天満寺町コンクリ寺めぐり⑦ 善導寺と懐徳堂〜山片蟠桃のこと


山片蟠桃という人は、
両替商・升屋の番頭で大名貸し
成功した辣腕経営者だったそうですが、
失明を乗り越えて大作『夢の代』
著したことでも知られる博物学者

あまりの独創性で出版を見ず…
ただ40冊以上の写本の現存していて、
大坂庶民に広く読まれたことを
伺うことができます。
かの吉田松陰も高く評価し、
旧ソ連の科学アカでミーは
フォイエルバッハ
自然科学的唯物論と並んで、
"初期唯物論の先駆的著作"激賞とか。

「地獄なし極楽もなし我もなし
 ただある物は人と万物」

「神仏化け物もなし
 世の中に奇妙不思議なことは
 猶なし」
が辞世。

1748年(寛延元)に播磨国印南郡、
今の兵庫県高砂市の生まれ、
大坂に出て丁稚となったが,
両替商升屋 山片平右衛門
理財の才を認められ番頭となり、
13歳のとき山片家別家の養子に。
秀逸卓抜さは留まらず、
近代西欧医学、地動説、
そして『日本書紀』の否定
迷信俗信の排撃、無神論を展開。
"蟠桃"の名は、
番頭をもじったものだとか。


大坂町人によって創設された
学問所"懐徳堂"の出身の学者の一人、
山片蟠桃その人でもあります。

主人が学問好きだった由縁で入門、
大阪市中央区今橋三丁目、
日本生命ビル南側壁面
"懐徳堂跡"の碑石があります。
ちょうど大阪メトロ 淀屋橋駅
8番出口を東に数m行ったところ。

1724年(享保9)に中井甃庵らが
創設した学問所の玄関には、
開校時にこんな"きまり"を
掲げていたそうです。
1. 書物を持たないものも
 講義を聞いてよい
2. やむをえない用事があれば
 途中退席してもよい
3. 席次は武家を上座と定めるが、
 講義開始後は身分によって分けない


自由な学風で知られましたが、
明治維新で閉鎖となったものの。
財界人らの呼び掛けで1916年、
現在の大阪商工会議所がある
本町橋に"重建懐徳堂"として再建…

こちらは2005年10月に制作された
"懐徳堂復元模型"だそうでして、
懐徳堂の復興と顕彰を進めたのが
財団法人懐徳堂記念会
1949年の文学部の設立を機に、
記念会から大阪大学
3万6千点におよぶ資料が寄贈。
大阪の持つ文化力の発信源として、
位置づけられるのが"懐徳堂"なのです。

夢の代』の巻之一、天文第一…
「しからば則、なんぞ人民なからん。
 ゆえに諸曜みな人民ありとするもの、
 我の有を以て
 拡充・推窮するものなれば、
 妄に似て妄にあらず。
 虚に似て虚にあらず。
 仏家・神道のごとく
 無稽の論にあらざるなり


墓はここ善導寺にあるのですが、
生誕の地 高砂市神爪にも顕彰墓が
建てられているのだそうです。
徹底した無神論者の蟠桃に顕彰墓
どう思うだろうかなどと思いは、
全くの愚問でありましょう。
ちなみに…旧墓碑は戦災に損傷のため、
本堂前の無縁墓群に移されているとか。
現在の墓碑は1974年に御子孫が
再建されたものなのだそうです。

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