TAROとGIFU 未来を拓く塔


岐阜にあるTAROさんの藝術作品
その名も《未来を拓く塔》。

「頭部はヒマワリの花のように
 八方にアンテナを張り、
 目は過去から未来を
 見通すように貫通し、
 首は長く遠くを見渡し、
 色は黄色・青・赤・緑の四色に。
 手は未来に羽ばたくように
 翼になり、
 脚三本が現在・未来・過去を
 表わしている


1988年に"ぎふ中部未来博"が、
長良川のほとりで行われた。
その発端は…
オリンピックの名古屋誘致失敗
中部地方の活性化の起爆剤に、
中部三県五市が協力して
立ち上がったのだそうです。

仕掛人は岡本太郎さんとは、
面識がなかった高島屋の営業マン
鵜飼武彦さんその人。
誰の支持も許可もなしに、
東京・青山の岡本太郎宅に訪問。
ちなみに塔の高さは21m
太郎さんとのやりとり…
「21mでお願いします」
「どうしてですか?」
「ハイ21世紀だからです」
「なるほど」
ただ鵜飼さんのラッキーナンバーが、
21だったそうで誕生日、住所の番地、
結婚記念日など21に縁があったとか。
万博と言えば「太陽の塔」…
シンボルタワーを岐阜に立てるぞ!
鵜飼さん熱量が漲っていたのでしょう。

"ひらく"を"拓く"の漢字にされたのは、
当時の岐阜県副知事の梶原拓氏

「拓」の字を使わせて頂こうと、
太郎さんに鵜飼さんが勧めたもの。
建築資金は当時の日本には、
寄付に応える団体があったようで、
財団法人日本船舶振興会、
財団法人日本宝くじ協会、
社団法人日本綱引連盟、
日本自転車振興会など…
なかでも宝くじ協会からは、
一億円の寄付があった
そうで、
台座はそれを伝えていました。

博覧会絡みのグッズも販売、
資金に充てられましたが…
バブル期でもあり
キロ3,000円以上の高騰で、
金のメダルは相当高くついたとか。
直径30ミリ、重さ25グラム、
小売価格25万円の高値ですが、
マージンなどなどが上乗せ。
ちなみに純銀は25,000円、
銅は3,000円での販売。
ネットオークションでは銅なら、
当時の値段で手に入るようです。

もう一つのオフィシャルグッズは、
記念品としての置き時計
「太郎さん自身は、
 作品にほかの機能がつくと、
 それは芸術品ではなくなり、
 ただの実用品になるから、
 芸術品でないものは価値が下がる、
 と大反対され製作を
 許してはくれなかった。」
ただ…記念品の置き時計には、
オッケーが出たのです。
土台の部分が三段になって
時・分・秒が回転し数字を示す、
日本ではかつてなかったもの。
270個が商品化され、
未来博期間中に中部地区の
百貨店で販売された。
リズム時計工業株式会社が商品化、
レアコレクションとして
15万円ほどで美術骨董店のHPで
見かけることがあります。

《未来を拓く塔》があるのは、
岐阜メモリアルセンター
岐阜中部未来博の跡地、
長良川球場や長良川競技場など、
スポーツ施設とともに、
長良川国際会議場なども隣接。
ただ…《未来を拓く塔》は、
まさに知る人ぞ知る。

敷地内案内でようやく"未来の丘"
そこに岡本太郎のシンボルタワーが
立っていることは伝えてはいない
のです。

博覧会の建築当時は、
長良川の北側にあたるこの地は、
松の木がいっぱい生えていたそうですが、
自然をできるだけ残しての開催。

松の木を切らずに位置を設定、
太郎さんも何度か現地に足を運び、
ここであれば金華山がよく映えて
最高の場所だ
と大変喜んでいたとか。

"未来を拓く塔"をバックの金華山
塔を高い位置から見晴らす高台は、
徳山ダムの模型なのです。
岐阜県揖斐郡揖斐川町、
木曽川水系の揖斐川最上流部
建設された日本最大級の
ロックフィルダムだとか。

塔の足元にダムが流れ込むモニュメント、
滑り台は揖斐川なのか…
木曽三川がを表した水路が
塔に命をふきこんでいる

そんな表現かも知れません。

上部には岐阜鵜飼の壁画アート。
太郎さんと岐阜との繋がりとは…
父である岡本一平さんは、
岐阜県加茂郡西白川村
戦時疎開していたとか。

そして塔の建築でたびたび
長良川河畔にあり金華山を
眺めることのできる
飛騨牛を出す"潜龍"へ、
肉好きの太郎さん
かなりのお気に入りだったと。

そして秘書であり、
事実上の妻の平野敏子さんは、
"潜龍"で生にごりを好んだ…
岐阜県郡上市の平野醸造
"母情"というお酒であったとか。

塔に話を戻します…

繊維強化プラスチックFRP、
パーツごとの製作は、
東京町田市の日本美術工芸株式会社
寺の仁王門などの像や、
時代劇の城の石垣などなど、
パチンコ店屋根に乗せる
"自由の女神"も作られてはいたが…
太郎さんのモニュメントは
異彩を放っていた
そうです。

大きな翼のような手がある塔、
風が吹くとヨットの帆のように
大きな力がかかる。
さらに左右非対称のため、
ねじれが生じるフォルム。

何より建築構造計算は念入りに、
岐阜の地は積雪や台風もあり
その比重が耐えられるか…
岐阜気象台でデータを調べ、
東京大学構造研究所で計算、
まさに叡智が詰まっているのです。

1987年11月25日に起工式。
塔の土台には2つのタイムプセル
一つには未来博の新聞記事や
映像テープなどが収められ、
もう一つにはスポンサー岐阜新聞、
購読者十万世帯の家族写真。

未来を拓く
  未来は時の流れの
  遠い彼方に
  あるものではない
  いま この瞬間に
  ナマ身でひらくのだ
  若い情熱 力強く
  日々 躍動する
        岡本太郎


タイムカプセルがふたたび
"拓かれるの"は50年後の
2038年のことだという。



※このブログは鵜飼武彦さんの
岡本太郎と未来を拓く
 (2011年 ユーアイシー出版)を
 大いに参考にしました

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