尾張なごやの城も桜で!


咲き誇る桜…
今年はお花見は少人数で…
通り過ぎるスタイルですね。

名城線の市役所駅から
アクセスするのですが…

伏見駅周辺のホテルに
宿泊していたので、
鶴舞線に乗り丸の内駅

改札を降りると…
金鯱名古屋城
モザイク壁画がお出迎え!
ココにも桜満開の意匠。

伏見通をお城へ…
外堀に架かる新御園橋

少し西に歩くと…

御園橋

かつての三の丸はこのあたり、
南面西側に御園御門があって、
現在の橋は市内唯一の
明治期の鋼橋でして…

単純鈑桁橋として最古級で、
市の認定地域建造物資産です。

門付近に築かれた石垣が、
一部残されていまいた。

ほどなく往くと…
天守が見えてきました。

能楽堂前には加藤清正像
名古屋城の城主は清正?
いえいえ

徳川家康の九男 義直です。

城内には清正石という
大きな石があること…


天守の石垣普請の様子を
写したといわれれる

「清正公の石曳きの像」
なるものがあるから…
印象強い清正さん。
ただ…
本丸枡形の担当は、
黒田長政 だったとか。

清正と名古屋城の繋がり、
加藤清正公人気
あやかっていたからとか…
能楽堂前の像は、
カゴメ株式会社から寄贈です。

なぜカゴメ??
実はケチャップでおなじみの
カゴメさんは本社名古屋市、
創業 80周年の記念事業とか…

そばに置かれるのが
篠島の「矢穴石」
築城のために用意されていて
切り出しの跡が残っています。
篠島とは…知多半島の先に
位置する島で、
清正が名古屋城築城で
採石していた島。
これこそが清正石
残されていた石を、
フェリーを使ってここまで
持ってきたそうです。

恩賜 元離宮名古屋城

正門は1910年(明治43)に
江戸城の蓮池御門が
移築されていたのですが、
1945年の空襲により焼失。
戦後1959年の天守閣再興の
ときにあわせて再建されたもの。

とにかく桜満開でありまして…



西南隅櫓

かつて11基あった
隅櫓のうち現存する一つ。
1612年(慶長17)ごろに建造、
江戸期は未申隅櫓と
呼ばれました。
鬼瓦に皇室の紋章の
菊花紋がみえるのは、
維新後に宮内省に移管された
名残だそうです。

三階構造ながら
二層にみえる珍しい造りで、
かつては歴代藩主の甲冑
納めていたそうで、
そのご小天守へ移されたとか…
コンクリート壁モルタル塗りと
なっていたのを2010年の
半解体修理で土壁漆喰塗
戻されました。

満開の桜を愛でつつ…

東南隅櫓
辰巳櫓とも…
出窓に石落とし
設けられています。

かつては西側と北側に
多門櫓が続いていたとか…
1952年の解体修理で
木曽材が確認されました。
明治になって
江戸城の
取り付けられていたことも
分かっているそうです。

本丸表二之門から
本丸へ…

本瓦葺の高麗門で、
軒廻りは漆喰塗り込め、

創建当時を伝える
門なのです。

いざ本丸御殿へ…
ただ新コロ対策
室内見学できず(T_T)

人気の少ないので、
アングルをいろいろと…



竹林豹虎図」も
ミュージアムショップので…

御殿・小天守・天守閣

こちら御殿椿

そろそろ今年の見頃は
おわりなのでしょうね。
空襲で御殿ともに
火をかぶったとか…
新芽が伸びでしばらく
生き続けたとか。

本丸北側 不明門に咲く椿は、
御殿椿を接ぎ木したもの。



天守閣は…
耐震性に不安があるとかで、
入れません(T_T)

昭和実測図で再現された天守…
これはこれでいいと思うけど。
木造天守の再興
目指してるらしいです。

なかなかいい風景だけどなぁ〜。

こちら小天守
2重2階地下1階の造り、
大天守への関門の役どころ。

大天守と小天守を連結する
剣塀(つるぎべい)。
軒に鋭い槍の穂先が
ぎっしりと…

天守礎石は旧天守の地階
穴蔵の地盤にあったもの、
巨大天守を支えていまし
た。

ここの桜も見事でした🌸

こちら西北隅櫓

古名は戌亥櫓とも清須櫓とも…
清州城天守を移築と伝わります。
1619年(元和)頃の造営だ
ということが解体修理で
分かっていて、
清州城天守の古材との
可能性が高まったそうです。

ほど近く立つのが乃木倉庫

乃木希典名古屋鎮台在任期、
明治初期に建てられたもの。

煉瓦造りの平屋で
旧陸軍の弾薬庫でしたが、
本丸御殿障壁画などは
取り外されしてここに
保管されていたそうで、
被災を免れたそうです。

煉瓦保全のための白亜塗り

登録有形文化財なのであります。

来年こそは多くの人たちで
賑わっってほしいものです。



サンクス・にゃごや!

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