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7月, 2007の投稿を表示しています

「蝦夷地飛んでけトンデケ屯田兵」予告!!

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一足早い夏休み。。。 道東に遊びに来ています!! 7月30日に釧路空港に降り立ち、  釧路湿原、阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖へ。。 7月31日は屈斜路湖半でパターゴルフに興じ、  午後から屈斜路湖半の和琴半島、硫黄山へ  それから世界遺産のあの「知床」へ。。  今日は熊出没とやらで知床五湖 全部は回れませんでした 明日からの予定は、 8月1日に能取湖、サロマ湖をまわって  話題の旭山動物園に行きます。 8月2日には千歳空港から北の大地を後にします!!  くわしい 「蝦夷地飛んでけトンデケ屯田兵」     については改めて・・ 今日のお宿!! 「北天の丘」  あばしり湖鶴雅リゾート

参院議員選挙に行きまひょ!!

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参院議員選挙に行きまひょ!! 昨日は甲子園でせっかくの観戦日やったんですが、 雨にもヨコハマ星にもたたられ・・・  残念無念でした。 貯金生活も1日で。。。今日からまた出直し!! 阪神甲子園駅には阪神馴染みの参院選候補者がおられました。 オールスターゲームを見に行ったときに、  東京ドームでも逢いました!! 投票日でもありますのでこれくらいにしときますが・・・ とにかく!  みなさん投票には行きまひょね!! 今日から一足早く夏休み充電旅行??  北海道・道東に行きます。  阿寒湖・屈斜路湖・網走・知床・・・・  旭山動物園にも寄る予定です。。 大自然とやらを満喫して参りますので、  しばしの間はキーボードからはサヨナラしときます。

広重《名所江戸百景》(5)四ツ谷内藤新宿

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歌川広重 《名所江戸百景》 の紹介  今回が第5回目です。 「四ツ谷  内藤新宿 」 江戸四宿 (よんしゅく) の 一つである 「内藤新宿   (ないとうしんじゅく) 」 は、 日本橋を起点とした 甲州街道の   最初の宿場町 です。 はじめ 下・高井戸宿 が最初の宿場でしたが日本橋から 4里 (約 15km) と遠かったため、元禄11年(1698) 信州高遠藩 内藤 若狭守 (わかさのかみ) の 広大な下屋敷の一部を返還させ、 町屋とともに馬継ぎの施設を設けて宿場が置かれたのが、 日本橋から 2里のところの新しい宿場町 は、 一部が 内藤家 の屋敷地でもあったので   「内藤新宿 」 と呼ばれるようになったといいます。 馬の尻をクローズアップした大胆な構図 は、 草鞋 (わらじ) 姿の馬の 足下には 「馬糞」 が描かれています。 江戸時代には旅人だけでなく近郊の人々が、 この新宿を訪れていました。 お目当ては 「馬糞」 を肥料のために持ち帰っていたようです。  まさに新宿名物 「馬糞」 というわけです。 今や都庁がそびえる 新宿 や 四谷 ですが、 当時は 家は少なく4軒しかなかった ので 「四ツ家」 と称したところ、  いつのまにか 「四ツ谷」 → 「四谷」 になったそうです。

広重《名所江戸百景》(4)大はしあたけの夕立

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歌川広重 《名所江戸百景》 の紹介  第4回目は、広重得意の雨の絵です。 「大はし  あたけの夕立」 「新大橋」 と 「安宅」 の   夕立の風景です。 雨がやや斜めに落つる様が、  これぞ雨の描き方の   真骨頂がこの作品。 霞んで雨影に映る向こう岸が   「安宅」 だそうです。 広重 の絵は実に西洋絵画、 とりわけ 「後期印象派」 に 大きな影響を与えた   といわれています。 「後期印象派」 の  巨匠 ゴッホ が  油絵で模写したのが、 ← 「日本風 ( 雨の橋 )」 です。 構図はまさに模写ですが、 川は波たち雨も夕立というより嵐のようです。。 油絵という素材には日本の雨は難しかった のかも知れません。 そもそも ヨーロッパ には、  蒸し暑い夏の午後の蒸し暑さを一気に拭う、   「涼しい夕立」 というのが少ないようです。 「夕立」 も 「涼しい」 という言葉も 欧州 にはないそうです。 「cool」 を 「涼しい」 と訳しますが、   日本の涼しさとはだいぶ違うそうです。

広重《名所江戸百景》(3)利根川ばらばらまつ

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歌川広重 《名所江戸百景》 の紹介  今回が第3回目です。 「利根川 ばらばらまつ」 投網(とあみ)の描写はさすが 初代 広重 という作品。 左奥の点在する松が 「ばらばら松」 です。 川漁師の投げた投網が  広がった瞬間をとらえています。 写真のシャッターを切るように。 「ばらばら松」 は、 江戸時代には 中川沿い のものが 有名やったそうです。。 空を飛び交うのは 「シラサギ」 か??  「シラサギ」 といえば、、 東京近辺のどこかで 竹林 に 「シラサギ」 が大発生!! 住民が悪臭に悩まされているとか???  「シラサギ」 の天敵がいなくなっているんで、、 大発生ということなんでしょうね。 バランスって大切ですね。。 ただ、、この白鷺ですが、   「シラサギ」 という名前のサギがいるわけではなく。 白いサギ類の総称で、 ダイサギ、チュウサギ、コサギ を指すんだとか。 ↑(財)日本鳥類保護連盟のHP シラサギのページ

前田!前田!前田っ!まえだぁー!

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前田!前田! 前田っ!まえだぁー!  で  おお盛り上がりのオールスター!! タイガースで打撃人不出場だっただけに、   広島の 栗原、前田、新井 のときは、  恐怖の屈伸運動応援をしました!! 最後は 藤川 が締めて爽快のゲームでした。 それにしても 落合監督 って、ファンを楽しませるのに天才的です。  1回ごとにピッチャーを変えたのは、  まさに 「監督のMVPやぁー」 ( 彦磨呂 的に言ってみて!?) *************************** ** ** ** ** MVPは先制弾のラミレス 全セ、連勝を5に伸ばす     2007年7月20日(中日新聞より)  2007年プロ野球ガリバーオールスターゲーム第1戦は20日、東京ドームで行われ、 全セが4-0で全パに完勝し、一昨年の第1戦からの連勝を5 に伸ばした。  通算成績は全セの66勝73敗8分け。  最優秀選手(MVP)は先制2点本塁打したラミレス(ヤクルト)が選ばれた。  両チーム無得点で迎えた7回、1死二塁からラミレスが左中間に2ランを放ち、  続く前田智(広島)も右中間にソロ本塁打して3点を先行した。  8回には森野(中日)が中越えにソロ本塁打して突き放した。  全パは、9投手のリレーにかわされ、わずか1安打に終わった。  第2戦は21日、フルスタ宮城で52年ぶりにデーゲームで開催され、  全パは田中(楽天)、全セは高橋尚(巨人)が先発登板する。      (共同)

広重《名所江戸百景》(2)「びくにはし雪中」

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歌川広重 《名所江戸百景》 の紹介  第2回目は。。。。 「びくにはし雪中」 東京都練馬区東大泉に   「比丘尼橋」 という橋があります。 という橋が架かっている。 江戸時代末期には 「真福寺」  というお寺があり、 その寺に尼僧が住んでいたことから、   「びくにはし」 といいます。 このお寺の 尼僧生活の面倒を  みていた 「善兵衛」 という  名主がいたのですが、 そのうち恋仲に落ちたものの、   恋成就せず失恋した尼僧が橋から身投げ したといいます。     その橋がこの  「びくにはし」 なんだとか・・・ 尼 僧の死後、その 善兵衛 もどこかに居なくなって、 善兵衛 の家屋敷の土地も人でに渡ったと言います。 その後、新しい屋敷の主が 重い病気になった ので、  易者に見てもらったらところ   「尼僧の霊を供養しなさい」 と言われて供養したところ、  平癒したといい言い伝えが残っています。 絵に戻ります・・・ 「やまくじら」 の看板は、 イノシシやキジなどの  野生の動物の肉料理屋のもの 。 「○やき」 「十三里」 とは、 焼き芋屋 のこと。。  「栗(九里)」 「より(四里)」 美味い という洒落なんだとか。 ←白子川の  比丘尼橋下流調整池 練馬区タウン ドラマ・映画ロケ地ガイド             より

広重《名所江戸百景》(1)「高輪うしまち」

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東京藝術大学美術館 で     行われていたのが、 「 歌川広重   《名所江戸百景》 のすべて」 だ。 東京藝術大学  創立120周年企画 だとかで、 浮世絵師 初代:歌川広重 の  最晩年の傑作 《名所江戸百景》 の 芸大コレクションを一挙に   公開した展覧会だった。 江戸時代後期である 安政3年から5年(1856-1858)の、   江戸の市中と 郊外の景観を映しだしたもの で、   初代 広重 の 構図の大胆さ を感じることができた。 虎次郎 が気に入ったのを、 このブログでは紹介していきたいと思っています。 第1回目は 「高輪うしまち」 虹が描かれているのもステキ! 手前には食べられた スイカ と   子犬が草履を引きちぎる 姿。 牛車の先に見えるのは、 品川の海で、 近景と遠景の大胆な対照が  まさに広重の絵!!    といいたいところだが、 このモティーフは 歌川国芳 の 「東都風景高輪虹」           というのが先輩らしいとか。 ところで。。。。 最近の展覧会なんかはいろんな取り組みがあって、  美術館・博物館の一生懸命さが伝わってくるのだが、 この展覧会にはオフィシャルサイトでも、  面白い試みをしておられる。 インターフェイスによる芸大本メディアアーカイブ   「 歌川広重《名所江戸百景》マップ」 がそれ!   展示会の浮世絵  名所江戸百景 が      Google Maps  に浮かび上がる!! 東京の航空写真のなかに 「江戸のまち」 が  映し出されるのは圧巻だ!!一度お試しあれ!! ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 東京藝術大学創立120周年企画 芸大コレクション展 歌川広重《名所江戸百景》のすべて    会期: 2007年7月7日(土)-9月9日(日)   月曜休館       (ただし7月16日、8月27日は開館、7月17日(火)、8月25日(土)は閉館)       午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)   会場: 東京藝術大学大学美術館 地下2階 展示室1

球宴に伴う東京遠征??

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ガリバー・オールスター     を見に、 東京に来ますた。。     ガリバーオールスターHPへ→ 19日は上野界隈探索で、 何年かぶりに 上野動物園 に パンダを見に寄りました! 上野動物園 は、正確には 「 東 京 都 恩 賜 上 野 動 物 園 」   と言います。 ← 東 京 都 恩 賜 上 野 動 物 園 HPへ パンダレポートは  また改めてということにしますが。。。 上野公園にはユニークな ストリートパフォーマー がいました。 コイン をいれると 表情が和らいて 「ニヤリ」 と。。 なかなか味があって、、、  よかったです。 さすが 芸術の森・上野 です。 近くには   東京藝術大学  もあります。

祇園山鉾を歩く(7)山鉾あれこれ

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祇園祭の期間中に山鉾町の人が食べない野菜は??     答えはこのブログの最後に!! 祇園山鉾を歩く最終回です!! 最後にいろんな山鉾のスナップを紹介します。 長刀鉾 なぎなたぼこ くじ取らずで先頭を進む  唯一の稚児が乗る鉾 蟇股 (かえるまた) 破風裏の彫刻 『厭舞 (えんぶ) 』  悪魔調伏して  災消除の舞楽を表す 菊水鉾  きくすいぼこ 町内の金剛能楽堂内に 古くからあった 『菊水井』にちなんだ名 函谷鉾  かんこぼこ 前掛に重要文化財を飾る  人形稚児、考案の鉾 胴掛 『虎に梅樹図』 天井軒裏 『金地彩色鶏鴉 (けいあ) 図』 明治日本画壇の旗手、 今尾 景年 さん が雌雄の鶏を 写実的に描き上げた優品 月 鉾  つきぼこ 鉾頭に三日月をつける鉾 稚児人形は   美少年 『於菟麿 (おとまろ) 』 岩戸山  いわとやま 『天の岩戸』の神話に取材  屋根に御神体を載せる曳山 山と名付けられていますが、 鉾と同様に車を付けた曳山 大屋根にまたがる 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと ) 京都新聞社の 「文化支援キャンペーン−時を超えて ・祇園祭2007」へ ←キリンビール株式会社の  山鉾巡行の   「キリン一番搾り生ビール」 クイズの答えですが。。。その野菜は   「キュウリ」 です。   八坂さん の紋が  キュウリを切ったところに似ているからだとか。

祇園山鉾を歩く(6)伯牙山:旧杉本家

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綾小路通新町西入ル に 京都の風情あるたたずまいを 今に伝える 「杉本家住宅」 があります。 主屋は、  表通りに面する店舗部と裏の居住部を取合部でつなぐ   「表屋造り」 の形式の住宅です。 祇園祭 の 宵山 では、 「伯牙山」   (はくがやま) の  「屏風祭」 の会場になります。 「伯牙山」 は、 琴の名手 伯牙 (はくが) が 親友 鍾子期 (しょうしき) の死を聞き、 自分の琴を理解するものが     いなくなったと嘆き、 琴を壊しニ度と弾くことは 無かったという  「断琴の交わり」    の故事による山です。 山の上での伯牙の姿は、  怒りの目で紅潮し、  今まさに琴を うち破ろうとしています。 明治維新までは 「琴破山 (ことわりやま) 」 と       記されてましたが、 通称から人名を冠するとのお達しにより、    「伯牙山」 となることになりました。 一説には 「伯牙は弦を切っただけで、       琴を割ったのは別人」 とも。。。 ←「伯牙山」のお飾り場として、  懸装品(けそうひん)が飾られた       「杉本家住宅」   琴も飾られています。 ← 杉本家住宅のHPへ

祇園山鉾を歩く(5)油天神山 – 秦家

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油小路通 にあるところから 「油天神山」   と呼ばれています。 勧請の日が 丑の日 だったため、 「牛天神山 (うしてんじんやま) 」 とも呼ばれるのだとか。 この 「油天神山」 の町家が 「秦家住宅」 です。 現在の建物は 蛤御門の変 (1864)と  呼ばれた大火で焼失後、明治2年に再建されたもの。 「表屋造り」 と呼ばれる店舗・住居・土蔵を  二つの庭がつなぐ典型 的な京町家です。 「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん」      でおなじみ 樋屋奇応丸 とも繋がりがあるのでしょうか?? 「奇應丸」 の看板がとても印象的な建物です。 実はこの 秦家住宅 、 虎次郎 が ボランティア登録している 大阪くらしの今昔館 の 8階の町家にある薬屋さんの モデルなんです。 「奇應丸」 の看板の代わりに 今昔館 では 「ウルヱス」 。 看板の  大きさも同じ だそうです。 ←「大阪くらしの今昔館」HPへ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ 初代忠兵衛が奇応丸を創製した 元和8年(西暦1622年)にさかのぼる製薬会社。 大阪・天満で天災や戦災を克服して現在いたる。