ちゃんぽんの聖地〜そして登龍門伝説ふたたび
長崎といえば...「ちゃんぽん」
その発祥地というのが大浦にある。
店の号は「四海楼」(しかいろう)さん。
そのルーツは1892年(明治25)に、
福建省福州の出身の陳平順(ちんへいじゅん)。
平順は「長崎でひと旗あげよう」と、
福建省福州の出身の陳平順(ちんへいじゅん)。
平順は「長崎でひと旗あげよう」と、
平順は保証人から金を借りて、
反物の行商して資金を貯えたそうです。
1899(明治32)に明治の初めまであった
唐人屋敷の入口付近に中華菜館兼旅館の
創業したのがはじまり。
横看板には大きく
「官許 大清國四海樓御旅館
茶園酒館時點雅菜各国料理」などとあり、
英文の看板もあったとの写真がありました。
「四海楼」本店はいまや5階建て、
ちゃんぽん・皿うどんの歴史を物語る
「ちゃんぽんミュージアム」があります。
当初「支那うどん」と名付けられていたものが、
どうして「ちゃんぽん」と
当初「支那うどん」と名付けられていたものが、
どうして「ちゃんぽん」と
呼ばれるようになったのか???
福建語の「吃飯」という言葉があるという。
「(ご飯を食べたか?)」
「(ご飯を食べたか?)」
と挨拶されて
「していない」と答えると
「では、うちで食べていきなさい。」などと、
シャポンとかセッポンと発音する
華僑の人たちの「ご飯を食べる」という言葉、
いつしか
福建料理の「湯肉絲麺(とんにいしいめん)」を
「ちゃんぽん」と
呼ばせるようになったとのこと。
ちなみに、写真の「ちゃんぽん」は、
「四海楼」さんが11時30分からだったので…
長崎駅前の「アミュプラザ長崎」にある
「皇上皇」さんの「ちゃんぽん」。
レトルトでない旬の素材が使われていたホンモノ。
「ちゃんぽん一杯で四季が感じられる」との、
長崎の郷土料理に相応しく牡蠣も入っていました。
チャーハンもパラパラしていて
旨い〜〜〜〜なり(・ω <)
「四海楼」の本店にもどります。大階段のどまんなかにある龍のレリーフ...
実はこれこそ「登龍門」になっておりまして、
四海樓は「皿うどん」の元祖でもありますが、
「ちゃんぽん」とともにおいしさを伝え聞いて、
さまざまな著名人が訪れて来たそうです。
浩宮現皇太子殿下、
「ちゃんぽん」とともにおいしさを伝え聞いて、
さまざまな著名人が訪れて来たそうです。
浩宮現皇太子殿下、
ノルウェー国王ハラルド5世陛下、
ソニア王妃などなど。
ソニア王妃などなど。
龍門に登る、すなわち「登龍門」といいます。
滝のように流れが急な渓谷の急流を
滝のように流れが急な渓谷の急流を
鯉が登り切ることができれば、
化して龍となるという伝説。
「鯉の滝登り」ともいうが「こいのぼり」は、
この風習から生まれたともいわれています。
そしていつしか龍は急流にとどまらず空、
そして天高く...鳳凰は龍の化身となるのです。
かたわらにあった龍...
白いのは鯉を表すのでしょうか。
こちらは「千里眼」
中国から伝わる航海の神
「媽祖(まそ)」の家来。
遠く離れていても
人の心や物などさまざまなものを
読み取る能力をいうのだそうです。
左手におられた手を耳にかざして、
何かを聞き取ろうとしているのが「順風耳」。
中国から伝わる航海の神
「媽祖(まそ)」の家来。
遠く離れていても
人の心や物などさまざまなものを
読み取る能力をいうのだそうです。
左手におられた手を耳にかざして、
何かを聞き取ろうとしているのが「順風耳」。
道教の聖廟の正門と同じく左右一対で
仁王像のように立っておられました。
「四海楼」の繁栄があるのは、
仁王像のように立っておられました。
「四海楼」の繁栄があるのは、
これらの千里眼と順風耳の心構えが、
なせたものなのだろうと...
再び訪れて「四海楼」の
「ちゃんぽん」を味わいたいなと思います。