YOKOHAMA☆サイドvol.1 海岸通りからハマの教会たちへ


ひさびさに訪れたYOKOHAMA
"海岸通"という地名がピッタリの
夏の暑さを感じさせる風景より。
この貿易協会の建物をコーナーにして、
連なっていくスクラッチタイル
ビルディングたちが連なる。

設計と施工は大倉土木が担った、
《横浜貿易会館》は1929年の建築。
デンマーク料理の「SCANDIA」は、
スモーガスボードが有名。

クロスストーリーがYOKOHAMAの
エキサイティングさを漂わせる。

《横浜海洋会館》は兄弟ビル、
大倉商事横浜出張所として建築。
連続四棟のスクラッチタイル、
設計・施工・施工も同じ。

こちらは
《JAPAN EXPRESS BUILDING》
通関や海外引越と業態を変えつつも、
1930年建設の世界の窓口だったビル。

海岸通りを海に向かうと…大桟橋

ハマっこ憧れの挙式教会、
その人気はカトリック山手教会
二分する教会といわれています。
「海岸教会」というネーミングが、
さらにカップルのハートを
くすぐるのかも知れません。

ゴシック基調ながらも、
厳つさを感じさせないのは、
フォルムが秀逸さに由来するのか。
設計は雪野元吉、宮内工務店の施工。
正式名称は、
《日本基督教会 横浜海岸教会》

《横浜商館天主堂ノ図》
 三代広重 1870年

開港後の日本初のキリスト教会堂は、
居留地80番に建てた横浜天主堂
マリア像を載せたポーチ
イオニア式オーダーが支え、
ペディメントなど古典様式の味付け…
1906年(明治39)に
煉瓦造の聖堂を山手44番に建設し,
活動の拠点を移したのが
《カトリック山手教会聖堂》のルーツ。

煉瓦造教会は関東大震災により崩壊…
1933年に再建されたものが現在の建物。
尖塔アーチ窓に背高の鐘塔を持つ、
典型的なゴシック様式の教会建築。

内部には装飾が施された列柱など、
日本一美しい聖堂とも呼ばれています。

施工は大手の関工務店ですが、
初のコンクリート造による建物。
設計は J.J.スワガーですが、
工法の指導を受けたとか。
その後のR.C.造が中心に、
関工務店の発展は
スワガーによるところ大なのです。



山手本通りをさらに進むと…
アメリカ人女性宣教師
メアリー・E・キダ―が創立した
フェリス女学院 中学校・高等学校

1号館は2000年に取り壊され、
2002年9月に改築の《フェリス1号館》
1号館にはカイパー記念講堂が収まり、
先代の講堂は1929年4月に落成。
フェリス女学院の歩みによると…
「1929年6月13日新校舎の
 献堂式がおこなわれました。
 新校舎は地上2階地下1階の
 鉄筋コンクリート造り、
 外壁は長野県産の鉄平石で覆われ、
 荘重な雰囲気を醸し出す建造物でした。…」

鉄平石は、長野県諏訪や佐久地方で
産出された石で床や外壁材として
多く利用されているもの。
「再建を可能にした一人ひとりの
 真心を象徴するもの」

『フェリス110年小史』より。
外壁の”美しい守り”なのです。

さらに歩むと…白い尖塔。

《末日聖徒イエス・キリスト教会》
1830年アメリカ合衆国にて
ジョセフ・ スミス・ジュニアによって
立ち上げられたキリスト教系の新宗教。

キリスト教を標榜する新宗教で、
通称のモルモン教は聖典の一つである
『モルモン書』に由来するのだという。

もう一つの山手教会
クライスト・チャーチ。
正式には《横浜山手聖公会》、
居留地であり山下町の105番地、
急勾配の切妻型屋根に
アーチ窓の建物が建ったのが1863年。

後に現在の場所に移転して、
尖塔を持つ煉瓦造ゴシック様式のは、
コンドルの設計によるものでしたが、
関東大震災で倒壊したため、
アメリカ人建築家 J.H.モーガン
手により建てられのが1931年のこと。

第二次世界大戦ではその終わりに近い、
1945年5月29日の横浜大空襲
焼夷弾攻撃で内部を焼失します。
ただ戦後の混乱期にありながらも、
わずか2年ほどで修復され、
元の姿を取り戻したのだとか…

大谷石の石貼りの効果で、
表面のざらついたテクスチュアが、
建物に独特な味を醸しています。
城砦を思わせる中世イギリスの
ノルマン建築とゴシックが混在
横浜山手で異彩を放っています。

最後は《日本基督教団横浜指路教会

「路(みち)を指す」との教会名、
"SHIRO"と綴られたローマ字表記。
実はヘボンの母教会でして、
アメリカ人宣教師ヘボンによって
建てられたのが指路教会なのです。
あのヘボン式ローマ字の生みの親
そして彼は医師でもありました。

フェリス女学院の創始の
メアリー・E.キダーは、
1870年(明治3)9月にヘボン塾
引き継ぎ英語の授業を開始、
場所は離れているが縁のある地。

入口を取り囲む列柱、
そして美しいバラ窓が美しい。
戦災の影響が大きく、
終戦後に大改装がなされました。

平成に入ってから内外の改装。
イエス・キリスト生誕2000年祭に、
ヘボン夫妻来日140周年、
指路教会創立125周年が重なって
大いに盛り上がっていたようです。

念願の大型パイプオルガンも
導入されたそうです。

山手公園、山下公園、海岸通りに比べ、
尾上町界隈の近代建築物は、
指路教会を残すのみ…
残念なことではりますが、
歴史的建造物の認定を受けてる前に、
解体されることが各地で散見…
都市の再生と遺産の継承は、
両立させるのは難しいのです。

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