松坂屋の理想郷〜揚輝荘⑤ ジャータカの地下室へ


聴松閣には地下室があり、
そこにはブッダ前世の物語
本生譚(ジャータカ)」の
場面の一部が描かれている
空間が広がっています。

伊藤祐民は1933年のはじめ、
名古屋商工会議所会頭と
松坂屋の取締役社長を辞します。

社会事業に傾倒するのですが、
なかでも多くの時間を、
シャム(現在のタイ)、
ビルマ(現在のミャンマー)、
インドなどへの訪問、
そして日本への紹介に費やします。



西インドの
アジャンター仏教石窟群
第二窟に描かれた仏伝図
兜率天上の菩薩」の写し。
兜率天は釈迦になる前に
菩薩が過ごす場所で、
菩薩が中央に描かれています。

こちらは釈迦の
母となるマーヤー夫人が、
白象が胎内に入る夢をみた…
その夢占いの場面。
生まれる子が転輪聖王か
ブッダになると占い師から
説明を受けているシーンです。

地階広間の付柱には、
カンボジアの
アンコール・ワットがルーツ。

地階広間から饗宴場へ…

東側が半円形の舞台で、
ビロード式のインド文様緞帳
当時の意匠で復元されています。



こちら舞台裏

舞踏場西面には踊る女神像の
レリーフを頂くマントルピース

祐民はインド旅行中に
多くの写真を撮ってきますが、
そのうち特に気に入った
建物のデザインを選んで、
この地下室に散りばめたのです。

この場面は長谷川傳次郎
アンコール・ワットの写真集
仏蹟』にまったく同じ写真が
掲載されているとか…

聴松閣に訪れた友人・賓客に、
仏蹟巡拝の感動を、
熱く語っていたのでしょうね。

饗宴場の付柱の柱基には、
18世紀頃のインド・イスラームの
宮殿でみられる植物文様の
象眼細工が施されていました。

ヒマラヤの風景が
エッチングガラスが嵌め込まれ、
中央には造り付けのソファー。

揚輝荘主人遺構』という書物には、
「正面にみゆる
 雪嶺カンチェンジャンガ
 を写したる硝子彫刻にして
 外部の窓より採光し、
 夜のために照明が仕込んである。」

ガラスの裏側を覗くと…
地上からの光が降り注ぐ。

採光スペースの手前の
小区画にある女性像が
嵌め込まれたタイル壁。
ゴシック建築の
トレーサリーのよう…
インド仏教やヒンドゥー寺院の
祠堂入口でよくみられる姿態。

こちら地下トンネルの入口
今は失われていますが、
かつてあった「有芳軒」まで。
先の出入口は五色玉石貼りの
欄干と「聴泉窟」と彫られた
石盤で飾られていたとか…
防空壕ともいわれますが、
目的は不明なのだそうです。

聴松閣はかつては
祐民が仏蹟巡拝の旅から帰国、
ただちにインドでの
感銘再現に建設に着手、
と考えられていたそうです。

最近になって伊藤家や
施工の竹中工務店の資料から、
このようなことがわかってきました。
・仏蹟巡拝の旅に出発前に
 聴松閣の建設を計画
・当初は洋風・山荘風として設計
・地鎮祭後行うも起工を延期
・地下を大幅に設計変更

次回ブログで2階を紹介しますが、
工事途中で床から天井まで、
全体が中国様式に
変更されたそうです。


このブログは
「揚輝荘と祐民ー
  よみがえる松坂屋創業者の理想郷 」
を参考にしました。

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