THE FORMER NARA PRISON Vol.3 ~涵養の場
「ハビランド・システム」
見張台を要に放射状に
収容棟を並べることで、
中央監視所から、
5つの収容棟が一望できる。
上空からみるとこんな感じ
2階建の放射線状に広がる
5つの収容棟。
中心の大きなホール、
そこに見張台が置かれている。
放射状に折り上げた木組天井、
窓からは柔らかい光が差し込む。
2階部分から見下げると…
そして1階から見上げると…
多くの見学者で…
ちょっと大丈夫かな?
と心配になった。
ところどころの
橋渡しのような箇所も、
木組みだから…
おそらく刑務所であったころ…
ここには多くの静寂が、
支配していたに相違ない。
何十年も、もはや百年近く、
毎日毎日一汁三菜と
「もっそう」がこの食器孔から
出入りしたのだろう。
「もっそう」とは物相飯のこと。
円筒の器・物相を
形にして盛った飯。
近世の牢で型から出さずに
供したため、牢の飯をこう呼ぶ。
その辺りの鉄板やら木は、
すでに腐っている。
その上からペンキが上重ねされる。
阪神・淡路大震災の発生時…
扉は歪んだりしなかった。
牢は中からは開けられない…
「地震発生の直後は、
オヤジがやってきて、
片っ端から、扉の鍵を開けてくれ、
扉に雑巾を挟みました。
扉が閉まった状態で
次の地震が来て歪んで、
出られなくなる
危険があったからでしょう。
扉は開けっ放しになりましたが、
勝手なことをする者は
一人もいませんでした。」
奈良少年刑務所には、
「若草理容室」があった。
地震のときの話は、
この理容室出身の前田剛さんが
写真集に寄せられたもの。
いまは理容チェーン店の
会社の専務をされています。
関西で理容科があるのは、
奈良少年刑務所だけ。
ここのヒゲ剃りは
天下一品だったそうです。
その理由は、
600名ほどのヒゲを
剃ることが彼らの役目だったから。
「あんた、髪、そんなに短いなら、
『若草理容室』へ行ったらいいわ」
地元のおばさんたちにも
愛された存在だったそうです。
理容室だから顔剃りもしてくれる。
「なにをするのも実にていねい。
かかっているラジオの局を
変えてくれたりして、
ずいぶん気を遣ってくれた…」と。
刑務所内で案内をされている
元刑務官のお見受けする方、
「施設は古いが考え方は
先を行っている場所でした」
このコトバがとても胸に残る。
ここには矯正教育を
超えたものがあったと…
「社会性涵養プログラム」
ココで行われていた教育には、
こんな名前が付いていました。
「涵養」(かんよう)とは、
水がしみこむように
ゆっくりと養い育てるの意。
その講師であった 寮 美千子さんが
写真集の寄稿文にプログラムを
このように説明されている。
「「社会性涵養プログラム」は、
指導者チームが独自に開発した
ものだったが、その背景には、
奈良少年刑務所が長い長い
時間をかけて培ってきた、
あたたかな受刑者教育の
眼差しがある。
みんなで少年たちを「育てて」
いくのだという心意気なくして、
この授業は生まれなかった。」
のだと…
どこかで受け継がれること…
願えることなのだと信じたい。
このブログは
「写真集 美しい刑務所
明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所」を
参考にしました。