん」とある宮崎郷土料理の店に
こないだのハナキンに行って来た!!

宮崎流の焼き鳥のお店。
グーグルで検索すると言葉の意味より、
お店のサイトが出てくる。
いつもの「ぐる友」
チョイスしてくれた(・ω・)v





















地場産品応援の店の「緑の提灯」が揺れる。
カロリーベースで
日本産食材の使用量50%を超える
お店というマークなんだとか。


かなりキツメの階段を昇ると「どぎゃん」へ!















まずは “ 燻し焼き ” と言われる。
宮崎流もも焼をネギ多めでオーダー。
鳥らしい味わい・・・
















辛いもん好きのメンツやったので、
「激辛ブルダック」ってのオーダー。
プルダックとは火の鶏という意味。
ビールがあまりにも進み過ぎるシロモノ。
まさに口のなかが火事場となった。
















ビールでは収まらず。。。
さつま芋にバターに砂糖たっぷりのデザート
「さつまバター」で消火するしかなかった。


















焼酎は「東国原」!?ってのを
サーバーで頂いた。。。
あっという間に2時間が過ぎ・・・
濃厚な飲み会となったのである。

お目当ての「肉巻きおにぎり」
「スタミナ焼きそば」に辿りつけず
・・・・いつかまたリベンジを!!



TARO APC《座ることを拒否する椅子》

《座ることを拒否する椅子》
Chair Refusing to Seat Anyone
















「生活のなかに
 生命感のあふれる遊びがない。
 それが現代の空虚だ。
 私は素朴な合理主義や機能主義をのり越えて、
 いちだんと激しい生活感、
 イマジネーションをうち出したかったのだ。
 そこで、椅子でありながら、
 精神的にも、肉体的にも、
 人間と「対等づら」する、こいつらを作った。
 生活の中の創造的な笑いである。」


















「岡本太郎展」グッズではいろんなモノに変身
クリアファイル、コースター、付箋、バンダナ、
そして 鉛筆、ビーチボール も登場したらしい。
そんな情報を触れるにつけ、
やっぱり行きたかったなぁ・・・と














犬山市の「日本モンキーパーク」のヤツ













「岡本太郎記念館」のヤツ




2011年5月22日日曜日

TAROアートピースコレクション《河童》

TAROアートピースコレクション
紹介していきます(・ω・)v

今回は一番気になっていた 《河童》
 Statue of Water Imp














「ちょっととぼけたこの河童像は、
 近年まで青森県三沢市の
 小牧温泉に設置されていた。
 美術館のような特別な場所ではなく、
 のんびりと露天風呂につかりながら
 楽しむことができたこの作品は、
 芸術は万人のためのものと考えてた
 太郎の思想をよく表している。」
東京国立近代美術館の 大谷省吾 さんの
コレクション解説にはこう綴られる。





















かつて古牧温泉には「岡本太郎記念公園」
なるものがあったそうで・・・
太郎さんが「古牧温泉グランドホテル」
創業者と意気投合したことで、
この地に多くの作品を残したのだそうです。

古牧温泉は2004年に
民事再生法の適用を申請され・・・
ただ TAROの「こどもたち」は、
引き継がれることになりませんでした。





















ところでその 《河童》くん。。
いまは神奈川県の真鶴半島のカフェに??
「マダム・ケイ」の玄関に出没しているとか。
6月にはルオーやルノワールの作品とともに
「真鶴アートミュージアム」としてスタートし、
「岡本太郎の間」がお目見えするのだそうです。




2011年5月17日火曜日

TARO100 TAROアートピースコレクション

3月8日から5月8日まで
東京国立近代美術館でやってた「岡本太郎展」





















3月末で一時公開が休止となる
NHKスタジオパークにある<天に舞う>の見学も
盛りこんでの太郎ツアーを
目論んでいたいんですが・・・・
震災もあって東京への乗り込みままならず、
せめてものオナグサメと思い
ヤフオクで 岡本太郎展の
アートピースコレクションをゲットしました。



















フルコンプセットはなかなか
高値が付いていたのですが、
なんとかゲットできました。
展覧会でも途中品切れになったりして、
入手困難な時期もあったりしたようですし、
これからもっと値上がりしそうな感じです。


いわゆるカプセルフィギュア・・・・
出品者のご好意で「壊れる」!!って
帯付きのまま送ってもらいました!!

















ラインナップは、
「動物」「太陽の顔のマケット」「若い夢」「河童」
「坐ることを拒否する椅子(赤・黄)」 
「手(青)」 「手(赤)」 「飛行船」の全8点。

またボチボチと・・・・
ブログネタにしようかと思っております。





2011年5月15日日曜日

海賊もキュン??

















虎次郎の日曜日甲子園観戦!
今シーズンは日曜に勝ててないので、
ちょっと足取り重く向かうと、
球場前広場には怪しい外国人たちが居並ぶ。

あのジョニー・デップがトラキチとは(汗)

カリビアン4が5月20日公開にあわせて、
鉢巻にハッピ姿で立ちすくんでおった・・・
実はタイトルに「生命(いのち)の泉」ってあり、
「道頓堀川から奇跡の生還を
 果たしたカーネルさんなら、
 泉の場所を知ってるはず」と甲子 園を訪れた…
 という設定のおバカ企画なんだそうだ。
実はこの時点で変な予感を感じさせる。

















平野んをトップにジョージマんを
8番に下げるなどなど、
これまでのコダワリをかなぐり捨てた
びっくりスタメン覚めやらぬ中・・・

1回裏いきなり平野がセンター前にヒット!
そのあとチュンスケが倒れて
さ〜トリーと思ってたら、
なんか出囃子が違うぞ???
スコアボードが反転して。。。
「代打・上本」だと?

鳥谷が「輝く男」和田のゴロ捕球のときに
指を負傷したとか・・・






















2安打で決勝点を叩き出す活躍で
お立ち台にも登場した!!

















守備もそつなくこなしていたし。
ショートは不動のポジションだっただけに、
スーパーサブになれるか楽しみである!!
































2011年5月12日木曜日

TARO100 「想定外」でない明日に

「俺は怒っている。
 専門家と呼ばれているのに「想定外」?
 リングでは敵は
 どんな攻撃をしてくるか分からない。
 常に予測して対応するんだ。
 国民を不安にさせるようなことばかり、
              言うなよ。」
アントニオ猪木 さんも怒ってるコトバ。
「想定外」ってのホリエモンが
      よく口にしてたな〜。

大型連休の真っ只中に
シブヤの<明日の神話>
「想定外」???が連ねられた。
















産経新聞のタイトルは
「原発事故をイメージ? 
 渋谷駅、岡本太郎の壁画にいたずら
 ベニヤ板の別の絵が…」・・・・・
太郎さんが見たらどう思うのだろかと、
ツイッターではいろんな意見が飛び交っていた。

ビジネスマネジメントって切り口で
飯田哲夫 さんが料理されてた。
「何者かがべニア板を継ぎ足して
 作品を拡張するとは
 想定できなかったであろう。」と・・・


実は岡本太郎さんの作品は、
過去にも傷つけられたことがある。
<コントルポアン>っての・・・















「傷がつけば、俺が自ら直してやる」と言って、
ガラス越しでの展示の提案に大激怒していたらしい。
ちなみに<コントルポアン>とは、
フランス語で『対位法』という意味なのだそうだ。














「岡本太郎が原爆をテーマとしたのは、
 その時代の主要なテーマを反映してのことであり、
 福島第一原発の問題が付け加えられたのは、
 手法は想定外であっても、
 テーマとしては想定内のことであるに違いない。」
           と。。。


太郎さんはどうしたのかな?
チカラの漲った作品をどんどん
産み出して日本を元気にしようとしたに違いない。




















岡本太郎さんが
こんなコトバを残してくれている。


「過去のできあいの
 イメージにおぶさるのではなく、
 豊かな精神で自分たちの
 新しい神話・伝説をつくるのが芸術であり、
 また生活なのです。
 できあいのものなら、やすやすと認めようとする、
 奴隷的な根性からぬけだして、
 新しい神話をたくましく創造していくべきです」


これからは「想定外そのものを想定せねば」
なんて肩の凝る言い回しでなく、
傷ついた作品の名にあるまさに対位法」しかない。

個々人が個性を保ちつつ、
互いによく調和させて、
重ね合わせる手法によって
明日が創造されることを願いたい。







2011年5月5日木曜日

大大阪をあるく27 旧第四師団司令部庁舎



















虎次郎は
「博物館学芸員」って資格を持ってる。
その実習先だったのが
大阪城とはまさに和洋対照の
「旧大阪市立博物館」
なぜ西洋の城郭風なのかは謎だ。。。

















現在ある
大阪城天守閣は
1928年に
再建されたもの、
「市民の寄付で
 建てられたお城」
ってことになってるが、






寄せられた寄付の150万円のうち
天守閣は47万円、
司令部庁舎にはなんと
80万円がかけられている。
軍の施設を誘致するための寄付であったのが
その時代を表している。
















今では天守閣との光景は異彩を放っているが、
建設当時はこの建物の正面に、
和歌山城の二の丸から
移築してきた御殿があり、
庭園がしつらえていて純和風のなかに
要塞が飛び出たような風景が
広がっていたようである。










ところで紀州御殿と呼ばれた建物だが、
戦後米軍にこの地域が接収されていたときに、
米兵の失火により焼失してしまう。
接収解除の1年前のことだけに
   残念でならない。











1948年に接収が解かれて、
「大阪市警察本部庁舎」、
「大阪府警察本部」を経て、
1960年から41年間は
「大阪市立博物館」として使用されていた。
真ん中にだだっ広い大きな廊下が
  あったのが思い出される。

















実はこの建物が映画登場したことがあるらしい。
『ゴジラの逆襲』という1955年の作品で、
ゴジラとアンギラスの格闘に巻き込まれて、
天守閣もろとも破壊されたということになってる。













ただ破壊シーンは映画中にしっかりとは
描かれていないのだそうだ。
ただこの風景もいつまでか??
「大阪歴史博物館」に取って変わっているので、
いずれは撤去されるのかも知れず、
思い出深い場所だけにシンパイである。















「旧第四師団司令部庁舎」
「第四師団司令部庁舎」→「大阪市警察」→
「大阪府警察」→「大阪市立博物館」→閉館
 建築年:1931年(昭和6)
 鉄筋コンクリート造3階建 地下1階
 設計:第四師団経理部



2011年5月4日水曜日

勝って兜の緒を締めよ














明日は子どもの日・・・
こないだ甲子園観戦の時のキー太が
   かぶってたトラの兜。















こちらは阪神鳴尾の地下道にある
寅ちゃんの兜姿。。。

そういえば85年以来の読売戦での
三連発がでたけれど・・・
今日は球児が最後に打たれた。
GWナイターがないと夜がヒマじゃ。

「勝って兜の緒を締めよ」
  って言うたのに。



大大阪をあるく26 旧大阪砲兵工廠化学分析所

虎次郎のゴールデンウィーク、
今年は遠出の予定なく・・・
久しぶりに大大阪をブラブラと。
天満橋の駅からほどなく歩くと、
「京橋」と名付けられた橋を渡ると、
見える赤レンガの建物が
大阪砲兵工廠の「化学分析所」っての。
その奥に大阪城が見える。

















日本陸軍直営の兵器工場として、
大阪砲兵工廠が設立されたのは、
1870年(明治3)のこと。
大砲・爆弾・戦車などを生産し続け、
その規模は東洋一を誇っていました。




















虎次郎が小学生の頃は、
この付近は混沌とした臭いが
プンプンしてた一帯でした。

















対称性=シンメトリー が強調された
ネオ・ルネサンス風のデザインではあるが、
戦後1964年から1998年までは、
自衛隊の大阪地方連絡部として使われていたが、
その後は建物は放置されたまま。















大阪城の臨時駐車場として
使われていたことがあった名残で、
トタン板の屋根やバリケードなどの
資材が放置されたままになっていました。

このまま放置され突如解体されるのではと、
ちょっと心配します。
砲兵工廠を伝える建物だけに
「戦争遺跡」として積極的に
保存されてもいいのだと思います。

全ての窓がクロいベニヤで覆われており、
なんとも悲哀を感じさせています。















大阪城の近くを走る大阪環状線は、
ほぼ全線が高架になっているのですが、
大阪城公園駅をはさんだ京橋と森ノ宮の区間は
電車が地上を走っています。

大阪砲兵工廠という巨大な兵器工場を、
乗客の目から隠していた名残と言われているが、
一説には陸軍用地だったため横断する道もなく、
踏切となる可能性もなかったからとも言われます。

大阪ビジネスパークとなり戦争の記憶が、
薄らぐなかこの片隅だけがそれを伝えていました。
















 大阪城ホール近くに残る「砲兵工廠跡」の碑


「旧大阪砲兵工廠化学分析所」
 建築年:1919年(大正8)
 煉瓦造2階建
 設計:砲兵工廠建築課(置塩章)