熊本たてもの めぐりん⑨ 船場橋

「あんたがたどこさ 肥後さ
 肥後どこさ 熊本さ
 熊本どこさ せんばさ
 せんば山にはたぬきが居ってさ
 それを良士が鉄砲で撃ってさ
 煮ってさ 焼いてさ 食ってさ
 それを木の葉でちょいとかぶせ」

熊本のチン電 洗馬橋停留所
電車が近づくと、
誰でも口ずさめる
メロディーがのんびり響く。

商店主らによる
「肥後てまり唄顕彰会」が
1992年に建てたタヌキ親子。

ほど近い熊本中央郵便局前
ポストの上に立つ
せんば郵太」も。
5年前に落とし物の手袋が
はめられていたのキッカケで、
局員の人たちが着付けを
続けておられるそうです。

かつて物流の大動脈だった
坪井川の船着場として繁栄、
船場柳御門は熊本城下の南東、
船場橋から山崎町方面を監視する
関所門でした。



明治のころはこんな感じ…

橋には「船場橋」とあります。

タヌキに…



手毬のレリーフ

で・・・これは何??

エビのようです。
実は「肥後てまり歌」、
その二番はこんな歌詞。
「あんたがたどこさ 肥後さ
 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ
 船場さ船場川にはえびさがおってさ 
 それを漁師が網さで捕ってさ 
 煮てさ 焼いてさ 食ってさ」
タヌキだけじゃ
なかったんですね。

この白いタヌキ
洗馬橋界隈の一番の古狸。

船場橋の近くの文林堂いう
画材屋さんの三代目
丹邉恭平さんが、
戦前に横浜の大学生だった頃、
地元に『あんたがたどこさ』を
「示すものがないのは残念」と、
自ら建てたものだそうです。
1959年9月9日のこと。

作者は東京美術学校出身の
彫刻家 西村虚空という人。
「目にはガラス瓶が埋め込まれていて、
中に電球が入っていて、
できた当初は目が光っていたそうです。
また小便小僧のように水が出ていて
水飲み場になっていました。」
今は目も光らず水も出ていませんが、
熊本の街を見守っているのです。



文林堂 外壁の詩碑
徳富蘆花作詞「船場川
「船場川 まちうらつゞき
 きさらぎの 雨ふり来れば
 紅白の梅はしたゞり
 柳はけぶる
 川面に立つや 雨あしの
 それよりしげき 思い出の
 うれし うれし ふるさとの雨」


ずっと
雨続きの熊本でしたが、
雨模様の街の姿も
良きものでした。

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