猿田彦のミチを開くvol.15 阿射加神社(松阪市大阿坂)


大阿坂町にも
同名の阿射加神社
鎮座されていて…
阿坂山山頂と神社を結ぶ
線上から山を臨むと、
三角錐上に神社が
位置するとか…

北畠氏が造った
山城 阿坂城は、
山頂の土塁の形から
枡形山とも呼ばれます。

別名 白米城は合戦で
水断ちにあったとき、
馬の背に白米を流して、
水に困っていないように見せ、
敵をあざむき、
退却させたという伝説

よるのだそうです。
浅香城とも阿射賀城とも
書かれたそうです。

「延喜式」には大社として
記載されている神社でして、
ちなみに…
伊勢国253座のうち
大社は18座で、
伊勢神宮に繋がる座を除くと
阿射加神社3座
桑名市の多度大社の一座、
格式の高さが想像できます。

山頂と阿射加神社の
延長線直線上には、
信仰の場が点在しています。

神社前の川にかかる欄干には、
禊川と刻まれいました。
15世紀の応永年間に
伊勢国司であった北畠満雅
阿坂山に砦を築いた時、
山上から遷座したとも…

由緒書には、サルタヒコ
アメノウズメが描かれています。
猿田彦命は漁をしているときに、
ひらぶ貝に手を挟まれ
海に沈んで溺れたと伝わります。


で…ひらぶ貝の正体
一体何なんでしょうか?
日本神話学研究者の松前健さん…
「インドネシアのボルネオや
 サンギルなどに、猿が、
 昼寝をして口を開けている蛤に、
 手を入れて食おうとし、
 手を挟まれ、引き抜こうとすると、
 ちぎれた、という昔話がある」と…
南方熊楠の書にも、
猿が手を挟まれたという、
インドネシアの民話があるとか。
サル・タヒコだから貝に挟まれる

そして…
アザカという神社の読み?
はるか遠く沖縄の御嶽の話。
アザカという木があって、
上から見ると十字の形とか。
阿耶訶(あざか)という
地名に符号するようです。
アザは交わり、そして分つこと。
田のもこの意から来ていると、
言われています。

十字バッテン卍印
そして御嶽には必ず
シャコ貝があるのだそうです。
シャコ貝が噛み合うと、
その様は十字に見えるのです。

結界を示しているのか…
ここにも橋が架かります。

擬宝珠橋なのですから、
やはり格式の高さは
受け継がれている
ものなのでしょうね。

手水舎も小さいながらも、
神々しく手入れがされています。

割拝殿という
建物を抜けると…

さらなる神域が広がります。

右手にも
末社が祀られています。
紙垂が結ばれた神石

男根のようにも見えます。

そこかしこに神さまが
宿っておられるのでしょうね。

こちらは三社。

石段をあがると本殿

玉砂利が敷き詰められ…

菊の御紋の門

由緒書きによると…
一殿三扉の唯一神明造とか…
ここでも猿田彦神は、
三つの御魂として
祀られているのでしょうね。

サルタヒコが海中に没したあと…
アメノウズメが海の大小の
魚を全部集めて、
天孫に仕えるかどうか
問いただしたのだそうです。

答えなかった存在…
それがナマコなんだとか。
「この口が答えぬ口か!」と、
小刀でナマコの口を裂きました。
それで今でも
ナマコの口は裂けているとか…
知らんけど(笑)


※このブログは伊勢新聞の記事
 「共通する形「神山」神社から山を望むと 
  松阪・二つの阿射加神社」を参考にしました。

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