2007年8月29日水曜日

コンプライアンスの誤用と悪用??

随分前に手にした新書に
浜辺 陽一 さんの
『コンプライアンスの考え方
  - 信頼される企業経営のために』
 (中公新書1784)
がある。

カタカナ語の乱立で実にわかりにくい会話が、
横行しているように思うし、
なしてわざわざカタカナで言うの??
日本語になかったんか?と思う昨今である。

本書を読んで行くと。。。

英語で " Compliance " と綴る。
(要求・命令などに)従うこと、
応じることを意味するが、
単にコンプライアンスのことを<法令遵守>と翻訳し、
「事務的で機械的な手順であるかのように理解」ではなく、
日本での議論の希薄さを嘆かれる。

「表面的に取り繕うことの愚かしさ」が、
コンプライアンスがかけ声だけに終始し、
「コンプライアンスによる『和』の破壊」
     になることもしばしば だと語られる。


コンプライアンス
という言葉でなくとも、
例えばセクシャル・ハラスメント、セクハラと略され、
言葉を連呼して真意や意図することをぼかしてしまっている。

虎次郎 も気をつけねばならないが、、、
どうも改革とか政治的官僚的な流れが、
意図的にカタカナ言葉で、

自らが考える<心根>を薄められているようでならない。


浜辺 陽一 さんが言われる
「コンプライアンスに対する誤解は、
 多分にこれら「法令遵守」などの日本語の概念によって
 把握しようとしたことによるものだったと考えられる。
 今までの旧態然とした不合理なやり方を打破するためには、
 新しい考え方を取り入れる必要がある。
 コンプライアンスの意味を正しく理解することにより、
 新しい考え方を企業に育んでいく契機とする必要がある」 と。。

なるほどコンプライアンスには、
これから必要な概念があるんのだと感じされられる。

でもあえてコンプライアンスが誤用される現実は、
 やはりカタカナであるからだと思うし、
 企業戦略がこれまで短期的な視野に横並びであったから。。。

経営環境の変化、高度情報化社会、雇用の流動化、
 働き方の変化が実はマニュアル人間ではもはや通用しないこと、
「時が問題を解決してくれる」ことはあり得ないし、
 健全な緊張感をもって仕事に取り組む。。
 虎次郎 も万感を胸に秘めて。。。