YOKOHAMA☆サイドvol.4 ハマとシルク


海岸通りの"英一番館"の碑石、
ジャーディン・マセソン商会
日本に開設した支社があったところ。

《横浜異人館之図》
1866年(慶応2) 歌川芳員 

"英一番館"そのものを
描いたものではありませんが、
異国情緒を感じる横浜の起点。
その地点に横浜ゆかりの博物館。

横浜とシルクのかかわりを伝える、
シルク博物館以前から知っていたので、
クールダウンを兼ねて飛び込み…

裸婦像はその名も"絹と女"、
彫刻家 安田周三郎の作。
安田周三郎(1906年-1981年)は、
横浜国立大学で教授であり、
横浜と縁のある彫刻家ですが、
華麗なる一族が連なっています。
安田財閥の創設者 善次郎の孫、
父 善三郎の三男は
十三代目 片岡仁左衛門
兄は画家の安田岩次郎、
息子は建築家の安田紫気郎と
魚類学権威の安田富士郎。
そして周三郎の妹 磯子さん、
娘にあたるのがオノ・ヨーコ

博物館は2階ですが、
1階エントランスは
シルクのしなやかさが、
描かれたフロア。

シルクセンターの建物構造は、
実は独特なもので…

ユニバーサルデザインの今日では、
問題があるのかも知れませんが、
ユニークな構造がみられます。

カイコの食料は?と問えば、
誰でもクワ=桑
と答えるでしょう。
クワ以外の植物の葉も食べるのですが、
ほとんどは成長することができない。
そもそも満足な繭を得るためには、
カイコの食料はクワだけということ。

私たちが食べ物を選ぶ時と、
蚕が桑だけを食べるのは同じ理屈。
食べるのは美味いからで、
好きも嫌いはヒトそれぞれ…
ただ昆虫は種により統一
されています。

貿易の主力であった生糸が
シルクとなる過程もわかりやすく展示。

1859年 横浜が開港すると、
次々に外国の船が来航し、
YOKOHAMAの地には
外国人商社が居を構え、
日本人商社も設立されます。

横浜港の貿易は大きく発展しますが、
開港から昭和の初めまで、
主要な輸出品だったのが生糸でした。

《旧横浜生糸検査所》
万国橋通りにある幅の長い建物、
生糸貿易が盛んになるにつれ、
問題となったのが粗悪品の乱造。
日本製生糸のブランドを守るため、
生糸の品質を公に保証する制度、
その検査施設がここ。

「キーケン」と長く親しまれた
建物はメダリオンのレリーフは、
そのままに北仲通北地区の
シンボルとして、
現在は横浜第2合同庁舎。
左右に桑の葉が配され、
中央部に絹糸をとる繭を
リボンで結んだデザイン。

シルクと横浜…パネルとビデオで、
いろいろおベンキョー。
実は蚕の親玉?
モスラが横浜を守った…
1992年の『ゴジラvsモスラ』がそれ。

バトラの戦い朝陽門
マリンタワー方面へ向かう
モスラの姿も登場しました。

極彩色の大決戦というのが、
オモシロイ。

シルク博物館の展示にもどります。
2階には等身大の人形が並びます。

日本の絹衣装が時代別に復元され、
"上古時代"を皮切りに。

弥生時代

能衣裳に藤娘

平安時代

室町時代

江戸時代

花嫁衣装に打掛。

シルク・アンブレラとか…

主力産業であった絹産業…
中国にその座を譲っています。

今では蚕は桑を食べていないとか、
人工飼料の開発によって養蚕が工業化、
農家から蚕が奪われると考え…

日本での実用化ゴーサインは、
1973年になってようやくとのこと。
戦前の中国東北地方では、
大豆を使って蚕を飼うという
アイデアが試みられていたようです。

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