大阪の神社めぐり 豊崎神社 (北区豊崎)

幻の皇都 難波長柄豊碕宮
孝徳天皇の皇居だったとされ、
日本初の本格的な首都の宮殿建築…
3つの説の一つだった地、
主祭神が孝徳天皇だという
"豊崎神社"を訪ねました。

大阪市北区の梅田と淀川の間の
豊崎に鎮座する神社は、
宮中にある歴代の天皇を祀る
皇霊殿を除くと、
孝徳天皇を祀る唯一の神社
です。

近年では乙巳の変(いっしのへん)を呼ぶ
645年に起きた蘇我氏を滅ぼした政変。
蘇我入鹿を皇居内で暗殺、
蘇我入鹿の父 蝦夷を自害させます。
クーデーターだった政変は、
日本で最初の年号を"大化"と定め
翌646年に改新の詔を発布し、
中大兄皇子と中臣鎌足が
政治改革を行なったことで
"大化の改新"とされたのです。

大化改新を実施するために
多大の労力により築かれたのが
長柄豊崎宮だったのですが、
新しい国家体制になじめない
群臣たちの間で不満が高まり、
不穏な状況に陥り、
中大兄皇子は飛鳥へ戻る
決断をするのですが…

皆が大和国へ戻ると、
一人摂津国に残された
孝徳天皇は悲嘆にくれたまま
崩御した
とされます。

孝徳天皇の御履脱石と伝わる神石、
長柄豊崎宮はたった36年で廃され、
その後 宮跡は松林となり、
八本松と呼ばれていたとか…

孝徳天皇の皇居で、
日本初の本格的な首都の宮殿…
宮跡が見つからずにさまなまな説、
法円坂一帯にあるという"上町説"、
豊崎神社附近から長柄へ
かけてあったという"下町説"、

「垂水の庄から水を引いた」
という記録から、
新淀川の右岸一体にあったという”宮原説”

1953年になって大阪市中央区法円坂
大な鴟尾が発見され、
大阪市立大学の 山根徳太郎教授によって
大極殿跡が1961年に発見されて、
これが難波長柄豊碕宮であるとされ、
今では"上町説"が定説となっています。

神崎川左岸の西宮市加島の
香具波志神社には孝徳天皇が
御製を遺しています。
かこはしや 此花いもみせぬ
 かもやこの花


孝徳天皇が有馬温泉に行く途中、
香しい花がこの辺りに咲いていて、
思わず歌を口ずさんだものだが、
難波長柄豊崎宮が完成する
7年間摂津国での活動したとか。

1772年(明和9)の火災で
記録一切を失っていましたが、
その後 藤原重治がこの地を開墾、
宮地が埋滅を心痛んで、
正暦年間(990~995)に小社を
建てたのが神社のはじまりとか。

境内社の東照宮は1614年(慶長19)、
大坂冬の陣のさいに徳川家康が
足立市兵衛宅へ立ち寄り、
そこの麦飯に喜んで家紋と家名を
賜ったという故事
があり、
その足立邸に勧請されていたもの。

明治以降、八幡神社、東照宮、
鹿島神社などが合祀されています。

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