欧州からみた大津絵① 追分と鬼念仏


こないだ大津市歴史博物館で、
企画展 大津絵
ーヨーロッパの視点からー

っていうのを観てきました。

大津絵を初めて知ったのは、
あのシーボルトだそうです。
その証し「東海道分間絵図」、
東海道を描いた街道絵図。

大津のあたりの余白に
Ootsue」と書き込み。
シーボルトの
絵画コレクションには、
大津絵は見つかっていませんが、
1826年(文政9)に
江戸参府で東海道を往復、
日本学の父ならば、
おそらく知っていたでしょう。

大津絵が欧米に渡ったのは、
明治以降のことです。
一番の立役者は
お雇い外国人だった、
イギリス人医師の
ウィリアム・アンダーソン

こちらは1870年代ごろに、
アンダーソンが入手の
大津絵《鬼念仏》
いまは大英博物館の
所蔵となっています。

鬼念仏は大津絵のシンボル
ともいえる画題。
恐ろしい鬼が、
念仏を唱えて布施を
乞いながら歩く姿を描く。

東海道名所図会』に
みえる大津絵の店には、
鬼の念仏を看板として
掲げられています。

子供の夜泣き止め
護符としてお土産に。
幕末になると…
慈悲のない心にもかかわらず、
形だけの善行を積む
偽善の風刺画と評されたとも
言われています。

大津絵の発祥は、
民画ということもあって、
よくは分かっていません。

《巡礼見大津絵》英一蝶
大津絵が広まったのは、
お蔭参り」のお蔭とも、
言われています。
追分という場所は、
東海道と大坂へ向かう
伏見街道の分岐点。
大津絵の別名は「追分絵」。
荷物にならない護符は、
かさばらないのです。

《桃水和尚伝賛》1768年

17世紀初めのキリスト教禁止、
阿弥陀仏の描かれる大津絵、
仏画主題の大津絵が、
異教徒でないとの「証明書」。
そんな普及の逸話も
伝わるのですが…
定かではありません。

パリ大津絵展図録表紙 2019年
《鬼と三味線弾き》

酒と音楽によって
浮かれ遊ぶ間に、
気を奪われる。
虎次郎がよく至る…

クリストフ・マルケ著
『大津絵ー日本の民芸画』
  2015年 ピキエ社

大黒の使者である
鼠から逃れるために、
柱に登ってしがみつく鬼。
柊も咥えてるし(T_T)

《鬼念仏図》澗魚

酔いどれ姿で、
赤鬼がさらに赤くなって
まさに千鳥足の鬼。

「飲まなやってられん」
ヨレヨレスーツの
サラリーマンのよう。
自戒をこめて…
年末の酒宴、
乗り切らねばなりません。

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