尾張国一宮をあるく④ 若宮神明社
一宮市奥町字堤下に鎮座する
「若宮神明社」。
尾張猿田彦神社の奥宮がある
堤から見下ろすと…
しっかりとした神域を
伺うことができました。
お参りしたあと、
参道を辿ると、
大きな鳥居がありました。
由緒によると…
創建は文禄年間、
関ヶ原合戦前のころ。
後陽成天皇の時代とか。
木曽川堤の氾濫があり、
伊勢神宮大麻を奉斎して、
万度の祓いに治めると…
川瀬が変じて田畑に
なったと伝わります。
社殿の前にあるのは「蕃塀」。
正殿を直視できないように、
不浄侵入を防ぐために…
と言われるが定かでありません。
蕃塀を伊勢神宮のものを
指すとされていますが、
尾張地域には
よく見られるそうです。
記録に残る尾張地域の
蕃塀は眞清田神社のもの。
『尾張名所図会』には、
連子窓型蕃塀がみられます。
御祭神は、
天照大神と素戔嗚命。
こちらが本殿。
堤から見えていた祠
萬度治水神社
神明社
とありました。
御大典記念とあるから…
昭和天皇即位の折。
太平洋戦争末期、一宮は
大空襲に遭いました。
川崎航空機工場や
特殊軽合金工場など、
軍需工場があったことが
その理由です。
ただ…この辺りは、
数十発の大型焼夷弾の
投下にも不発に。
神社に落ちたのも
不発弾だったそうです。
大正元年に大竜巻が起きた
ことがあったそうです。
その時もこの地域だけは、
難を避けたと伝わります。
「白金龍王」は、
皇大神宮荒御魂を
祀っています。
創建は1950年のことです。
大竜巻から時を要したのは、
敗戦の余波により、
進駐軍による抑圧のため。
祭文殿と拝殿の中間あたりに、
白蛇が現れたのだそうでして、
丁度 例祭の当日だったとか…
額装された由緒書が
伝えていました。
気になる神域がひとつ…
かつてはここに猿田彦??
というのも
伊勢神宮へのご用材の筏、
綱の締め直しのため、
立ち寄って宿としたのは、
氏神である若宮神明社
だったと伝わります。
いろいろ調べてみると…
尾張藩領である一宮には、
伊勢領があったそうです。
堤防の安全祈願のために
伊勢神宮に奉納された田畑。
一宮市内には
「今伊勢」という地名もあり、
結びつきがあったこと、
改めて辿る機会があれば…
連子窓型蕃塀がみられます。
御祭神は、
天照大神と素戔嗚命。
こちらが本殿。
堤から見えていた祠
萬度治水神社
神明社
とありました。
御大典記念とあるから…
昭和天皇即位の折。
太平洋戦争末期、一宮は
大空襲に遭いました。
川崎航空機工場や
特殊軽合金工場など、
軍需工場があったことが
その理由です。
ただ…この辺りは、
数十発の大型焼夷弾の
投下にも不発に。
神社に落ちたのも
不発弾だったそうです。
大正元年に大竜巻が起きた
ことがあったそうです。
その時もこの地域だけは、
難を避けたと伝わります。
「白金龍王」は、
皇大神宮荒御魂を
祀っています。
創建は1950年のことです。
大竜巻から時を要したのは、
敗戦の余波により、
進駐軍による抑圧のため。
祭文殿と拝殿の中間あたりに、
白蛇が現れたのだそうでして、
丁度 例祭の当日だったとか…
額装された由緒書が
伝えていました。
気になる神域がひとつ…
かつてはここに猿田彦??
というのも
伊勢神宮へのご用材の筏、
綱の締め直しのため、
立ち寄って宿としたのは、
氏神である若宮神明社
だったと伝わります。
いろいろ調べてみると…
尾張藩領である一宮には、
伊勢領があったそうです。
堤防の安全祈願のために
伊勢神宮に奉納された田畑。
一宮市内には
「今伊勢」という地名もあり、
結びつきがあったこと、
改めて辿る機会があれば…