iza KAMAKURA vol.7 甘縄神明神社から長谷へ

鎌倉最古の神社"甘縄神明神社"、
710年に行基が草創、
豪族 染屋時忠が建立したと伝わる
天照大神が御祭神の神明宮。
今では長谷の鎮守です。

長谷あたりが早くから開けた地、
甘縄の「甘」は海女のこと、
「縄」は漁をする時の縄
意味だろうという説もあります。
「あまなわ」と読みます。
源頼義がこの神社に祈願し、
義家が生まれたとあり…
義家、頼朝も社殿を修理、
源氏と関係の深い神社だったとか。
政子や頼朝、実朝の参詣もあり、
石段下に「北条時宗公産湯の井」。
社殿は石段を上った高台にあり、
拝殿を背に由比ヶ浜と長谷の町が
一望できるロケーション。
拝殿とその奥に本殿があり、
拝殿の屋根は青銅で美しく、
鰹木と千木の神明造です。
境内には五社明神と、
拝殿右の苔むした階段を上ると、
秋葉社という社があります。
境内にある大きなタブの木は
「鎌倉と三浦半島古木・名木50選」に
指定されています。
非公開ですが甘縄神社の隣に、
川端康成の邸宅があります。
1935年に鎌倉に移住し、
その後没年まで過ごしました。
小説『山の音』に登場する社で、
川端康成の思い入れの強さを感じます。
甘縄神社の鳥居の脇には、
安達盛長邸跡の碑があります。
鎌倉時代初期の御家人、
安達一族の祖にあたり…
大河鎌倉殿13人では
野添義弘さんが熱演!
頼朝の乳母・比企尼の親類で、
伊豆で罪人生活を送る源頼朝を
少年期から支え続けてきた、
頼朝が心を許したと伝わる
数少ない従者として知られいます。

由比ヶ浜通りを往くと…
大きな暖簾がかかる戦前の町家、
切妻平入りの出桁造りの本二階建。
1926年(大正15)に酒類販売業を
営む石渡惣左衛門によって建設。
堂々としたたたずまいは、
上流階級が多く別荘を構えた、
長谷一帯の往時の隆盛を偲ばせます。
現在は町家の佇まいを活かした
オーナーである前鎌倉市長の
石渡氏の想いを受け継ぎ、
後世に残る場所として、
萬屋本店プロジェクト
2015年9月からリノベーション
雪ノ下の"三河屋本店"と同じ業態、
店頭の土間まで運ぶ
トロッコのレールがあったとか。
レールは工事で撤去されずに、
挙式会場の床下に残されています。
由比ヶ浜通りを挟み
"のり真安齊商店"さんは、
1913年(大正2)年創業の乾物屋。
石造の基礎や土間、
揚戸(あげど)など近世商家を
思わせるつくりで創建当初の姿を
よくとどめています。

主屋は震災倒壊後の建て直しで、
1924年(大正13)創建とか…
2 階に8 畳と 6 畳の和室、
2 階に居住部分をもつ倉庫。

長谷寺参道に健在の"旅館対僊閣"、
旅館業を営み始めたのは明治末期だが、
ただ当初の建物は関東大震災で倒壊。
役場届出書類から竣工は1927年
当初は2階建てとなっていて、
現在の北棟のみだったようです。
特徴的な外観に観音参詣帰り
見上げる人がみられました。
2 階部分に高欄を設け、
支える持ち送り板欄間窓など、
独特の風格を醸しだしています。

客室 7 室は全て2 階にもち、
1 階はいわゆるバックヤード。
客室は和風意匠であるものの、
いかにも数寄屋風ではないとか。
「近くに住んでいた
 高浜虚子さんがよく
 ホトトギスの会を
 ここでやってました…」、
「昭和の初めに与謝野晶子さんが
 何度か2泊程宿泊されました」、
島崎藤村の奥様は
 毎年こられました。
 長身できれいな方でした」…
文才が愛した宿だったようです。


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