iza KAMAKURA vol.4 鎌倉近代化遺産~前田利為鎌倉別邸


相模湾を見下ろす谷戸の中腹に
位置する旧前田公爵家の鎌倉別邸
1936年に加賀藩前田家
第16代当主前田利為氏が建築したもの。
旧華頂宮邸とならんで当時の鎌倉別荘を
代表する建物の一つです。

江ノ電 由比ヶ浜駅より山に向かって…

旧町名は長楽寺で長谷の字の一つ、
法然上人の弟子が創建した寺名。
鎌倉四代執権 北条経時の墓所が
あったとされる場所。

鬱蒼とした林を往くと
"鎌倉文学館"の門柱。
1983年に第17代当主 前田利建氏より
鎌倉市に寄贈されたものです。

"招鶴洞"を潜って向かうところは、
大山崎山荘の"琅玕洞"(ろうかんどう)に
通ずる佇まいを感じました。

源頼朝が鶴を放したという故事に由来、
舌状の山地崖に2つほどあり、
戦時中には防空壕として利用された
"やぐら"が残ります。
鎌倉独特の横穴式墳墓 "やぐら"、
三方を山そして海に囲まれた鎌倉、
要害都市ではあった反面 平地が少ない。
平地面積を削らずにできた
唯一の墓が"やぐら"だった
のです。

「大海の 磯もとどろに よする波
 われてくだけて さけて散るかも」

金槐和歌集』にある実朝の歌、
頼家追放により12歳の若さで
第3代将軍になるものの、
28歳のときに甥の公暁により暗殺
この和歌の本歌は恋の歌、
万葉集』収録の笠女郎の
「伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
 かしこき人に 恋ひわたるかも」


こちら正岡子規『竹乃里歌』所収
「人丸の 後の歌よみは 誰かあらん
 征夷大将軍 みなもとの実朝」

人丸とは柿本人麻呂のこと。
子規は実朝を「第一流の歌人」と評し、
「時によりすぐれば民のなげきなり
 八大龍王雨めたまへ」を
「好きで好きでたまらぬ歌」書いたとか。

1890年頃に第15代当主の利嗣侯爵が
この地に土地を手に入れ、
和風建築の館を建てましたが、
1910年に類焼により焼失、
洋風にいったん再建されますが、
1923年の関東大震災で倒壊。

玄関には前田利為命名の「長楽山荘」
表札が残されています。

スパニッシュとハーフティンバーが基調、
1階は鉄筋コンクリート造でタイル張り、
2~3階は木造とされていて…

主要階の2階に設けられた玄関は、
ポーチの柱部分には透かし装飾が
施されている車寄せ。

玄関まわりは大理石やタイル、レンガなど、
さまざまな素材がバランスを保っています。

1階は地下のような造り・・
地階部分は事務室、宿直室、
女中室として使われていましたが、
現在は鎌倉文学館の事務室、
そして特別展や講座開催の
スペースとなっています。

庭から見ると…
2階建てのように見えるように、
バックヤードである1階部分を
感じさせないフォルム。

主屋部分の1階には、
バリエーションが盛りだくさん。

庭に面して半六角形の張り出し窓
切妻屋根が並列されていて…

青色の瓦は広い庭からクッキリと
確認することができます。

建物前にある裸婦像は、
《Regard lointain(遠望)》
高田博厚さんが1981年に作ったもの。
山梨県北杜市の清春白樺美術館
玄関前にもあるとか…
鎌倉洋館にマッチしていました。

鎌倉別邸の建て替えには、
利為は並々ならぬ情熱をそそぎ、
何度も足を運んでいたそうです。
改築工事で本館のほか茶室、
家職員住宅二棟、倉庫、
庭園の整備を手掛けています。

内部は1930年代流行のアールデコ
床のモザイク模様の寄木貼り、
飾り窓の装飾とステンドグラスは、
建物の重厚さを伝える要素なのです。

明るいクリーム色の外壁、
庭の緑とコントラストが見事に調和。
シンメトリーでないことこそが、
この洋館の面白み
だと思います。

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