猿田彦のミチを開くvol.13 奥宮千勝神社
⽊曽川左岸の河川敷、
松林に囲まれたところ。
尾張猿田彦神社の
元神社といわれる
「奥宮千勝神社」が
鎮座されています。
この地域は「大巻山」と
呼ばれているのですが、
何度も襲った木曽川の
氾濫との歴史が
綴られてきました。
大巻山は山というより
人の手で盛られた
土の塊「猿尾(さろう)」。
川が切れそうな箇所へ
作ることで
川の流れを変え、
勢いを弱める
役目をしました。
「大巻」とは、
川の流れが激しく、
常に大きな渦を
巻いていた姿に由来。
奥宮は旧渡船場の南、
神領地として
神宮御遷宮のとき、
筏の御用材が
伊勢湾に入るために
縄を絞め直す…
そんな場所だったとか。
かつての神宮遥拝鳥居は、
1954年に行われた
第59回式年遷宮の際、
神宮第三の鳥居が
下げられものが
建立されたそうです。
鳥居の傍にある石柱、
穴があり筏を繋いだのか?
鳥居下には◯と□の石。
何を示すのか?
小さな句碑が
遺されています。
朱と白木の社で二柱が
祀られています。
「宇受売神社」と「千勝神社」、
ちかつと読むそうです。
猿田彦大神は、
開運隆盛、みちびきの神、
蹴鞠の神、土地、建築の守護、
方位を司る神 とあり…
アメノウズメは、
芸能の上達、夫婦円満、
知恵授け、子女の守り神、
安産、子育て守護。
二人…二柱ともに、
実に広範なご利益です。
この夫婦神は
江戸時代に著された
『本朝ふもとの近道』には
こんな風に登場しています。
「今もてはやす。
天狗とて、鼻の高き面は、
猿田彦神の御すがた、
おとく女とて、
ふくれかえりし女の面は
鈿女の御すがた、
此の二柱の神は、ご夫婦にて、
人間の夫婦合わせを
守り給う神也」
朱の色が鮮やかな大鳥居は、
鋼製鳥居でして、
一度撤去され新たに
設えられたものです。
ただ河川法の改正で、
一度撤去した鳥居は
常設ができないとか…
国土交通省との確認のもと、
撤去可能な鳥居となったとか。
中日新聞の記事
「大雨なら撤去
取り外しできる鳥居」
なんだそうです。
猿尾の長さは百閒あり、
「百閒猿尾」と
呼ばれていました。
百閒はおよそ180m。
朱と白木の社で二柱が
祀られています。
「宇受売神社」と「千勝神社」、
ちかつと読むそうです。
猿田彦大神は、
開運隆盛、みちびきの神、
蹴鞠の神、土地、建築の守護、
方位を司る神 とあり…
アメノウズメは、
芸能の上達、夫婦円満、
知恵授け、子女の守り神、
安産、子育て守護。
二人…二柱ともに、
実に広範なご利益です。
この夫婦神は
江戸時代に著された
『本朝ふもとの近道』には
こんな風に登場しています。
「今もてはやす。
天狗とて、鼻の高き面は、
猿田彦神の御すがた、
おとく女とて、
ふくれかえりし女の面は
鈿女の御すがた、
此の二柱の神は、ご夫婦にて、
人間の夫婦合わせを
守り給う神也」
朱の色が鮮やかな大鳥居は、
鋼製鳥居でして、
一度撤去され新たに
設えられたものです。
ただ河川法の改正で、
一度撤去した鳥居は
常設ができないとか…
国土交通省との確認のもと、
撤去可能な鳥居となったとか。
中日新聞の記事
「大雨なら撤去
取り外しできる鳥居」
なんだそうです。
猿尾の長さは百閒あり、
「百閒猿尾」と
呼ばれていました。
百閒はおよそ180m。
なぜ猿なのか??
「猿尾堤」という名称は、
木曽川系に限られるとか。
猿の尻から伸びた尾に
見えることに因みます。