投稿

12月, 2017の投稿を表示しています

ザ・船場な戦後ビル⑤

イメージ
「船場な戦後ビル」第4回 御堂筋より西側 四丁目 … 「 京阪神不動産瓦町ビル 」1962年  中央区瓦町4丁目2 1999年に改修された 日建設計 設計のテナントビル。 瓦町通沿いの 馬のレリーフ は、 戦後間もない1948年、 「 阪神競馬場 」設立された会社の ビルだった名残なのだそうです。 植木茂 さんの手によるもので、 日本における抽象彫刻の パイオニアだった植木茂さんは、 木を中心に鉄やブロンズなど さまざまな素材を用いられたとか… 仁川の阪神競馬場 は 1955年に JRAへ譲渡 されるまで、 ここの会社が持ち主だったのです。 なぜ馬が彫られたのかには、 こんなエピソードがありました。 水平連続窓をぐるりとまわし、 アルミの金属色を活かした腰壁。 奥まった部分に白タイルで 素材に差をつけ水平線を強調、 日建設計の仕事 だと見る人が 見ればわかるそうです。 低層部にステンレス 上層階にアルミを用いる 金属の使い分けは、 新住友ビルディング に通ずる。 塔屋には アルミの ダイヤモンドパネル … 見上げてもよくわらなかった(笑)。 御霊筋側にも角地があり、 少し丸くセットバック。 「 ヤマイチビル 」 1966年   中央区備後町4 小規模角地ビル。 南側には 北御堂 があります。 柱を控えている分だけ すこし1階の壁が奥まっていて、 2階からは三方に連続水平窓。 2階から上は角が面取りされて… 壁面はシンプルに白色の吹付仕上げ。 ガラスブロック と… 花のような模様の窓格子 の金物、 手抜きのしないまさに戦後ビル。 ちなみに今は ヤシノミ洗剤 で おなじみの サラヤ株式会社 さん。 「 西邦ビルディング 」1965年   中央区高麗橋4丁目 せいほう と読みます。 角地に建つオフィスビルですが、 デザインは典型的な間口型。 1階のエントランスを後退させて ピロティーにしてはります。 バランスが取られたサイン、 ピロティ天井にも丸照明 が 天井埋め込まれるなど、

ザ・船場な戦後ビル④

イメージ
「船場な戦後ビル」第4回 淡路町二丁目から三丁目 あたりへ… 「興和ビル」 1957年 明治時代に創業した 綿布問屋 を 起源に持つ企業の大阪支店ビル。 金属パネルの寡黙な概観… 1階のガラスブロックの その整然として並ぶ壁、 市街地の景観を 引き締めていました。 おそらくどの家にもあった 緑のカエルの指人形の ケロちゃんコロちゃん の 「 コルゲンコーワ 」で おなじみの コーワさんのビル。 コーワのケロコロランド のHPより。 角地には 主力商品のディスプレイ。 キューピーコーワ の イメージキャラクターの 米倉涼子 さんのポスターも。 興和株式会社さんは、 名古屋市で1894年(明治27)創業の 繊維問屋である「服部兼三郎商店」に ルーツを持つ。 豊田佐吉の自動織機開発を 支援していた名門企業でした。 「 大阪毛織会館 」1966年 繊維関係の企業が多い船場 らしく、 業界の会館建築もよくみると、 かなりこの辺りには 多く建ち並んでいます。 「 アゴのように突き出した塊 は  下から見上げると迫力があり、 ビルに重量感を与えている。」 大阪市大の 高岡伸一 さんの評。 この時代に時折見られるデザイン、 袖壁との縁を切ることで 緊張感を醸し出していました。 空ととっても仲良しな テナントビル 「船場ビルディング」 は、 1925年の戦前な船場のビルです。 やはりオシャレ・テナントビル、 メリクリ つつありました。 「 八百梅製麺所 」1967年 船場の町割をそのまま継承した 間口の狭い小規模ビル。 かつては 木造の町屋 が 建っていたのでしょう。 コンパクトなサイズや 2階の手摺などから、 まさに「 家がビルになった 」… まさにその雰囲気を感じさせます。 昔の生業をそのまま ビル化したような佇まい。 よくみると 袖壁も二重なのでして、 デザインも凝っているのです。 水平連続窓の両端を袖壁でおさえ、 壁にタイルを貼る典型的なカタチ。 内側袖壁がステンレス というのも、 なかなか粋を感じさせます。 「 鷹岡ビル