2018年5月3日木曜日

鹿児島群像 島津忠義〜銅像をたどる


島津の銅像は「探勝園」に、
3人建てられています。
そのうち唯一洋装なのが
島津忠義」像。

こちらの像も台座が立派で…
両脇に階段でたどりつけます。

1840年(天保11)に島津久光
長男として生まれました。
斉彬の遺言によって、
斉彬の娘と結婚、薩摩藩主に。



生麦事件、薩英戦争など、
藩の危機のさなか自ら行動。
薩英戦争後イギリスとの
関係改善に尽くし、
集成館事業の充実に努めました。

版籍奉還ののち、鹿児島藩の知事、
貴族院議員にもなりました。
1897年(明治30)58歳で逝去、
国葬が営まれた方です。

像の奥には…
第二大戦敵味方戦死者慰霊碑
実は熊本には敵味方の別なく
戦争慰霊碑が多くあります。


戦国期の猛将 島津義弘は、
朝鮮の戦争で亡くなった
敵味方の人のため、
高野山に供養碑を造ったそうです。
その時に造られた
供養碑と同じ形同じ文。

こちらは甲突川沿い
円形広場近くにある
戦災復興記念碑

国防上の要地としてに
鎮西鎮台が置かれて以来、
戦前は軍都熊本でした。
1945年3月以後、
県下は本格的な空襲の
嵐につつまれたそうです。
熊本市街は焦土と化し、
終戦時には市街の
30%が被災しました。