2014年4月5日土曜日

絵にみる和食通① 酒の肴

12月に公開されていた「武士の献立」
江戸時代、将軍家や大名家には、
主君とその家族の食事を
まかなっていた“庖丁侍”。
加賀藩の料理方である舟木伝内と、
優れた味覚と料理の腕を持つものの、
気の強さが仇となり1年で離縁された
上戸彩演じる「春」との
実に微笑ましい映画でした。
和食が形づいたのは、鎌倉から室町時代の
いわゆる武士台頭のころ。
質素で実質的な食生活が重視され、
また動物性食品が副食として再び
献立なったころに
そのルーツが辿れると言われています。

奈良時代から平安時代にかけては、
米中心で副食として動物性食品が
食されていたようです。
ただ、仏教の普及にともなって、
殺生戒による食物禁忌の立場から、
獣たちは追放されたと伝わります。
「慕帰絵詞」巻二(南北朝時代)













「饗応料理」とは、
酒や食事などを出してもてなすこと。
室町時代に確立された武家の礼法により、
江戸時代に発展したそうです。
公家の有職故実
(ゆうそくこじつ)の伝統から
武家の食事が尊ばれるようになり、
食事作法が発達したのだと言われています。
「酒飯論絵巻」(室町時代)




















「上戸下戸絵詞」
という絵巻の一場面。
上戸
(じょうこ)、中戸(ちゅうこ)、下戸(げこ)
代表として意見を述べる論争物。
上戸は酒の徳をあげ、
「魚鳥肴にて酒を飲たる口にても
弥陀の名号唄うれば不論不浄と捨てられず」と。
中戸は酒による醜態を非難する。
この絵巻別の名は「酒飯論絵巻」と呼ばれます。
 室町時代には庶民のなかでも
米を常食とすることが
できるようになったそうです。
そうなると…
公家や武家は魚鳥肉を上等な食物にすえて、
魚を上位にそして
鳥を重視するようになったそうです。
職人歌合にはさまざま食材を
立売りする人の姿が描かれています。
『家中竹馬記』にはこうあります。
「魚は前、鳥は後也。
 魚の中にも鯉は第一也。」


室町末期の応永のころの記録によると、
宮中では大鳥を白鳥・雁・雉・鴨、
小鳥は鶉
(うずら)・鶴・雀・鴨に
限定していたそうです。

1989年に大阪市立博物館
(いまの大阪歴史博物館)で行われた、
「食通の絵画史」の図録が
こないだひょこりと書棚からでてきたので...
ぽつぽつ連載していきたいと思います。