ゼロロクの尼崎③ 尼の本丸へ

阪神尼崎駅に近づくと見える城壁。
かつてこの付近には尼崎城がありました。
文化財収蔵庫には尼崎城の資料が、
所狭しと並べられていました。
江戸時代の資料によって
正確に作られたペーパークラフト。
元和3年(1617)に5万石の大名として
この地に赴任の 戸田氏鉄 によって築城。
三重の堀を擁して、
広さは甲子園球場の約3.4倍に
相当する敷地に築かれていたそうです。
沖からみると
城全体が海に浮かんでいるようで、
美しく水に写る姿から琴浦城
として親しまれていたそうです。
5万石大名としては大きすぎる城、
尼崎城に大坂城の西を守る役割
幕府から寄せられていたからなのです。
城は二の丸・松の丸・南浜・西三の丸・
東三の丸と渦巻き状に広がり、
本丸には4層の天守閣が
偉容を誇っていたそうです。
1873年(明治6)年に
廃城が決まったあとは、
売却されたり取り壊されたり…
いまや勇姿を伺うことはできませんが、
発掘調査で遺構の保存や復興が
進められているそうです。
庄下川も西側の外堀になっていたようです。
収蔵庫の展示にあったオモシロイもの。
シカが描かれたイイダコ壺

2003年に東園田遺跡で見つかった
519個のイイダコ壺の一つ。
現在のイイダコ漁は、
小型底曳網漁が中心ですが、
江戸時代の記録によるとイイダコは
大阪湾から播磨灘沿岸地域でよく捕れ、
アカニシの貝殻を使った図が伝わります。
ところでなぜタコにシカ??
シカは古代から神聖な動物ですから、
豊かな恵みをもたらす動物でもありました。
またシカが渡る浅瀬は「鹿の瀬」と呼ばれ、
産卵場所として魚が集まって来る場所。
大漁を願った証なのかも知れませんね。


尼崎コレクションVol.5
東園田のイイダコ壺》を参考にしました

戸田氏鉄(とだ-うじかね)とは??
1576-1655 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)4年生まれ。
父 戸田一西の跡をついで近江 膳所藩主となり、
摂津 尼崎藩 藩主をへて、その後美濃 大垣藩主戸田家初代。
島原の乱に松平信綱とともに出陣。

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