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10月, 2014の投稿を表示しています

日本シリーズ 勝ちまくれ

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「 棚ぼタイガース 」... 7ゲーム差をつけられて 優勝できなかった2014年。 創立80周年のメモリアルイヤーに あるにも関わらずVを逃した東京読売巨人軍。 夢のようなポストシーズンがいよいよ 佳境に入ってきたのである。 野球を醍醐味を感じられないと言われて、 シーズン後半には退陣を迫るボードが、 レフトスタンドには多く掲げられていた。 和田豊監督自身の問題ではないのだが、 シーズン後半の失速は目を覆うばかり。 和田豊監督は吉田義男さん以来の 虎の日本一監督=名将となってほしいと願う。 「勝つための采配とは、  勝つことの喜びを教える采配のことだ。」 監督としてイチバン好きな 岡田彰布 さんの近著、 『 プロ野球 構造改革論 』にあったコトバ。 ストに発展した2004年から10年たった。 その年の9月18日と19日の2日間は、 台風も来ていないのに試合が全て中止になった。 ストの発端は近鉄とオリックスの合併問題、 最終的には楽天が加わることで セパ12球団が維持された。 新書の帯に踊る文字は 「 3部リーグ30球団制! 」 ページをめくると真意が伝わってきた。 選手会長から貫く彼の主張は 「1リーグ、10球団制」。 自民党の新戦略とかいう 「プロ野球のチーム数を、  現在の12球団から16球団に拡大する」 ってのとは間逆だ。 岡田さんが願うのは2軍、3軍を充実させ、 プロとして飯が食べれる環境を整えること。 2013年観客動員で経営のボーダーを クリアなのは平均3万人を超える3球団。 巨人、阪神、ソフトバンク... ♫大阪生まれの 大阪育ち  君こそ似合うよ 甲子園  GO! GO! どこかしずかな横顔に  Let's Go! 秘めた闘志のど根性  打て打て岡田 かっとばせ岡田  ペナントレースを つっ走れ 1981年に発売された 『 Let's Go 岡田 』の1番。 岡田さんは熱心な阪神ファンの父を持つ。 ファン以上の後援者だったと呼んでもいい、 現役選手が出入りする家に育った。 虎次郎の阪神ファン歴は長い、 正確には生まれる前からと言ってもよい。 父は野球経験は無いがルールは完璧、 野球に限ることはなくアメフト、ラグビー、 サッカー、テニス、柔道、相撲、マラソン... 季節の移り変わりに応じて、 いつもなんかしらのスポーツ中継が 茶

さやりん降臨\(^o^)/

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うちの学祭にご当地ゆるキャラ... 「 さやりん 」キタ〜〜〜〜〜〜〜\(^o^)/ 18,19の学園祭 「 葡萄祭 」に登場したんだりん。 大阪狭山市には日本最古のため池 「 狭山池 」が ありま〜〜〜す。 瞳の色は狭山池の水面の青、 髪は大阪狭山市の木である「桜」の花、 そして元気で明るい「 竜の子 」ちゃんなりよ。 ふだんは 狭山池の龍神のほこら におるりん。 おなかはちょっと虎次郎に似てる。。  夢は立派な龍神になって、 狭山池を守ること 。 恐竜ではないりん(*▼*) 好きなものは、 狭山名物の「 大野ぶどう 」とか... 実は学園祭「 葡萄祭 」の名も、 狭山名物の葡萄に関係があるりん。 大学がここに生まれたのは50年ほど前のこと、 小高い山は「 こだはら 」と呼ばれていました。 漢字で書くと「高祖原」だったそうです。 校舎の裏にはまだ葡萄棚が残されていて、 何年かは葡萄が実をつけていたそうです 。 嫌いなのは「 狭山池をよごす人 」... 狭山池の周り咲き誇る桜色の髪の毛、 龍神のこどもらしく角もあるりんよ(*▼*) グッズもいろいろありましたよん。  キティちゃんのコラボグッズ もあったりん。  じつは「ハローキティ」はフツーは カタカナなんだけど... 「 さやりん✕はろうきてぃ 」。 そして リボンではなく桜 を付けてます。   ゆるキャラグランプリ にもエントリーん。 また来年もあいたいりん(*▼*)

ハマの洋館めぐり 横浜生糸検査所

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一度紹介した のだけど... 横浜の定宿からほど近いところにあるから、 早起きしてじっくり眺めてみた。 通称 キイケン で親しまれている赤レンガは、 「 横浜生糸検査所 」である。 隣接する 帝蚕倉庫 と同時期に建てられたが、 「横浜第2合同庁舎」として新庁舎とする際に、 いったん解体されたのだが、 その後創建当時に限りになく復元された。   がっしりとした車寄せには、 レンガの柱形に支えられたツクりは気品が漂う。 盾飾りは巨大な「 蚕蛾 (さんが) 」がモチーフ。 蚕蛾とは、カイコが羽化した成虫のこと。 その周りは 桑の葉と実 が添えられていて、 菊の御紋を胸に抱いている。 生糸が戦前日本の主力輸出品の 品質検査を行う建物を示すに十分の構え。 どこまでが補作なのかは不明だが、 なかなかの秀作なのである。 設計は 遠藤 於菟 (えんどう おと) 。 梁を用いない フラットスラブ構造 とか... 重要な国策産業の一大拠点の彼方には、 横浜ランドマークタワー が聳える。 「横浜生糸検査所」 →横浜第2合同庁舎 建築年:1926年(大正15) 増築:1931年(昭和6) 再建:1993年(平成5) 構造:鉄筋コンクリート造り4階建て 設計:[旧建物]遠藤於菟 ファサード保存 【横浜市認定歴史的建造物】

ハマの洋館めぐり 旧本町旭ビル

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ヨコハマの洋館めぐりの ランドマークともいえる 本町通りの 横浜開港記念館 と向き合って立つ 「 旧本町旭ビル 」。 あの不動産、建築を手がける 綜通グループ の テナントビルになっている。 ジャックの塔 に見とれていることが多く、 ついついカメラに収めていなかったのである。 現在のビルは旧ビルをファサード 保存、 1995年に建替えられたて今に至る。 両側の玄関周りにテラコッタ、 あの フランク.ロイド.ライト の影響を 受けたとされる装飾と伝わる。 1930(昭和5)年に大阪の商社「 江商 」の 横浜支店として建てられたのだそうです。 江商とは近江出身の 北川与平 が 輸入綿糸の取り扱いを目的として 横浜に創業した北川商店がルーツとか。 コンクリート造の表面に タイルを貼った 昭和初期の典型的オフィスビル。 横浜洋館ライトアップにも 参加しているとか... また夜にでも眺めてみたいと思う。 「本町旭ビル」 →綜通横浜ビル 建築年:1930年(昭和5) 構造:[旧建物]     鉄筋コンクリート造り5階建て、地下1階    [現建物]     鉄骨鉄筋コンクリート造り10階建て、地下2階 設計:不詳(現建物:日建設計) 施工:大林組 所在地:横浜市中区本町1-3 ファザード保存(1995年) 【横浜市認定歴史的建造物】

ハマの洋館めぐり イギリス七番館

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山下公園周辺で見落としてた 洋館のひとつ「 旧英国七番館 」。 いまは「 戸田平和記念館 」 として使われている。 創価学会の第二代会長 戸田城聖 (とだじょうせい) 氏を記念して、 1979年より平和や人権といった展示を 一般にも公開してきているところである。 もともとはイギリの貿易会社 バターフィールド&スワイヤ商会 の日本支社。 関東大震災にも耐えて生き残った 唯一の外国商館でもある。 創建時の門柱がのこる。 建物は外壁を長手と小口を 一列ずつ交互に積んだ あの“ イギリス積み ”で仕上げられている。 玄関には二本の角柱が建てられ、 三連式の ベイウィンドウ (張り出し窓)が、 対になっているのが調和の取れたツクり。 窓はすべて上げ下げ窓なのだという。 窓台を支える 腕木の装飾には草花 の意匠。 目と鼻の先にある「西洋理髪発祥の地」 1989年に建てられた「 ザンギリ 」。 横浜に最初の洋髪店ができたのは 1869年(明治2)のことだそうだ。 小倉虎吉という人が横浜居留地に 初めて西洋理髪床を開業したとか… 「イギリス七番館」 →戸田平和記念館 建築年:1922年(大正11) 構造:鉄筋コンクリート造2階建て 設計:不明 所在地:横浜市中区山下町 【横浜市認定歴史的建造物】

ハマの洋館めぐり インド水塔

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ハマの洋館めぐり ...久々にあっぷします。 “洋館”といっていいのか分かんないけど、 建てられたのは1939年(昭和14)、 在日インド人協会 から寄贈されたこの塔。 山下公園の一角、大桟橋に近い から、 かえってあまり注目されない。 1923年(大正12年)に起きた関東大震災、 当時横浜に在住していたインド人116人が被災。 そのうち28人の人が命をおとしたのだという。 横浜市民は町の復興のなか、 被災したインド出身の人たちにも 救済の手を差し伸べたのだそうだ。 住む場所を失った方々を横浜に再び招くため、 住宅の手当てなどにも力を注いだのである。 塔と呼ぶにはいたって小ぶりなのだが、 丸いドーム状の屋根 が目を引く 寺院建築の様式が取り入れられている。 インドのお国柄を示す美しいフォルム。 実は装飾細部はインド風でもあり、 イスラム風でもあり、 日本風なところもある不思議空間。 単なる水飲み場と言えばそうなのだが、 インド式の建造物は横浜では珍しい存在 、 震災で犠牲となった人への祈り、 そして、インドとヨコハマをつなぐ 歴史的なモニュメントなのである。 床のタイルも色あせていない。 中で見上げると天井部の装飾が大変素晴らしい、 色とりどりのタイルを使用した モザイク模様 。 ここかしこの装飾は歴史を知らずとも、 ぜひ足をとめてほしい逸品なのである。 「インド水塔」 建築年:1939年(昭和14) 構造:鉄筋コンクリート造り平屋 設計:鷲巣昌 所在地:横浜市中区山下町(山下公園内) 【横浜市認定歴史的建造物】