投稿

8月, 2022の投稿を表示しています

YOKOHAMA☆サイドvol.4 ハマとシルク

イメージ
海岸通りの" 英一番館 "の碑石、 ジャーディン・マセソン商会 が 日本に開設した支社があったところ。 《横浜異人館之図》 1866年(慶応2) 歌川芳員  画 " 英一番館 "そのものを 描いたものではありませんが、 異国情緒を感じる横浜の起点。 その地点に横浜ゆかりの博物館。 横浜とシルクのかかわりを伝える、 シルク博物館 以前から知っていたので、 クールダウン を兼ねて飛び込み… 裸婦像はその名も" 絹と女 "、 彫刻家 安田周三郎 の作。 安田周三郎(1906年-1981年)は、 横浜国立大学で教授であり、 横浜と縁のある彫刻家ですが、 華麗なる一族が連なっています。 安田財閥 の創設者 善次郎の孫、 父 善三郎の三男は 十三代目 片岡仁左衛門 。 兄は画家の安田岩次郎、 息子は建築家の安田紫気郎と 魚類学権威の安田富士郎。 そして周三郎の妹 磯子さん、 娘にあたるのが オノ・ヨーコ 。 博物館は2階ですが、 1階エントランスは シルクのしなやかさが、 描かれたフロア。 シルクセンターの建物構造は、 実は独特なもので… ユニバーサルデザインの今日では、 問題があるのかも知れませんが、 ユニークな構造がみられます。 カイコの食料は?と問えば、 誰でもクワ=桑 と答えるでしょう。 クワ以外の植物の葉も食べるのですが、 ほとんどは成長することができない。 そもそも満足な繭を得るためには、 カイコの食料はクワ だけということ。 私たちが食べ物を選ぶ時と、 蚕が桑だけを食べるのは同じ理屈。 食べるのは美味いから で、 好きも嫌いはヒトそれぞれ… ただ昆虫は種により統一 されています。 貿易の主力であった生糸が シルクとなる過程もわかりやすく展示。 1859年 横浜が開港すると、 次々に外国の船が来航し、 YOKOHAMAの地には 外国人商社が居を構え、 日本人商社も設立されます。 横浜港の貿易は大きく発展しますが、 開港から昭和の初めまで、 主要な輸出品だったのが生糸でした。 《旧横浜生糸検査所》 万国橋通りにある幅の長い建物、 生糸貿易が盛んになるにつれ、 問題となったのが粗悪品の乱造。 日本製生糸のブランドを守るため、 生糸の品質を公に保証する制度、 その検査施設がここ。 「キーケン」 と長く親しまれた

YOKOHAMA☆サイドvol.3 キングの塔へ

イメージ
「キングの塔」 という愛称で 親しまれている神奈川県庁本庁舎… 平日に行ったYOKOHAMAの 一番のミッション が、 開庁日に県庁屋上へ行く こと。 県庁本庁舎は6階建て… 最上階6階の 本庁舎歴史展示室 、 そして 屋上展望台 を見学できるのは、 日祝日年末年始はクローズでして、 開庁日のみなのです。 コロナ禍前は知事室や旧貴賓室も 見学することができたのですが、 一時休止されています。 1923年(大正12)の関東大震災で 被災した3代目庁舎に代わり、 1928年(昭和3)に建築された 和洋折衷のいわゆる "帝冠様式" 建築。 耐震・耐火に優れた 鉄骨鉄筋コンクリート構造を 採用した官公庁舎の先駆け的存 在。 修復中の ジャック こと   横浜開港記念会館 。 横浜税関 クイーン塔 も間近に… 右手に 横浜赤レンガ倉庫 群。 6階までの直通のエレベーターもあるが、 政策局、産業労働局がある5階を経て。 いよいよ6階へ… 6階には 本庁舎歴史展示室 周辺地図を中心に庁舎の模型、 そして写真パネルがありました。 模型は1階の玄関にもありこちら白亜。 新庁舎・エネルギーセンター棟 竣工時の完成模型にもキングの塔。 新庁舎部分とは3・4階で 道路を挟んで繋がれています。 《横浜名所一覧》 1876年(明治6)  県立歴史博物館 所蔵 横浜のメインストリートである 本町通りと大通りの交差点から 居留地を眺める構図。 初代県庁舎 と1883年から 二代目の県庁舎となった 横浜税関 が同時に描かれたもの。 《横浜繁栄本町通 時計台神奈川県全図》  1874年(明治7)  県立歴史博物館 所蔵 なまこ壁の塔を持つ 初代県庁舎 と 時計台がシンボルの 横浜町会所 。 県庁は実際は寄棟であった屋根が 入母屋で描かれていますが、 ベランダを内部空間に取り込む 改修がなされたことがわかります。 キングの塔の建築中の写真など… 極楽に咲く花 とされる「 宝相華 」の 内装装飾についても解説パネルがあり、 こちらは中央階段1階の 陶製の装飾灯 。 階段の両脇に宝相華の装飾灯。 階段のグリルにも… とりわけ第3応接室には、 オリジナル家具やシャンデリアも 球形で宝相華 が形づくられているとか。 玄関ホールにある 井上信道 さんの 《 神奈川県非核兵器宣言記念碑 》。