松坂屋の理想郷〜揚輝荘④ 伊藤家の人びと


揚輝荘をつくった
伊藤祐民(すけたみ)は、
江戸時代から続く「いとう呉服店」
デパートメントストアにした人です。
現在の松坂屋百貨店の前身ですが、
1910年(明治43)のことでしたが、
まだ百貨店という言い方は
ありませんでした。


1910年 開店当日の「いとう呉服店」


明治維新150年の
パネルがありました。
十三代 伊藤祐良は、
安政の大地震を経験した人。

いとう呉服店上野店
安政大地震による火災発生で、
全焼してしまいます。

「質素倹約を第一に、
 犠牲的精神を持って
 本・支店が一体となって、
 気長く再建に
 努めなければならない…」
祐良は説いて、
同年の12月1日には
仮店舗で営業を再開したそうです。

「安政の大地震 仮営業の引札」

物資不足もあって、
開店当日から大賑わいだったとか…
引札には9月28日からの3日間は、
尾州本家から到着する品物を
景品つきで廉売するとあります。
十四代目当主の祐昌は、
20歳で家督を継ぎました。
幕末の動乱期を堅実な
手腕で乗り切るとともに、
明治期に呉服店を発展させた人。
商法会議所を設立、
初代会頭を務めるなど、
名古屋の財界で主導的な
役割を果たしました。
揚輝荘の内部へ…
玄関扉を開けて中に入ると、
輪切りにした大小の丸太
伴華楼2階書斎にも同じ
デザインがあるそうです。

そして階段のあるホールへ。
木材の表面が、
斧で荒く削った加工痕を、
デザインとして見せています。
与岐はつり」とも
名栗(なぐり)」とも、
山荘らしい雰囲気が
醸し出されています。
サンルームの西は広い食堂に…
今は喫茶室「べんがら
暖炉の周りにはゆかりの丸瓦。

いとう」の文字。



このブログは
「歴史の中の松坂屋 
愛知千年企業 江戸時代編」を参考にしました。

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