猿田彦のミチを開くvol.16 椿岸神社(四日市市智積町)


四日市市智積町という地、
鈴鹿市にある椿岸神社
同名の神社がありました。

近鉄四日市駅から湯の山線
乗り換えて…「桜」という駅。
日本人に馴染みの深い花ですが、
駅名になっているのは2つ。
もうひとつはお隣の愛知県
名古屋市南区にある
名鉄名古屋本線の駅。
かつては島根の一畑電気鉄道
立久恵線にもあったそうです。


湯の山温泉方面の一駅先には、
菰野という駅があり、
湯の山温泉御在所岳
菰野町にあるのです。
天気が良かったこともあり、
ハイキング姿がありました。

智積町には鈴鹿山脈の地下水が
菰野町の蟹池に湧き、
江戸時代からこの地を潤す
智積養水が流れています。

澄んだ水に泳ぐ鯉たち。

用水ではなく「養水」と
呼ばれているのは、
水田を潤し人々を養う
惠の水である感謝の気持ち
込められているからとか…

御祭神は、天受賣受命
猿田彦大神、天照大御神。

由緒書にもこの順序で
記されています。
椿岸神社ですからね…

かつては伊勢の海が
智積の辺りまで入り込み、
さざ波が立っていた太古。
やがて鈴鹿山系に源を発する
三滝川矢合川が流れが
多くの年月を重ねて、
海岸線も遠のかせたそうです。

本殿の東側にお稲荷さん、
平安時代の終わりごろに
西園寺家の御厨が成立して、
のち智積御厨と呼ばれました。
智積御厨の領主 松木宗藤は、
その息女 加賀姫を戦乱から
避けるためにこの地に…
櫻村字南垣内という地に、
京都の伏見稲荷神社の祭神を
勧請して「幸田神社」が
創建されたそうです。

御厨とは簡単に言えば…
荘園のことです。
明治の末に椿岸神社に
合祀されていたのを、
戦後1960年に再建…
姫自筆の棟札が椿岸神社に
遺されているそうです。
いまは「椿岸稲荷神社」。

稲荷鳥居の側に皇居遥拝所

その右手に猿田彦命
祀られています。

猿田彦神社の鳥居をくぐると
神宮遥拝所があります。
明治17年の智積村地誌によると、
智積御厨の成立を契機に、
伊勢神宮の分祀社 神明社
建立されたそうです。
伊勢信仰が御師(おし)たちの
活躍で支えてこられきた、
その一端でもあります。

神社の手水舎の裏手に…

左三巴の神紋。
水が渦巻く様子を
形にしたもので、
火除けのまじないとされます。

本殿には「噴井」の菰樽、
地元の酒樽が並びます。

神社にほど近くに、
地元の豪農が興した
石川酒造があります。

主屋をはじめ15棟の建物が
登録有形文化財
指定されています。

伏流水が自噴していて、
水量も豊富とか…



智積養水のお蔭ですね。

もとは「日本華」という名で
売られていた「鈿女(うづめ)」
5代目蔵元の伊藤旬さんが
手掛けたものでしたが、
3年目から椿岸神社の
「天鈿女命」に因んで、
この酒名で売られています。

杉玉は青かったのですが…
酒蔵には人影がなく(T_T)

四日市市内でおしゃれな
ふきい」を手にしました。

鯉が泳ぐ智積養水を
前にする場所に、
桜岡山 西勝寺

山門には水の渦巻く彫刻。

灯籠を間に左右に「引石」
右側の石柱は右岸に…
「高水の時なわ引石」
刻まれています。
菰野城下と四日市宿を結ぶ
四日市往還の生水橋
架かっていました。

欄干が無い橋は夜間は危険、
雪解け・梅雨・台風などの
増水時は橋を越えていました。

こちらは左岸の引石。
刻まれた南無阿弥陀佛
唱えながら間の綱を張って、
渡ったのだと伝わります。
水の豊かさは、
時として牙をむいた…
そんな証です。※1

椿岸神社の話に戻ります…
猿田彦社の真向かいに立つ
鳥居にご挨拶。

忠魂殿

左手に天狗?ここ椿岸神社には、
椿大神社の流れをくむ獅子舞
今なお執り行われていて…
鳥の兜に天狗の面をつけた
口取り役猿田彦大神
化身とされています。

獅子頭は天鈿女命の化身
見做されています。
多くの神楽での猿田彦の役目は、
「先払い」で共通しています。
「衢(ちまた)の神 対(こた)へて曰く、
 天孫応降(くだります)と聞く。
 故に迎へ奉りて相待つ。
 吾名は是、猿田彦大神なり。」

『古語拾遺』に記されます。

本殿の傍らにが鎮座…
ここ椿岸神社には椿大神社にない
独自の演目があるとか…
「鳥差の舞」があるとか、
獅子は出ず「口取り役」、
すなわち猿田彦命のみの、
登場する舞なのです。※2

竿の先に「鳥もち」をつけ、
鳥を捕る仕草をして、
鳥が五穀を
食い荒らさぬよう戒める、
そんな舞だとか…

■このブログは以下の記事を参考にしました。
 三重県四日市市桜地区の「桜郷土史研究会」
 ※1「桜の史跡NO.12 引石
 ※2「椿岸神社の獅子舞

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