ながさき洋館めぐり 旧自由亭
「西洋料理発祥の地」の碑のほど近くに、
長崎の 草野丈吉 が
日本で初めて開いた西洋料理店
「旧自由亭」がある。
全体の4分の1ほどの移築保存なのだそうだ。
きしむ階段をあがるとそこは、
今は喫茶室になっておる。
「江戸時代から幕末にかけてオランダ人が住んだ
出島で料理に携わっていた草野丈吉は、
1863(文久3)年に長崎の自宅を開放して
西洋料理専門店「良林亭」(後に自遊亭と改名)」を開業した。
これが大聖教でなかなか予約が取れないほどだったという・
1879(明治12)年には、長崎くんちの奉納祭でも知られる
諏訪神社前に本格的なレストランとして「自由亭」をオープン。
元アメリカ大統領U・S・グラント将軍ほかVIPが訪れた。…」
(『洋館さんぽWEST』2010年,インク・インコーポレーション)より
建物は1886(明治19)年に
タイルは当時のものなのでしょうか??
2階の喫茶室。
調度品は当時のものではないものの、
その窓から大浦天主堂の尖塔と
長崎の町が望めたのだが、
先を急いでいたのでガラス越しの一枚。
こちらは「グラバー邸」にあった
150年前の西洋料理の再現。
おそらく「旧自由亭」で出されたものだと、
「ブラートエンゲホーゲル」=鴨の丸煮
「ハルトベースト」=鹿の股の丸焼き、からし酢かけ
「カルマナーチ」=猪の塩胡椒摺り込み焼き
などが並べられていました。
自由亭前に立つイタリアの作曲家、
長崎の 草野丈吉 が
日本で初めて開いた西洋料理店
「旧自由亭」がある。
全体の4分の1ほどの移築保存なのだそうだ。
きしむ階段をあがるとそこは、
今は喫茶室になっておる。
「江戸時代から幕末にかけてオランダ人が住んだ
出島で料理に携わっていた草野丈吉は、
1863(文久3)年に長崎の自宅を開放して
西洋料理専門店「良林亭」(後に自遊亭と改名)」を開業した。
これが大聖教でなかなか予約が取れないほどだったという・
1879(明治12)年には、長崎くんちの奉納祭でも知られる
諏訪神社前に本格的なレストランとして「自由亭」をオープン。
元アメリカ大統領U・S・グラント将軍ほかVIPが訪れた。…」
(『洋館さんぽWEST』2010年,インク・インコーポレーション)より
建物は1886(明治19)年に
店主である草野丈吉が亡くなり、店は廃業。
建物は長崎地方裁判所が購入し、
検事正官舎として使用されたのだという。
タイルは当時のものなのでしょうか??
2階の喫茶室。
調度品は当時のものではないものの、
その窓から大浦天主堂の尖塔と
長崎の町が望めたのだが、
先を急いでいたのでガラス越しの一枚。
こちらは「グラバー邸」にあった
150年前の西洋料理の再現。
おそらく「旧自由亭」で出されたものだと、
「ブラートエンゲホーゲル」=鴨の丸煮
「ハルトベースト」=鹿の股の丸焼き、からし酢かけ
「カルマナーチ」=猪の塩胡椒摺り込み焼き
などが並べられていました。
自由亭前に立つイタリアの作曲家、
ジャコモ・プッチーニの大理石像。
イラリア人作曲家で、
明治の長崎を舞台にした
明治の長崎を舞台にした
オペラ「マダム・バタフライ」は
彼の傑作の一つである。
三浦環の像。日本人女性として、
初めて本場ヨーロッパで
絶賛されたオペラ歌手。
彼女が歌う
「マダム・バタフライ」=「蝶々夫人」。
Youtubeより。。。
「旧自由亭」
自由亭→長崎裁判所検事正庁舎
建築年:1878年(明治11)
彼の傑作の一つである。
三浦環の像。日本人女性として、
初めて本場ヨーロッパで
絶賛されたオペラ歌手。
彼女が歌う
「マダム・バタフライ」=「蝶々夫人」。
Youtubeより。。。
自由亭→長崎裁判所検事正庁舎
建築年:1878年(明治11)
構造:木造2階建、洋風建築、玄関は入母屋造
設計:不明
所在地:長崎市馬町12番(→グラバー園内)
設計:不明
所在地:長崎市馬町12番(→グラバー園内)