2014年11月30日日曜日

下鴨さんを往く 弐 お白石持神事

第34回 賀茂御祖神社式年遷宮の神事のうち、
お白石持神事」を勤めて参りました。
糺の森の入り口参道南口 鳥居あたりで
初穂料を納めて、好みの白石を白布に包んで
御本殿前を運ぶというもの。 
かつては、鴨川のお石の場から
崇敬者が寄ってお運びなさったようですが、
社地も小さくなったこともあって...
正遷宮の時に合わせて
御本殿御垣内に御祓いをすませた白石を
元に戻すという神事になったということ。
 御手洗池にて清めます。

御手洗池は葵祭のときに斎王代さんが、
池に手を浸して清める「斎王代禊の儀」が
執り行われるところでもあります。
この池に湧き上がる水あわ をかたどったのが
みたらし団子」なのです。
加茂みたらしの一番上の団子は、
少し離れているのです。
人形をかたどっているからだと伝わります。

池の上に建つ「御手洗社」。
別名「井上社」と呼ぶのは、
井戸の上に祀られることからなのだそうです。

祀られているのは女神様。
蟇股の彫刻が艶やかでした♡

ところで下鴨神社の式年遷宮の間隔は21年
孝明天皇の勅によって、

幕末の1863年(文久3)に定まったという。
ちなみに出雲大社は60年...
今の本殿が建てられたのが
1744年で1809年に修繕されたので、
60年毎の修造遷宮となったが
定着したというのが事の始めなのです。
ちなみに「お伊勢さん」は 20年に一度
正殿を造り替え遷宮している。
本来は宮移しなのですが、
賀茂御祖神社では傷んだところを直す
ボクの運んだ「お白石」も次の21年まで
本殿の聖地を清めるということになります。

ところでなぜ20年なのか? 
伊勢神宮の小堀邦夫 禰宜の説によると...
「穀物の備蓄を前提に社会計画を立て、
糒を貯蔵した20年を目安に式年遷宮という
国家の事業を定めたのではないか」とか。
税のカタチでもあった蒸した米を干した保存食

(ほしい)」の貯蔵期間20年に由来するという話。

下鴨さんを往く 壱 賀茂御祖神社ゆ

紅葉の京都はどこも混み混みですね。
ボクが幼少のころは嵐山永観堂ぐらいで、
そこかしこの知る人ぞ知る社寺は、
ゆったりと愛でることができたものですが。
平日でも我も我もという感じで、
繰り出されておられます。
京都での研修の前に立ち寄ったのです…
糺の森をすぎると
石碑には「賀茂御祖神社」とあります。
こちらが正式な社号で

「かもみおやじんじゃ」と読みます。
鴨川の下流にまつられているお社やから、
下鴨(しもがも)さん」と親しまれています。

こちらは「さざれ石」。
国家君が代にでてくるのがこれです。
火山の噴火によって
石灰岩が分離集積したもので、
子持ち石とか赤子石とも呼ばれ
信仰の対象になる神霊宿る石です。

丹塗りの「楼門」。

賀茂祭には
勅使が御祭文(ごさいもん)を奏上、
東游(あずまあそび)が奉納される「舞殿」。
御手洗川にかかる太鼓橋と鳥居。
銀杏が金色なるこの時期がヨス。
中門を入ると本殿前におられるのが
言社(ことしゃ)で十二支を守るお社。
実は七つなので未と巳は同じなのです。
大国魂神
(おおくにたまのかみ)
祀られていますが…
守護本尊ってなると、
未は申と一緒で辰と巳がペアなのですが、
下鴨さんではこのペアリングになってます。
干支絵馬は別々でした(・ω・)v
こちらは
相生社」の連理(れんり)の賢木(さかき)
二本の木が途中から一本になってて、
そこに繋がれた赤い糸ならぬ
御生曳(みあれびき)なる綱を二回引いて
お参りするとか...
古式ゆかしい縁結びの聖地です。

下鴨さんを往く」続きますm(_ _)m

2014年11月29日土曜日

秘仏をたずねる 興福寺東金堂後堂

興福寺の秋の特別公開!!
これは外せないので行って来ました。
11月のことだけど気がつけば
師走がヒタヒタと近づいておりますので、
ドドンと蔵出ししておきます。

     朝日デジタルより。。。
寛仁元年(1017)に火災にみまわれたとき、
躍り出て焼失を免れたことから
踊り大将」と呼ばれたのだそうです。
正了知(しょうりょうち)大将立像は、
『金光明最勝王経』などに
説かれる仏法の守護神でもあります。
後堂ということだから...
後ろから入りました。
彩色板絵もなかなか素晴らしく。
そして「木造四天王立像」などの後ろ姿、
ふだんとは違った視点で
お会いすることができました。

こちらは「南円堂」。
藤原冬嗣
(ふゆつぐ)
父内麻呂(うちまろ)の冥福を願って
お建てになられた八角円堂です。
三重塔あたりから見上げるのが大好きです。
ダイダイではなく「」の実。
内裏新造のとき、
梅に代えて重明親王の家の桜を
植えたものが「左近の桜」であり、
タチバナは平安遷都以前、
そこに住んでいた橘大夫という人の家に
生えていたことに由来する。

ちなみに「大和橘」は
日本列島における
柑橘類の唯一の固有種なのだそうです。
橘の実はすっぱいので、
今は生で食べることはしませんが、
古来は食していたそうで、
最近では「なら橘プロジェクト」なんかで、
ふたたび食することができるように
チャレンジが進められているそうです。
こちらは
無著さんと世親さんがおられる「北円堂」。
土塀が取り払われ基壇のみとなっていました。
いずれ再建されるのだと思います。
来年はどの仏さまにお会いできるのか?
これから楽しみです(・ω・)v

奈良博から京博へ そしてギガー展

京都国立博物館でやってた
雨の日に行ったのが11月9日の日曜日。
妙法院を越えて馬町あたりまで延々と、
傘の列が続いていたのですが…
でもやっぱり観たい!!
絵巻を学んだものとして、
いや観ておかねばならぬ…と。
近鉄特急で丹波橋乗り換え!!
どこでもドア気分で行って来ました。
柿の葉すしをお供に小旅行、
30分に満たない乗車時間でしたが…
入場待ちはテントのある本館前を、
ちょうど正面で折り返し...
最後尾のとこで
ちょうど90分待ちってことに。
紅葉を愛でて...
ここかしこにある甲巻の名シーンたち。

正倉院展に観たことを
Facebookにアップしながらやから、
ガマンできると思っていたのですが…
さすがに正面ロッカー前で腰が、
悲鳴をあげていました。
1日で秋のビッグ展覧会をハシゴするのは、
ちょっと堪えました(TдT)(TдT)
絵巻の展覧会ってムズカシイですよね。
モノは小さいし展示期間には制限もあるし...
まぁ〜お祭りですから!!! 
図録も買えたし(・ω・)v

グッズもお気にいりゲットできたし。
大満足でしたよ\(^o^)/




第66回 正倉院展へ

今年の正倉院展も終盤に
行かせてもらいました。
というのも毎年 招待券を頂くのですが、
最近始まってからもらっていたので、
オオボケで会期前に行ってしまいました、
で…仕切り直しで奈良へ。
休日出勤の振替休日で平日に…
今年は天皇皇后両陛下傘寿記念でも
ありましたので華やかな展示がズラリ。
「衲御礼履」(のう の ごらいり)
大仏開眼会で聖武天皇が履いたと伝わる。
赤く染めた外側のスエード状の牛革、
つま先がのカタチがカワイイです。
飾りには真珠、色ガラス、琥珀、水晶たち。
「伎楽面 崑崙」(ぎがくめん こんろん)
呉女に言い寄って、
力士に懲らしめられる役柄の崑崙 。
怒った目をして牙をむいている。
とがった耳を持つ半獣の相。

「桑木阮咸」
(くわのきの げんかん)
ルーツは中国・晋代に遡るが、
楽器は中国に残っていないとか…

バンジョーという楽器に似てるとか、
でもバンジョーがよくわからない。
音色を聞けば聞き覚えがあります。
「白瑠璃瓶」(はくるり の へい)
白瑠璃ってのは透明だが、
やや緑がかっているのは、
アルカリ石灰ガラス製である証。
白瑠璃碗ってのも正倉院御物。

「人勝残欠雑張」
(じんしょう ざんけつ ざっちょう)
中国・南朝時代では、
正月七日に長寿や子孫繁栄を願って、
色絹や金箔を切り抜いて人や
花の形を作り、屏風に貼ったり、
髪飾りにしたりして
贈り物にしたのが「人勝」。
東大寺に献納されたもののうちの残り、
つまり残欠ってこと。
「鳥毛立女屏風」(とりげ りつじょ の びょうぶ)
うち第5扇がコレ。
六つの扇は現在、別々になっているが、
元は一つで表装されていたもの。
衣や樹木など彩色のない部分にはかつて、
ヤマドリの羽毛が貼られていたそうだ。
樹下美人図」という名でも知られる。

やはり今年の目玉は「鳥毛立女屏風」。
ホールのタペストリーもこんな感じ。
絵葉書集にはないが、
仏具である「銅三鈷」も
お気にいりのひとつです。
梓弓 、槻弓、鞆、胡禄なんかの、
武具なんかもヨカッたです。
上右「箭」(や)
上左「漆葛胡禄」(うるしかずらの ころく)
ブースには「仏女新聞」なるものも
ありました。
正倉院熱...年々激しさを増ばかりです。