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THE FORMER NARA PRISON Vol.4 ~出逢う場

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明治五大監獄のなかで 唯一全貌を残す。 近代国家として まだ若かった日本が、 国の威信をかけて造った。   必死さの結晶が 美しい煉瓦建築となった。 日本近代化の巨塔、 いずれ「 監獄ホテル 」と なるらしい… 多くの近代化遺産が 立つことを許されなくなった。 ひとつは耐震基準… “ザ・ 廃墟 ”と持て囃されても、 いずれは朽ち果てる。 舎房の半地下に いくつか並ぶ一人用の浴槽。 厨房の名残… 炊事担当者用の浴槽とか。 煤こけた顔も、 キレイにお化粧直しを されるかもしれない。 どんなキモチが刻まれたのか、 今は想像するしかない。 無骨なパイプたちも… こんなものが目についた 「HAYAKAWA ELECTRIC    Co., LTD. OSAKA」 早川電機工業 とはシャープ前身、 こっそり 「ON」 にしたけど… もう何も起こらなかった 。 「よい出逢いなんて  ある訳ないと思っていた  すぐに離れていくと  感じていた  それならずっと独りでいいと  思い続けてきた  でも いますべて  逆のことを感じている  ほんとうに人生を変える  いい出逢いだと思う  もう  これからは独りじゃない  こう思えたのは  あなたちが居てくれたから  この出逢いは  ぼくの宝物です  本当に ありがとう」 寮 美千子 さんが写真集で 紹介されていた受講生の詩。 この門から出ていくその日、 不安が大きかったのか、 希望が大きかったのか… 「 ありがとう 」と庁舎を 振り返っていたのか… そんな風景だったのだと。

THE FORMER NARA PRISON Vol.3 ~涵養の場

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「 ハビランド・システム 」 見張台を要に放射状に 収容棟を並べることで、 中央監視所から、 5つの収容棟が一望できる。 上空からみるとこんな感じ 2階建の放射線状に広がる 5つの収容棟。 中心の大きなホール、 そこに見張台が置かれている。 放射状に折り上げた木組天井、 窓からは柔らかい光が差し込む。 2階部分から見下げると… そして1階から見上げると… 多くの見学者で… ちょっと大丈夫かな? と心配になった。 ところどころの 橋渡しのような箇所も、 木組みだから… おそらく刑務所であったころ… ここには多くの静寂が、 支配していたに相違ない。 何十年も、もはや百年近く、 毎日毎日一汁三菜と 「もっそう」 がこの食器孔から 出入りしたのだろう。 「 もっそう 」とは物相飯のこと。 円筒の器・物相を 形にして盛った飯。 近世の牢で型から出さずに 供したため、 牢の飯 をこう呼ぶ。 その辺りの鉄板やら木は、 すでに腐っている。 その上からペンキが上重ねされる。 阪神・淡路大震災の発生時… 扉は歪んだりしなかった。 牢は中からは開けられない… 「地震発生の直後は、  オヤジがやってきて、  片っ端から、扉の鍵を開けてくれ、  扉に雑巾を挟みました。  扉が閉まった状態で  次の地震が来て歪んで、  出られなくなる  危険があったからでしょう。  扉は開けっ放しになりましたが、  勝手なことをする者は  一人もいませんでした。」 奈良少年刑務所には、 「 若草理容室 」があった。 地震のときの話は、 この理容室出身の 前田剛 さんが 写真集に寄せられたもの。 いまは理容チェーン店の 会社の専務をされています。 関西で 理容科 があるのは、 奈良少年刑務所だけ。 ここのヒゲ剃りは 天下一品だったそうです。 その理由は、 600名ほどのヒゲを 剃ることが彼らの役目だったから。 「あんた、髪、そんなに短いなら、 『若草理容室』へ行ったらいいわ」 地元のおばさんたちにも 愛された存在だったそうです。 理容室だから 顔剃りも してくれる。 「なにをするのも実にていねい。  かかっているラジオの局を  変えてくれたりして、  ずいぶん気を遣ってくれた…」と。 刑務所内で案内をされている 元刑務官のお見受けする方、 「施設は古いが考え方は  先を行っている場所でした」 このコトバがとても

THE FORMER NARA PRISON Vol.2 ~甦る場

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12時の入場時間までたっぷり いろんなとこを観て… いよいよ 特別公開スペース へ。 門を入ると庁舎が聳え立つ。 桟瓦葺 (さんがわらぶき) の屋根に 銅板造り青緑色の尖塔を戴く。 尖塔の上部の避雷針は、 後年のもの。 半円アーチ窓 と 櫛形窓 が 左右対称に並びます。 上部は楔形のレンガの アーチ状の配置は、 耐荷重の構造を担っています。 庁舎は建設当初は「事務所」と 呼称されていたそうです。 全面の横長の長方形平面の 棟は事務関係諸室。 いろんな窓があって飽きない。 庁舎の玄関部分は 三角屋根の庇を頂く。 庁内へ… 庁舎内の階段の手摺 刑務所ということを 忘れさせるディティール。 講堂 は600人以上の受刑者を 収容することができ、 通信制高校の入学式、講演、 慰問等に使用されたほか、 雨天時の運動場としても 使用していたとか。 窓から見える 拘置監、 遠くにみえるのは 若草山 か。 設計者である 山下啓次郎 さんは、 孫であるピアニストである 山下洋輔氏 の著書 『ドバラダ門』 。 著書によると… 啓次郎の父親・ 山下龍右衛門房親 (りゅうえもんふさちか) という人は、 薩摩藩出身だったそうで 西郷隆盛 と戊辰戦争を 共に戦ったとあるそうです。 明治政府で ポリス制度 の立ち上げに 携わったという人でもありました。 啓次郎は帝国大学造家学科を 卒業後、警視庁に入庁… その後司法省営繕の技師に。 奈良監獄は実に竣工時の姿を よくとどめていると言われています。 庁舎と舎房には、 大きな改変はありません。 講堂を出ると「 クラブ活動室 」と 札の付いた部屋がありました。 床面は腐食した部分も… もともとは別の用途だったのかも、 室内からみると入り口の上部には、 ペディメント風 の設えがあります。 反対側の部屋には… 青いカーテンに仕切られて、 天理教・仏教・キリスト教 と 紙が貼られていました。 もとは奥が天理教?だった??? 「写真集 美しい刑務所」に 載ってるのと順番ちがうのナゼ? 実は奈良監獄は天理教教祖である 中山みき が勾留された 監獄でもあるのです。 記録によると… 「明治15年(1882)10月29日、 警察は中山みきら信者を呼び出し、 大阪府奈良監獄署に12日間勾留した。 明