横濱村を感じる場所〜本牧をぶらり

今ではオシャレな地名のYOKOHAMA。
でも、ペリー率いる黒船来航までは、
半農半漁の小さな村だったそうです。
人々は漁業や海苔の養殖が行われていて、
豊かな自然の恵みとともに暮らしていました。
三渓園のある「本牧」の地には岬があって、
本牧の鼻と呼ばれていた断崖あったそうです。
写真は「たいむスリップよこはま」より。
海岸沿いの断崖のテッペンにあるのが、
「横浜市本牧臨海公園」に建つ

小野光景別邸跡」の石碑。

小野光景氏は開口直後にこの地に移住してきた、
生糸や茶などの貿易によって財を成しつつも、
急速に発展する横浜の都市運営に携わった人。
別邸は2階建ての洋館で政府要人や、
外国の使節などが招待された場所。
政治や外交の舞台となっていたそうですが、
関東大震災により倒壊したと伝わります。
良質な漁場であった景勝地は、
その後居留外国人達のリゾート地となったとか。
当時の外国人たちは日本人と違って、
景色を落ち着いて眺めるのではなく、
積極的に自然の中へ入り込んで、
まさに自然をエンジョイしていたようです。
こちらは「横浜市 八聖殿 郷土資料館」。

法隆寺夢殿を模した三層楼八角形の建物で、
熊本県出身の政治家で逓信・内務大臣を歴任した
安達謙蔵(1864~1948)が建立したのだそうです。

8人の聖人像が安置されいることから
八聖殿」。
ちなみにその8人とは...
釈迦、孔子、ソクラテス、キリスト、
聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮とか。
「世界の信仰を一小堂裏に集約して、
その偉大なる精神的事業、
広大無辺の徳化を追慕讃仰し、(中略)
現世に処する生ける教養の道場たらしめんとする」
ってのが建立趣意書なんだそうです。
でも、内部はところ狭しと
漁具の並んでいるとか…
開館前で見られなかったのですが。


海岸近くのエリアには、なぜかD51。
D51のテンダー車、
つまり石炭を載せる部分は、
テニスコートへの散水用タンクになってるとか。
そして転車台(・ω・)v
鉄男でもある虎次郎には大好物でもあります。
転車台=ターン・テーブルは、
蒸気機関車の向きを変えるための施設。
蒸気機関車が役目を終えるとお役御免に、
旧国鉄横浜機関区高島車庫にあったものが、
1991年4月にここに移設保存されたものです。 
 公園の片隅にあった
もうひとつの不思議スポット。



上海横浜友好都市提携15周年を記念して、
上海市より横浜市へ寄贈されたもの。
中国江南様式の庭園なんだけども、
老朽化??で立入禁止になっていました。 

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