YOKOHAMA☆サイドvol.6 はじめての伊勢佐木町


ハマスタの最寄り駅はJR関内、
試合後はずっと中華街へ。
関内駅の"裏手"伊勢佐木町は、
ヤロウばかりでいくと客引き…
何度か横浜には来ているが、
"はじめての伊勢佐木町"。

眠らない街ともいわれるが、
イセザキ・モールを中心とした
商店街のある活気も、
さすがに早朝は落ち着きを
みせていました。

吉田橋から伊勢佐木町の通りに
入る右手角地にそびえる、
広告看板を頂く"伊勢ビル"。
1972年(昭和2)建築の
"伊勢佐木ビルディング"だが、
ビル壁にもイセビルの文字。

横浜都市発展記念館に残る、
竣工時の絵葉書には、
丸囲みは土地所有者でもある
上保(うわぼ)慶三郎の写真。
1階の店舗看板には「松屋」
「牛鍋あさひ」「越前屋」など…。
2階看板は「旭牛肉鍋」の文字、
屋上はキリンビヤホールとか。

ウエルカムゲートともに、
階上を見上げると…
細長いビルを実感されられます。

横浜の震災からの復興は比較的早く、
伊勢佐木町の通りは道幅が整備、
アスファルト・ブロックが
敷き詰められたそうです。
アーチとともに映るイセビル。
1935年(昭和10)年には登場の
金色の王冠を戴くアーチ」は、
震災復興を祝したものでしたが、
横浜大空襲で失われてので、
この写真は戦前のものだと。

パチンコ店の"PIA"の看板のみですが、
かつては広告看板が連立、
1970年頃は"沖正宗"の横看板と
"ニッカウヰスキー"の縦型広告塔、
1980年12月からは、
縦5m、横13.7mの"救心"。
ただ2013年11月をもって、
広告戦略見直しと防災面から、
撤去されてすっきりとした外観に。

1946年7月4日に米軍撮影の一枚、
吉田橋より内陸側の関外地区は
米軍に占領されたことで、
伊勢佐木町の大きなビルは接収…
ただイセビルは接収を免れたとか。
ただ場所柄 米軍関係者目当ての
食料品店などが入居していたそうです。

伊勢佐木町の角ビルは、
まさに雑踏を思わせるフォルム。
こちら"オリエンタルビル"

"二楽ビル"
夜になると異世界になるんだろな。

"No.11 末廣ビル"
どこか台湾っぽい 知らんけど

"HEIAN BLDG"
ただ後でGoogle Mapでみても、
広告看板が目まぐるしく
変わっているようで…
コロナ禍の外食産業への影響やも。

お目当ての伊勢佐木町に残る、
市認定歴史的建造物
"旧横浜松坂屋西館"。

プレートにはこうあるけれど…
越前屋百貨店 松屋横浜店として
昭和初期に建てられもので、
鶴屋、寿屋、松屋を経た後に
横浜松坂屋が買収して西館として
営業していたデパートでした。

松坂屋の閉店に伴い、
現在は日本中央競馬会(JRA)が
エクセル伊勢佐木」という
会員制の場外馬券売り場として
使用しています。

シンプルながら柱の上部のメダリオン
最上部のコーニスなど、
各所に古典様式主義を取り入れた
優れたデザインが残ります。

関東大震災直後の
伊勢佐木町の様子の一枚、
傾いているものの倒壊を逃れたが、
都市の不燃化と耐震化が課題に。

カメラを持つ虎次郎を訝しめに
みつめる老若男女の視線…
足早にあとにしました。

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